『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月  元日

2008年06月20日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月元日の項には、
次のような記述がある。

元日 門松、若水、雜煮、屠蘓、三日ニ至ルマデ同様ナリ。
各自、家例異同アレドモ、煩瑣ナルヲ以テ記サズ。
惠方ニ開テ張(ハル)注連(シメ)ヲ年縄(トシナワ)トイフ。
商家ハ店休(タナヤス)メトテ、見世ヲ開カズ。
終日、屋中ヲ掃除セズ。
日本歳時記ニ、新ニ来ル陽氣ヲ掃ヒ捨テズ、
静養スル意ナルベシトイヘル、是ナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

元日 元日、2日、3日の正月3が日の間、
門松を飾り、若水を汲み、雜煮を食べ、屠蘇を飲む。
これらには家ごとにさまざまなスタイルがあるが、
それらのいちいちを、ここには記さない。
その年の歳神様がやって来る方角を恵方というが、
その方角を開け、室内に張り巡らす縄を年縄という。
商家では元日を「店休」とし、店を休む。
また、元日には家の掃除をしない。
これの謂われについて、
『日本歳時記』には
「新ニ来ル陽氣ヲ掃ヒ捨テズ、
静養スル意ナルベシ」との記載がある。
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陰暦12月 節分 

2008年06月19日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の節分の項には、
次のような記述がある。

節分 鰮魚(イワシ)ノ頭ト杠谷樹(ヒヽラギ)ヲ門戸ニ插ミ、
鬼打豆ヲ撤スル、他方ニ異ナラズ。
老幼男女トモ豆ヲ数(カゾ)フル、
歳ノ数ノ如クシ、一ヲ加ヘ、
之レニ銭一文ヲ添ヘ、紙ニ包ミ、
疫除(ヤクハラヒ)ニ與フ。或ハ十字街上ニ捨ツ。
疫除ハ街上ヲ走行シ、高ク、御厄はらひませうト呼ブ。
明年、厄年ニ丁(アタ)ル者多ク厄落(ヤクオトシ)トイフヲ為スナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

節分 この日には、
イワシの頭とヒイラギの葉を門口や戸口に挿し、
鬼を払うための豆を撒くが、これはいわき特有なものではない。
また、老人も子どもも、男も女も、
自分の年齢よりも一つ多くの数の豆と
銭1文(約20~50円)を紙にくるみ、
「厄払いの者」にあげたり、十字路に置いたりする。
「厄払いの者」は大きな声で
「御厄払ひませう」と叫びながら街中を歩き回る。
来年、厄年を迎える者は「厄落とし」ということをする。

かつては、「厄払いの者」という人がいたらしい。
この人は町内を巡って歩き、
各家庭から豆とお金を預かり、
四辻で鬼を追い払うために
豆撒きをしたらしい。
江戸時代の資料を読んでいると、
節分の行事として、
よくこのような記述がある。

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大晦日

2008年06月11日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月大晦日の項には、
次のような記述がある。

大晦日 大歳トイフ。正月十四日ヲ小歳トイフニ對ス。
按ニ、支那ニテハ、冬至前一日ヲ小歳ト為シ、冬除夜トス。
冬除夜ハ歳除夜ニ對スルナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

大晦日 「大歳」ともいう。
正月14日を「小歳」と対になっている。
中国では、冬至の前の日を「小歳」とし、
「冬除夜」とも言う。
「冬除夜」は「歳除夜(大晦日)」と対になっている。
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陰暦12月27日  餅つき 松飾り

2008年06月06日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月27日の項には、
次のような記述がある。

廿七日 餅搗キ。若松ヲ迎フ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦12月27日 正月の餅を搗き、迎春の松飾りを飾る。
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