『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

いわきの「鳥小屋」(6)

2006年12月26日 | 伝説
これまで5回にわたって、いわきの「鳥小屋」について触れた。
ところで、現在、一般に、いわきの「鳥小屋」行事は
正月を送るために行われるものと説明されることが多い。
この季節になると、新聞やテレビニュースなどでも、
頻繁に「鳥小屋」行事の様子が取り上げられ、
写真や映像が紹介されるが、そこでもやはり、
「鳥小屋」は正月を送るために行われるという説明が行われている。
しかし、私は、「鳥小屋」行事は、元来、
「小正月」(陰暦の1月15日)を迎えるための行事ではなかったのか
と考えている。
かつて、いわき地域では、
「小正月」の前日に当たる「小年」(陰暦の1月14日)に
「鳥追い」や「火打合い」「どんと焼き」など、
農耕民にとって極めて重要で、意味深い行事を催し、
「小正月」を迎えていた。ところが、「小正月」の重要性が薄れ、
正月といえば、1月1日という傾向が強まるにつれ、
いわきの「鳥小屋」行事の意味合いにも変化が生じたのだ。
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いわきの「鳥小屋」(5)

2006年12月23日 | 伝説
いわきの「鳥小屋」については、
高木誠一(1887~1955)が『石城北神谷誌』という本になかに
詳細な記述を残している。今回の紹介は、その4回目。
「鳥小屋」に火をつけて燃やす「鳥小屋送り」についての記述だ。

 偖て、いよいよ夜も更けて一番鶏の聲と共に、
各家の年男はホーイホーイホイとお正月様をあきの方(惠方)に送りをさめ、
それから鳥小屋に行つて、火をつける。
門松や水松、榊などの御飾りを皆持参して燒くのである。
此時、皆一同でホーイホーイと大聲で囃し立てる。
御正月様はこの煙りに乘りて行くのである。
何處でも小屋の燒ける音のい、火焔の強いのを以て誇りとして居る。
 この日の東雲の空に砂の爺婆が現れると云へ傳へてある。
燃え残りの木片は戸口につるして置けば、魔除になると云ひ、
又、其灰を家の廻りに散布すれば、一年中の災厄を禊除すと云ふ。
 鳥追ひ
「ホーイホーイの鳥小屋、なじや鳥追はなイ」
「十四日の小豆の粥さ、ねつからまつて、かつからまつて、
そんで鳥追はんにやい」
と囃し立てた。

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いわきの「鳥小屋」(4)

2006年12月20日 | 伝説
 いわきの「鳥小屋」については、
高木誠一(1887~1955)が『石城北神谷誌』という本になかに
詳細な記述を残しているが、今回はその3回目。
 
偖て、十四日の晩になると、老幼男女を問はず、
一家総出て小屋参りをして、餅を燒いて食ふ。
此餅を食へば、頭痛せぬと云へ、又、鳥小屋の炭を陰部にぬると、
男女共成年のしるしの毛が早く生へるなどヽ云へます。
 七小屋参りと称して、七つの小屋を廻る人もある。
これも無病息災の信願である。此の如くして、
此晩は殆んど徹夜、天下御許しと云つて、色々みだらなことが行はれ、
此晩で全く性の解放とでも申しませう。 『石城北神谷誌』より
 
地域の人々の手によって作られた「鳥小屋」は燃やされることになるが、
それは「鳥小屋送り」と呼ばれる。
早朝、「鳥小屋」に火が掛けられるが、
その際の火で焼いた餅を食べれば、頭痛がしないとか、
風邪をひかないと今でも言い伝えられている。
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いわきの「鳥小屋」(3)

2006年12月15日 | 伝説
いわきの「鳥小屋」については、
高木誠一(1887~1955)が『石城北神谷誌』という本になかに
詳細な記述を残している。
今回の紹介はその2回目。出来上がった「鳥小屋」を
子どもたちが中心になって運営している様子が描かれている。
「小屋番」「小屋大将」「小屋参り」「緒がら」「ヤヂヤキ」などの
言葉が出てくる。

