『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月14日  あかぎれ・貧乏がうつる?

2009年01月08日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月14日の項には、
次のような記述がある。

十四日 朝五ツ時前ニ、城下ノ者互ニ相見ル時、
誰さんト呼ブ。决シテ答ヘズ。
若シ、うかト答フルモノアレバ、あかぎり貧乏うつたよトイフ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月14日 朝の8時前、城下の者たちが出会った際、
「○○さん」と声を掛けられても、
決してそれに答えてはいけない。
もし、うっかりして「はい」などと返事をしてしまうと、
「あかぎれ貧乏うつったよ」と言われる。
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陰暦1月14日  小年

2009年01月06日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月14日の項には、
次のような記述がある。

十四日ヲ小年トイフ。
十二月晦日ヲ大年トイフニ對ス。
又、纏(マトヒ)年越トモイフ。
節分、大年、六日年越ヲ過来リ、
纏ヒ納ムル年越トイフ事ナリ。
若餅(ワカモチ)ヲ搗キ、弓矢、刀劍、
斧(オノ)鉞(マサカリ)、梳笥、鏡臺、臼杵、
鍬鎌、機脚、戸障子、爐上ニ釣リタル自在鍵(カギ)ニマデ、
ふくら餅一重ヅヽ、孰レモ其噐々ニ載セ供フ。
自在鍵ナドハ餅ヲ串刺ニシテ、其縄ニ挾ム。
戸障子ヘハ小(チイサ)クはやして載セ供フ。
其供ヘタル餅ヲ竊ミ食スレバ、春なづき病マズト云フ。
なづきトハ頭痛ノ方言ナリ。是日烹タル食物ハ、
何ニテモ當日ニ用ヒ盡シテ、翌日ヘ残サズ。
翌日ニ残レバかきしろガ残ルトイフ。
大晦日モ同段ナリ。
是ハ、五月、植しろヲかきコシラヘテモ植ル事ナラズ、
残ルトイフ事ナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月14日を小年という。
12月の最終日を大年というが、
それに対して、このようにいわれる。
また、14日を纏年越ともいう。
節分、大年、六日年越を過ぎ、
それまで飾っておいた纏を仕舞うという意味合いから、
このようにいわれている。
陰暦1月14日には餅を搗き、弓矢や刀、
剣、斧、まさかり、櫛、鏡台、臼、杵、
鍬、鎌、機織機、戸、障子、囲炉裏の自在鍵などにも、
餅を一重ずつ、それぞれの形状に合わせ、
工夫してお供えする。
自在鍵などにお供えする際には、
餅を竹串に刺し、それを自在鍵の縄に挟んだりする。
戸や障子にお供えする時には、餅を小さく切り分けて、
お供えする。
この日にお供えした餅を、
人に見つけられないように食べると、
春になってから、頭痛に悩まされることがないという。
また、この日に調理した食物は、
この日のうちに必ず食べ尽くすことになっている。
もし、翌日に残すと、苗代の稲苗がうまく育たず、
田植えの時に苗に不自由してしまうといわれている。
この風習は大晦日の時も同様だ。
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