『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月14日 爆竹 鳥小屋 火打合い

2009年07月07日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の
陰暦1月14日の項には、
次のような記述がある。

童子、毎家ノ門松、竹、杭木、併ニ薪ヲ乞集メ、
商家ハ一甼一甼ニ對手ドリ、
毎年塲所定リ、小川ヲ隔テ、双方長四、五間ノ小屋ヲ作リ、
松、竹、大たれ藁等ヲ以テ圍トシ、屋根ヲ葺キ、
四日ヨリ甼内ニ立置シ大梵天(ぼんでん)ヲ持来リ。
小屋ノ三隅ニ建テ、薪ヲ山ノ如ク積ミ、
申刻頃ヨリ童男、童女、大人モ打交リ、
竃ヲ塗リ、煮しめ様ノモノ取賄ヒ、餅ヲ炙リ、
酒ヲ飲ミ、福引シテ遊ブ。
サテ鳥逐ニハ、男子ハ手々ニ小(チイサ)キぼんでんヲ振立、
女子ハ羽子板ニ四手(ヨツデ)ヲ持添ヘ、
「ほう(放)いほういの鳥をば、
かし(頭)らお(折)つて、しほ(塩)つけて、
さんどがし(佐渡島)まへほう(放)いほうい」
ト繰返々々呼ブ。
是、作毛ニ鳥ノツカザル除ナリト。
日暮ニ及ベバ、頭巾、鉢巻ニ身ヲカタメ、
双方川岸ニ下リ立、煙杭(モヘクイ)ヲ擲チ、勝負ヲ挑ム。
互ニ声ヲカケ、攻寄セ攻寄セ打合テ、
勝タル方、同音ニ囃(ハヤシ)シ、件ノ小屋ニ火ヲカケ、
「とんどや さぎちやう(散鬼杖)」
トハヤシ、深更ニ家ニ帰ル。
とんどハ焞度ノ謂ニテ、猶ホ熢焞ト言フゴトク、
火ノ熾ナル貌ナリト藝園日渉ニ見ユ。
さぎちやうハ爆竹ニテ、其声隂氣ノ鬱滞セルヲ発散シ、
邪氣ヲ驚カシ、去シムルナリ。
帰リカケ、火撲ニ出ザル子供ノ家ニ往キ、
門戸ヲキビシク敲キ、其子ノ名ヲ呼テ嘲ル。
假設(タトヘ)バ、
「太郎なんどハ、なぜ今夜出へない、
十四日の赤豆の粥に、にえくるまつて、
くるまつて、それで今夜出へない」
ト呼リ呼リ帰ル。
火撲見物人多ク集ル。
農家ニハ火撲ハセズ、小屋ニテ酒飲ミ、
福引、鳥逐、爆竹ハ同様ナリ。
商家ノ子供、臘月ニ入レバ、街上ニ縄ヲ張リ、
薪賣馬ニ火撲木ヲ乞フ。馬奴モ心得テ、
餘計ノ木ヲ持来リ、思ヒ思ヒニ與ヘ通ル。
若シ惜ム者アレバ、ぼんてんヲ振立、割竹ニテ敲立、
馬ヲ驚シ、邪魔ヲナス。
門松ハ士家ヘモ来リ乞フ。
十五甼目、歳徳神ノ記ニ、
此火打合ハ、軍ノ勝敗ヲ試ントテ始リシトアリ。
十五甼目歳徳神別当、山伏龍藏院ナリ。
祭神ハ稲田媛ナリトイフ。
歳時記ニ暦林問答ヲ引テ、十干ノ隂陽配合シテ、
一年ノ間、萬物ヲ生ズルアル方ヲ歳トイフ。
神ノ名ニアラズ。隂陽家、附會シテ之ヲ神トシ、
祭ルノ非ナルヲ論ゼリ。
内藤露沾公、一年、歳神ヘ參詣アリ。
詠歌發句等ノ法楽アリトナリ。

これは、いわきの平地区で行われていた
爆竹や鳥小屋、火打合いについての
記述、説明ということになるが、
全体を現代的な表現に改めようとすると、
大変に膨大なことになってしまうので、
以下、
大よそのところだけを記します。

鳥小屋の準備をするのは、町内の子どもたちである。
磐城平城下の町家では、町内単位に鳥小屋を作る。
鳥小屋は木や藁などで作られる。
鳥小屋の四隅には梵天が立てられる。
夕方、鳥小屋の中でご馳走が振舞われ、福引なども行われる。
男の子は小さな梵天、女の子は羽子板を持って鳥追いをする。
日没と同時に火打合いが行われる。
町内ごとに敵味方となり、火のついた薪を投げ合う。
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1 コメント

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いわき出身者です (yotaka)
2009-07-08 19:22:23
いわき出身者です。大須賀筠軒を検索していて、このブログにたどりつきました。私の亡き祖父は生前、大須賀筠軒を研究しており、書籍を刊行し、「いわき地方史研究」などにも寄稿していたようです。筠軒の石碑の建立にも関わったと記憶しています。今後も興味深く拝見させていただきます。
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