 愈々この小屋が出来ると、子供等達は毎日毎晩、
こヽに詰めかけて小屋番をする。夜は若い衆も往つて遊ぶ。
小屋の焚き物は、前年の燒き残りの小屋の木を割木として
積んで置いたものを焚く。子供等の中の年長者は、
小屋大將と云つて、力味んで衆童を指揮して、
小屋に悪戯をせられない様に保護して居る。
少しばかりの酒を買つて置き、
小屋参りに来た人や道を通る人に御神酒と云つて強いてのませ、
又は楮からを煙ですヽかして、螺旋状にしたネジリ棒を以て、
婦女、子供達に戯れ、鳥小屋の祝くんちヤーいと云つて金銭をねだる。
夜になると、ヤヂヤキと称して、
子供等、手に手に枯竹を割つて束ねて作つた松明を持ち、
小屋から火をつけて出て、附近の田圃の土手や畦畔の雜草、
又は小薮などを燒くのである。
                  『石城北神谷誌』より
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いわきの「鳥小屋」(2)

2006年12月14日 | 伝説
 いわきの「鳥小屋」については、
高木誠一(1887~1955)が『石城北神谷誌』という本になかに
詳細な記述を残しているので、以下、数回にわたって紹介する。
 
 正月も十二、三日頃になると、何れの作でも
七、八才より十三、四才頃までの子供等達が
一戸から藁二束(一束ハ六把)位づヽ、
竹薮のある家からは大小の竹を取り交ぜて十本位づヽ貰い集める。
作中の者總出て、この鳥小屋をかける。
場所は人家を稍離れた道路に接する田の中で、
小屋の大きさは普通、方一間から八、九尺位まで、
其作の戸数に依つて大小がある。小屋を作るには、
先づ山に行つて、栗や楢の木の股のあるものを四本伐つて来て、
之を柱とし、細杉や雜木などを伐つて来て、之れに十文字に渡す。
此等の材料の木は皆、盗伐である。これを見付けて咎むれば、
疫病神がまいこむなどヽ悪口して居る。それから右の藁を以て四方を囲ひ、
小竹、篠竹、樅の葉などを用ひて屋根を十分にふき、
小屋の中には藁をしき、入口にはコモをつるし、
眞中に大きな爐をきるのである。竹の澤山にある作では、
ボンテン竹と称して太い青竹の先を少し笹を残し、
これにキリハギ(紙ヲ刻ミテ)をさげたものを立てることもある。
 (『石城北神谷誌』より)

 正月の13、4日頃、地区の子どもたちによって「鳥小屋」が作られること、
そして、「鳥小屋」の作り方やそれにまつわる風習、言い伝え、
さらには、「鳥小屋」が作られる場所などについて、
実に詳細に書かれている。また、「鳥小屋」に「ボンテン竹」といわれる大きく、
高い青竹が立てられるとも書かれている。
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いわきの「鳥小屋」(1)

2006年12月10日 | 伝説
 年の暮れから正月にかけ、いわき市内各地には、
たくさんの「鳥小屋」が作られる。
 「鳥小屋」というのは、
山から切り出してきた木材を柱や梁などの骨組みに用い、
それにススキや藁、笹、樅などで外壁や屋根を葺いて作る小屋で、
大きさは間口が約4m、奥行きが約4m、高さが2mほどのもので、
小屋の中には神棚が設けられ、囲炉裏も作られる。
「鳥小屋」は刈り入れが済んだ田圃などに作られ、正月の数日間、
地域の人たちが「鳥小屋」に集り、甘酒を飲んだり、
餅を食べたりして過ごす。
 また、1月7日、または8日の早朝、この「鳥小屋」に火を放ち、
その火で餅をあぶって食べるという「鳥小屋送り」という行事も行われるが、
これは一見の価値がある。
是非、いわきの地に足を運ばれますように・・・。

コメント (2)
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