『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月14日 モグラ除け

2009年02月27日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月14日の項には、
次のような記述がある。

十四日 夕方ニ二甼目ノ豪商石川両家ニテハ、
下男ニ上下ヲ着セ、槌ト火箸トヲ荒縄ニ結付、
地上ヲ曳キ行ルキ、
むぐらどんはおやどにか、なまこどんのおとほりだ。
繰返々々唱ヘ、門内ハ勿論、近隣マデモ引アルク。
是ハ鼴鼠ヲ除ク禁咒ナリトゾ。
ムグラモチヲむぐろトイフ。
沙噀(ナマコ)ハ鼴鼠ノ嫌フモノニテ、
之ヲ庭ノ四隅ヘ埋メ置ケバ、
ムグラモチノ地ヲ墳(ウゴモ)ツ事ナシトイフ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月14日 この日の夕方、
磐城平城下2町目の豪商、石川両家では、
下男が羽織、袴を着、木槌と火箸を荒縄に結び付け、
地上を引き歩き、
「むぐらどんはお宿にか、なまこどんのお通りだ」
と繰り返し唱える。
自分の屋敷内だけではなく、近所までも引き歩く。
これはモグラを退治するための
おまじないのようなものである。
また、モグラはナマコを嫌うといわれ、
ナマコを屋敷の四隅に埋めておくと、
モグラの被害にあわないという。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陰暦1月14日  木まじない ... | トップ | 陰暦1月14日 鳥逐 火撲... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2011-01-14 19:20:07
母から”もぐらもち”を聞いたことがあります。私の菜園の所々にモグラがトンネルの土を掻き出しています。土が肥えて得てミミズなどがたくさんいるのでしょう。ヒガンバナが生えている土手などにはモグラは近づかないとか。菜園に有毒なヒガンバナを植えることは拙いです。ナマコで防げても入手困難。捕殺も何故か可哀想。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

伝説」カテゴリの最新記事