『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

いわき湯本の白鳥阿弥陀堂の縁日

2007年04月11日 | 歴史
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が
明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』の
旧暦3月15日の項に次のような記述がある。
いわき市常磐の白鳥にある阿弥陀様についての記述だ。


十五日 白鳥阿弥陀、縁日ナリ。
白鳥阿弥陀ハ城南二里餘、北白鳥村ニアリ。堂領御朱印五石。
大同二年、藤原草刈磨、一大師ト謀リ、草創スル所ナリトゾ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

旧暦3月15日は白鳥の阿弥陀様の縁日である。
白鳥阿弥陀堂は磐城平城の南の方角約8キロメートルのところにあり、
5石の御朱印領を拝領している。
大同2年(807)に藤原草刈磨が徳一大師と力を合わせ、
この地に創建したものと伝えられている。

いわき市の常磐湯本は温泉地として全国に知られているが、
「四時湯客絶ヘズ(一年を通して温泉客が途絶えることがない)」
と言われた江戸時代のいわき湯本温泉の隆盛ぶりは、
『磐城誌料歳時民俗記』の2月15日の項に、
次のように記されている。

湯本ハ城ノ西南一里二十八甼、三箱山ノ南麓ニアリ。
温泉数所ニ湧出ス。埋樋アリ、家々ニ分チ引キ、浴槽ヲ設ク。
三箱ノ御湯、是ナリ。古歌ニ、
「あかずしてわかれし人の住む里はさはこのみゆの山のあなたか」。
温泉神社アリ。延喜式神名牒ニ載ス。古ヨリ名勝ノ區ナリ。
枕友ニ、四時湯客絶ヘズ、湯女アリ、戸数三百餘、繁昌ノ地ナリト記ス。
西嶋蘭溪ノ病間偶筆ニ、磐城三箱ノ温泉ハ古歌モアリテ、名所ナリ、
土風ニ、「送りましよかよ天王崎へそれで足ずば舟尾まで」
トイフアリ。送我上宮ノ國風ニ彷彿タリト見ユ。

いわき湯本温泉では、かつて地区内の数箇所から温泉が地表面に自噴し、
それを埋め樋などで各家に引き入れていたという。
また、いわき湯本に鎮座する温泉神社は
「延喜式」に記載がある「式内社」で、
そのことからもいわき湯本温泉の古い歴史を窺い知ることができる。

コメント
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