江戸時代、大変な盛況のうちに催されていた磐城平城下の馬市について、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)に、
次のようにも書いている。
城下市日ニハ、遠近四方ヨリ来リ、
輻(あつま)ル馬ヲ牽クモノ多シ。
城下ニ入ル五道アリ。
或人、一日巳刻ヨリ午刻迄、一方ノ馬数ヲ数ヘシニ、
七百六十三アリシト。
五道、朝ヨリノ馬数、推シテ知ルベシ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
磐城平城下で市が開催される日には、
遠近、四方から多くの人々がやって来るが、
その際、馬を牽いてやって来る人も多い。
磐城平の城下に通じる道は5本あるが、
市が開かれる日、ある人が午前10時頃から正午までの間、
一つの道で、そこを通る馬を数えたところ、
その数は763頭にのぼったという。
道は5本あるわけで、
実に多くの馬が市にやって来ていたことが知れるというものだ。
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)に、
次のようにも書いている。
城下市日ニハ、遠近四方ヨリ来リ、
輻(あつま)ル馬ヲ牽クモノ多シ。
城下ニ入ル五道アリ。
或人、一日巳刻ヨリ午刻迄、一方ノ馬数ヲ数ヘシニ、
七百六十三アリシト。
五道、朝ヨリノ馬数、推シテ知ルベシ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
磐城平城下で市が開催される日には、
遠近、四方から多くの人々がやって来るが、
その際、馬を牽いてやって来る人も多い。
磐城平の城下に通じる道は5本あるが、
市が開かれる日、ある人が午前10時頃から正午までの間、
一つの道で、そこを通る馬を数えたところ、
その数は763頭にのぼったという。
道は5本あるわけで、
実に多くの馬が市にやって来ていたことが知れるというものだ。