『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

磐城平城下の馬市 その4

2007年04月22日 | 歴史
江戸時代、大変な盛況のうちに催されていた磐城平城下の馬市について、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)に、
次のようにも書いている。

城下市日ニハ、遠近四方ヨリ来リ、
輻(あつま)ル馬ヲ牽クモノ多シ。
城下ニ入ル五道アリ。
或人、一日巳刻ヨリ午刻迄、一方ノ馬数ヲ数ヘシニ、
七百六十三アリシト。
五道、朝ヨリノ馬数、推シテ知ルベシ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

磐城平城下で市が開催される日には、
遠近、四方から多くの人々がやって来るが、
その際、馬を牽いてやって来る人も多い。
磐城平の城下に通じる道は5本あるが、
市が開かれる日、ある人が午前10時頃から正午までの間、
一つの道で、そこを通る馬を数えたところ、
その数は763頭にのぼったという。
道は5本あるわけで、
実に多くの馬が市にやって来ていたことが知れるというものだ。
コメント (1)
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