天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月14日の項には、
次のような記述がある。
十四日 朝五ツ時前ニ、城下ノ者互ニ相見ル時、
誰さんト呼ブ。决シテ答ヘズ。
若シ、うかト答フルモノアレバ、あかぎり貧乏うつたよトイフ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
陰暦1月14日 朝の8時前、城下の者たちが出会った際、
「○○さん」と声を掛けられても、
決してそれに答えてはいけない。
もし、うっかりして「はい」などと返事をしてしまうと、
「あかぎれ貧乏うつったよ」と言われる。
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月14日の項には、
次のような記述がある。
十四日 朝五ツ時前ニ、城下ノ者互ニ相見ル時、
誰さんト呼ブ。决シテ答ヘズ。
若シ、うかト答フルモノアレバ、あかぎり貧乏うつたよトイフ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
陰暦1月14日 朝の8時前、城下の者たちが出会った際、
「○○さん」と声を掛けられても、
決してそれに答えてはいけない。
もし、うっかりして「はい」などと返事をしてしまうと、
「あかぎれ貧乏うつったよ」と言われる。