『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月11日   鍬入れ  農立て

2008年10月15日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月11日の項には、
次のような記述がある。

十一日 朝早ク、若水ヲ汲ミ、
商家ハ倉開(クラビラ)キ、帳綴(トジ)ノ祝アリ。
農家ハ鍬入トテ、方言ニのうだてトモイフ。
田畑ヘ徃キ、二鍬、三鍬入レ、松榊ヲ立テ、
心中ニ早稲(ワセ)、中稲(ナカテ)、晩稲(オクテ)ト唱ヘ、
鏡餅、さごヲ供ヘ、おからすおからすト呼ブ。
烏ノ早クトリタルヲ當リ稲ト知ル。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月11日 早朝、若水を汲む。
この日、商家では「倉開き」を行い、「帳綴の祝い」をする。
また、農家では「鍬入(土地の者たちは
「農立て」と言う)」という行事を行う。
これは、田畑に行き、二、三回、鍬で土を耕し、
そこに松や榊を立て、鏡餅や白米を供え、
言葉には出さないで「早稲、中稲、晩稲」と唱える。
そして、次に「おカラス、おカラス」と大きな声で叫ぶ。
そうすると、カラスが飛んで来て、
供えた白米をついばむことになるのだが、
その時、「早稲、中稲、晩稲」のうち、
最初にカラスがついばんだ米が、
その年の当たり稲、
つまり、その米が豊作になるといわれている。
コメント (4)
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