大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が
明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』には、
平の塩の虚空蔵尊のお祭りのことが記されていたが、
それに続けて筠軒は、神社やお寺に参詣する際の女性の服装についても、
次のように記している。
農商家ノ婦女、神社佛閣ノ参詣、或ハ物見遊山ナドニテ外出ノ時ハ、
下着ノ單物(ひとえもの)ヲ餘(あま)シ、
上着ノ両妻(りょうづま)ヲトリテ帯ニ挟ム。
單衣(ひとえ)ヲ下着ニスルコト、常例ナリ。
夏モ一重帷子(ひとえかたびら)ナル以下ノモノハ、
脚布(きゃふ)計(ばか)リヲ垂テ、帷子ノツマヲ挾ム。
是ナン吾妻からげトイフニヤト、枕友ニ見ユ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
農家や商家の女性が、神社や佛閣に参詣する際、
あるいは物見遊山などに出掛ける際には、
下着はそのままにし、上着の両方の裾をたくし上げ、
それを帯に挟むというような出で立ちをする。
単衣物を下着に用いるのが普通だ。
しかし、夏には下着は付けないので、その場合には、
上着の裾をたくし上げ、腰巻だけを下げて外出する。
この出で立ちを「吾妻からげ」という。
このようなことが吉田定顕の著述『磐城枕友』に書いてある。
明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』には、
平の塩の虚空蔵尊のお祭りのことが記されていたが、
それに続けて筠軒は、神社やお寺に参詣する際の女性の服装についても、
次のように記している。
農商家ノ婦女、神社佛閣ノ参詣、或ハ物見遊山ナドニテ外出ノ時ハ、
下着ノ單物(ひとえもの)ヲ餘(あま)シ、
上着ノ両妻(りょうづま)ヲトリテ帯ニ挟ム。
單衣(ひとえ)ヲ下着ニスルコト、常例ナリ。
夏モ一重帷子(ひとえかたびら)ナル以下ノモノハ、
脚布(きゃふ)計(ばか)リヲ垂テ、帷子ノツマヲ挾ム。
是ナン吾妻からげトイフニヤト、枕友ニ見ユ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
農家や商家の女性が、神社や佛閣に参詣する際、
あるいは物見遊山などに出掛ける際には、
下着はそのままにし、上着の両方の裾をたくし上げ、
それを帯に挟むというような出で立ちをする。
単衣物を下着に用いるのが普通だ。
しかし、夏には下着は付けないので、その場合には、
上着の裾をたくし上げ、腰巻だけを下げて外出する。
この出で立ちを「吾妻からげ」という。
このようなことが吉田定顕の著述『磐城枕友』に書いてある。