天保12(1841)年に、
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
寒中ニハ庚申待ヲセズ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
寒中には庚申待を行わない。
庚申講、庚申待は、
今でも、市内各地で行われていますよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fuku.gif)
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いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
寒中ニハ庚申待ヲセズ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
寒中には庚申待を行わない。
庚申講、庚申待は、
今でも、市内各地で行われていますよね。
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当方来年の地元庚申講の日程を調整しているのですが、年配の方よりから寒中の庚申講は行わないのではないかとの意見がでました。そこで、関係しそうなワードを組み合わせて検索してみたのですが、こちら様のHPしかぴったりの事例がありませんでした。
当方日蓮宗系の講なので、お奉りしてある掛け軸の入手先である柴又帝釈天にまで問い合わせしてみたのですが、そのような事は聞いたことがなく、実際帝釈天では寒中も行事を行っている、2ヶ月毎のかのえさるに必ず行うのに意味があるので、「行わない」という考えは矛盾するように思えるというご返事でした。ということで、寒申の庚申を避けるという意義を肯定する理屈探しが挫折してしまいました。
そちら様でこの記事以上このことに関して情報がありましたら、ご提供願えないでしょうか。
ずっと気が付かずにおりました。
大変申し訳ありませんでした。
寒中の庚申は行わない
ということにつきましては、
当方も、これ以上の知識がございません。
今後、情報を入手いたしましたら、
このブログでお知らせします。