大須賀筠軒(天保12(1841)~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月1日の項には、
次のような記述がある。
朔日 かはひだり、或ハかはツぱいり。
安達、信夫邉ニテハ、おつぱらい朔日トイフ。
朔日トテ、餅ヲ搗キ祝フ。
かはびたりトイフ事、未ダ考ヘズ。
日本歳時記ニハ、乙子朔日トイフトアリ。
乙子ハ末子ノ事ナリ。
磐城方言ニ、よてぼう、或ハかごはらひトイフ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
陰暦12月1日を「かわひだり」、
あるいは、「かわっぱいり」と言ったりもする。
福島県の安達や信夫地域では、
この日のことを「おっぱらい朔日」と言う。
月の初めということで、餅を搗き、お祝いをする。
「かわびたり」ということが何なのか、私は考えたことがない。
江戸時代に書かれた『日本歳時記』には
「乙子朔日」ということが書かれている。
「乙子」というのは「末子」のことだ。
いわき地域の方言では、
「末子」のことを「よてぼう」「かごはらひ」と言う。
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月1日の項には、
次のような記述がある。
朔日 かはひだり、或ハかはツぱいり。
安達、信夫邉ニテハ、おつぱらい朔日トイフ。
朔日トテ、餅ヲ搗キ祝フ。
かはびたりトイフ事、未ダ考ヘズ。
日本歳時記ニハ、乙子朔日トイフトアリ。
乙子ハ末子ノ事ナリ。
磐城方言ニ、よてぼう、或ハかごはらひトイフ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
陰暦12月1日を「かわひだり」、
あるいは、「かわっぱいり」と言ったりもする。
福島県の安達や信夫地域では、
この日のことを「おっぱらい朔日」と言う。
月の初めということで、餅を搗き、お祝いをする。
「かわびたり」ということが何なのか、私は考えたことがない。
江戸時代に書かれた『日本歳時記』には
「乙子朔日」ということが書かれている。
「乙子」というのは「末子」のことだ。
いわき地域の方言では、
「末子」のことを「よてぼう」「かごはらひ」と言う。