『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

稲の種籾を播く 水口祭り その1

2007年04月24日 | 歴史
私の家にも、稲の苗が届けられ、
庭先の温室のなかで、今、その苗が育っている。
もう少しすると、田植えだ。

大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)の
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)には、
稲の種籾(たねもみ)を播(ま)く際に行う
「水口祭り」についても記載がある。
旧暦3月の記事だ。

是月 籾種ヲ蒔キ、水口ヲ祭ルニ、
正月神棚ノかいしき紙ヲトリオキ、
三角ニ疊ミ、萱莖(かやくき)ヲ割リテ插ミ、
櫻、ツバキ、蹢躅(つつじ)類ノ花ヲ添ヘ、水口ニサス。
其下ヘ焼米少シヅヽ三處ニ供フ。
焼米トイフハ種籾ヲ蒸シ乾シテ、舂クモノナリ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

旧暦3月 稲の種籾(たねもみ)を播き、水口祭りを行う。
その際には、正月に神棚にお供えをする際に用いた懐敷き紙を取っておき、
それを三角に折り、萱茎を割ったものに挟み、
それ田の水口にさし立てる。
また、その際にはサクラやツツジなどの花も一緒にさす。
そして、さらにそれらの元の方に、
焼米を少しずつ、三か所にお供えする。
焼米というのは種籾を蒸し、乾して、搗いたものである。

このような「水口祭り」の習いも、
今ではほとんど見られなくなってしまった。
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