『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月18日 毒虫よけのまじない

2010年01月18日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月18日の項には、
次のような記述がある。

十八日 十五日ノ赤豆粥ヲトリヲキ、
樒(シキミ)ノ葉ヲ焼キ、粥ニ添ヘテ、
諸毒蟲ニ螫(サヽ)レザル厭當(マジナヒ)ヲ為スモノアリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようなものになるかと思う。

陰暦1月18日
陰暦1月15日にお供えした小豆粥をとっておき、
この日、シキミの葉を焼いたものと一緒に神様にお供えする。
これはハチやヘビなどに刺されたり、
噛まれたりしないためのまじないだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陰暦1月17日 磐城四観音 | トップ | 高木誠一著『磐城の民謡・民... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

伝説」カテゴリの最新記事