天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月18日の項には、
次のような記述がある。
十八日 十五日ノ赤豆粥ヲトリヲキ、
樒(シキミ)ノ葉ヲ焼キ、粥ニ添ヘテ、
諸毒蟲ニ螫(サヽ)レザル厭當(マジナヒ)ヲ為スモノアリ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようなものになるかと思う。
陰暦1月18日
陰暦1月15日にお供えした小豆粥をとっておき、
この日、シキミの葉を焼いたものと一緒に神様にお供えする。
これはハチやヘビなどに刺されたり、
噛まれたりしないためのまじないだ。
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月18日の項には、
次のような記述がある。
十八日 十五日ノ赤豆粥ヲトリヲキ、
樒(シキミ)ノ葉ヲ焼キ、粥ニ添ヘテ、
諸毒蟲ニ螫(サヽ)レザル厭當(マジナヒ)ヲ為スモノアリ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようなものになるかと思う。
陰暦1月18日
陰暦1月15日にお供えした小豆粥をとっておき、
この日、シキミの葉を焼いたものと一緒に神様にお供えする。
これはハチやヘビなどに刺されたり、
噛まれたりしないためのまじないだ。