今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の「盆中」の項には、次のような記述もある。いわきの名物「じゃんがら念仏踊り」についての記述だ。
盆中、各國トモニ舞踏アリ。其曲、其状、各異同アリ。我郷ノ念佛躍、名ハ松ケ崎題目おどり。糺ノ念佛おどりト同ジナレドモ實ハ一種ノ踏舞ナリ。俚諺ニ、「岩城の名物ぢやんがら念佛菜大根、脊中ニ灸點てんのくぼ」トイフ。郷人ハ皆了知スル事ナレドモ、名物ト称スルハ岩城ニ限リシ一奇俗ナレバ、此ニ其概畧ヲ記セン。ぢやんがら念佛トハ即念佛躍ニテ、男女環列、鉦ヲ敲キ、皷ヲ撃ツ。皷者両、三人、中央ニアリ。白布頭ヲ約シ、袖ヲ括ル。之ヲ白鉢巻、白手繦トイフ。皷ヲ腹下ニ着ケ、頭ヲ傾ケ、腰ヲ屈メ、撥ヲ舞シ、曲撃ス。鉦者数名、打粧皷者ニ同ジク、鉦架ヲ左肩ニシ、丁子木ヲ以テ摩敲ス。皷ノ数ヲ幾からトイヒ、鉦ヲ敲クヲきるトイフ。踏舞スル者、之ニ雜リ、皷者ヲ環リ、鱗次輪行ス。鉦皷ニ緩急アリ。其急ナルヤ、走馬燈ヲ観ル如ク、張三李四、手ヲ振テ走ル。其緩ナルヤ、一斉ニ唱ヘテ曰ク、なァーはァーはァーなァーはァーはァーめェーへェーへェーめェーへェーへェー。媚舞巧踏、手ヲ拍テ節ヲ為ス。所謂じんくおどりニ類似シテ非ナルモノナリ。其中、男ニシテ女粧スル者アリ。女ニシテ男粧スル者アリ。或ハ裸體ニシテ犢鼻褌ヲ尾垂シ、其端ヲ後者ノ犢鼻ニ結ビ、後者モ亦 端ヲ尾垂スルアリ。或ハ菰莚ヲ鎧トシ、蓮葉ヲ兜トシ、箒、檑木等ヲ以テ大小刀トシ、假面ヲ蒙リ、武者ニ扮スル者アリ。務テ新ヲ競ヒ、笑ヲ釣ル。其醜態目スルニ忍ビザルモノアリ。此ぢやんがら念佛ハ、獨リ盂蘭盆ノ節ノミナラズ、各神社佛閣ノ宵祭リニモ躍ル。或ハ開帳、入佛供養、大般若會等ニモ躍ル。領主ノ法事執行ノ時モ其菩提寺ニ来リ、堂前ニテ躍ル。當坐ニ酒肴ヲ賜フ。但、盆中ト宵祭ノ外ハ、男女粧ヲ異ニスル如キ醜態ハナカリシ。縣治以来、其弊害アルヲ察シ、禁ゼラレタリ。今ヤ稍々舊ニ復スル模様ナリトゾ。
これを現代的な表現に書き改めると、次のようになるかと思う。相当のボリュームになるが、お付き合い願いたい。
お盆の間、日本全国各地で盆踊りが行われる。盆踊りの歌や曲、踊り方などは、その土地土地で、さまざまである。
我、いわき地域の念仏踊りは、名を「松ケ崎題目踊り」といい、「糺の念佛踊り」とほぼ同じものだが、異なるところもある。
ところで、いわきの昔からの言葉に「岩城の名物 ぢゃんがら念仏、菜大根、背中に灸点、てんのくぼ」というものがある。ここにある「じゃんがら念仏踊り」のことを、いわきの人々は勿論、知っているが、いわきの名物でもあるので、以下、その概略を記すこととする。
「じゃんがら念仏踊り」は念仏踊りの一つで、男女が輪になったり、列になったりして踊るものである。また、その際、鉦(かね)や太鼓が用いられる。
太鼓を叩く者の数は2、3人で、輪の中央に位置する。白い布で頭を縛り、袖をたくし上げる。この出で立ちを「白鉢巻、白手繦」という。太鼓は腹の下の方に付け、頭を傾け、腰を屈め、手に持った撥(ばち)を巧みに使い、舞を舞っているような仕草で太鼓を叩く。
また、鉦を叩く者の数は数人で、出で立ちは太鼓と同じである。鉦を左肩から提げ、「丁字木」という撥で、こするようにして叩く。
太鼓の数を数える時には、「ひとがら」「ふたがら」と数え、鉦を叩くことを「きる」という。
「じゃんがら念仏踊り」は太鼓を叩く者と鉦を叩く者とによって踊られるが、それ以外に「踏舞する者」、つまり、太鼓も鉦も持たず、ただ踊りを踊るだけの者たちも「じゃんがら念仏踊り」の輪に加わる。これらの「踏舞する者」たちは、太鼓を叩く者たちの周囲を廻りながら踊り続け、踊りの輪をどんどん増やしていく。
太鼓や鉦のテンポには緩急がある。テンポが速いところでは、走馬燈のように目まぐるしく手を振り、アップ・テンポに踊る。また、テンポが緩やかになると、皆が一斉に「なァーはァーはァー、なァーはァーはァー、めェーへェーへェー、めェーへェーへェー」と歌いながら、艶やかに踊り、手拍子を打ち、節を付ける。これは甚句踊りに似たものではあるが、異なるところもある。
「じゃんがら念仏踊り」の輪の中には、女装した男がいたり、男装の女もいる。また、裸になり、自分の褌と他人の褌と結び、「じゃんがら念仏踊り」を踊っている者もいる。さらには、鎧に見立てた菰や莚を身に付け、蓮の葉を兜に見立て、箒や擂り粉木棒を大小の刀の代わりにし、仮面をかぶり、武者に扮装して踊る者もいる。
このように人々はパフォーマンスの斬新さを競い、笑いを誘うことに躍起となる。なかには度を超してしまい、見るに忍びないような有り様の者たちもいる。
「じゃんがら念仏踊り」はお盆の時だけに踊られるのではなく、神社仏閣の宵祭りや開帳、入仏供養、大般若会などの時にも踊られる。また、領主の法事の際などにも、その菩提寺で踊られ、「じゃんがら念仏踊り」の一行に酒や御馳走が振る舞われる。
しかし、踊りの輪に加わる者たちが男装をしたり、女装をするなどのパフォーマンスの限りを尽くすのは、お盆と宵祭りの時だけである。
明治6年(1873)、「じゃんがら念仏踊り」は公序良俗に害をなすとか、近代化した文明社会に相応しくないとの理由から禁止されてしまった。
しかし、一旦禁止された「じゃんがら念仏踊り」ではあったが、現在(明治25年(1892)頃)では、以前のようなかたちのようなものに戻りつつある。
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随分、長くなってしまってすみませんでした。
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でも、お付き合いいただき、ありがとうございました。