江戸時代、磐城平城下で開かれていた馬市について、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)のなかに、
次のようにも書き記している。
馬ハ平頸ノ髪ヲ薙ズ、長ク両方ヘ垂ルヽヲ文飾(かざり)トス。
薙レバ、馬ノ價減ズ。
これを現代的な表現に書き改めると、次のようになるかと思う。
馬はうなじの毛を切らず、伸び放題にし、
うなじの両サイドに長く垂らしておく。
これが一つの飾りとなっており、毛を切ってしまうと、
馬の値段が下がってしまう。
このようなことがあったのですね・・・。
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)のなかに、
次のようにも書き記している。
馬ハ平頸ノ髪ヲ薙ズ、長ク両方ヘ垂ルヽヲ文飾(かざり)トス。
薙レバ、馬ノ價減ズ。
これを現代的な表現に書き改めると、次のようになるかと思う。
馬はうなじの毛を切らず、伸び放題にし、
うなじの両サイドに長く垂らしておく。
これが一つの飾りとなっており、毛を切ってしまうと、
馬の値段が下がってしまう。
このようなことがあったのですね・・・。