Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

個人情報で破壊される社会

2006-01-25 01:06:34 | 現代国学:政体(政府)・国体・皇統・伝統
「個人情報」の保護は良い事だ。誰もがそう思う。しかしながら「個人情報」を定義し、これについて考察する人々は少ない。この事が意外にも社会に悪影響を及ぼしていると思うのは私だけだろうか?ここに「個人情報」の示唆する「匿名性」について考えてみたい。「共同体の破壊」を「個人情報」の保護は助長していないか?日本社会を分断するこの怪物は、日本社会の社会的抑圧を取り去り、個人主義者には暮らし易くしたのみならず、意外に深刻な社会病理を残していないか?[以下に続く↓]

医療業界では個人情報の問題は深刻である。これを保護すると言う事は"死守する"と言う言葉が妥当であるようにすら思える。氏名から始まり、その他の属性を全てコード化して管理する。コード化された情報の持ち主が誰であるか符合されないと、コード化は意味を失う。ここでは「個人情報」とは氏名も含めた全ての情報である。

では一般社会ではどうか。ネット社会ではハンドルネームを使用する。匿名性は何をもたらしたか?「2ちゃんねる」に代表されるように、匿名性の裏に隠れた無責任且つ攻撃的な言説が今も横行している。お互いを罵り合い、傷つける。匿名性がもたらした人間不信・社会不信である。

最近の日本の会社では首からIDをぶら下げる事になっている。IDの意味は何だろうか?一昔前ならば、顔を見せれば誰なのか判別が付いた。今ではカードを見なければならないのである。カードは人間不信を意味する。顔ではなく、カードを見せないと誰も信用してくれない。たとえカードが偽造であっても、社会は、人間は、他人を信用しなくなったのである。

最近の小学校・中学校では緊急連絡簿が作れないと言う。「個人情報の保護」だそうだ。会社のみならず、学校でも人間不信・社会不信が増大しているのである。そしてそれをあろう事か、親御さんが助長しているのである。子供が人間不信を親を通して忠実に学んでいくのである。この行く末や、推して知るべしである。

共通する病理は何だろうか?「人間不信」に基づく「社会不信」を通じた「共同体の破壊」、これが「個人情報」保護社会の結末だ。共同体が破壊された今、向こう三軒隣りは味噌や醤油を借りに行くところではもはやない。人々は地域社会=共同体にすら属していない。帰属意識の無いところ、責任の所在も関心も薄くなる。

最近、小学生や幼児を狙った犯罪が多いのは、ひとえに「個人情報社会」のゆえでは無いだろうか?あの個人主義社会アメリカでも地域コミュニティーは元気である。災害が、犯罪が起きると、おじいちゃんもおばあちゃんも立ち上がってキャンペーンをしたりする。個人情報に象徴される個人主義を補償するものとして、コミュニティー=地域社会=共同体がしっかりと生きているのだ。地域でボランティアを推進したり、募金を集めたり、がんなどの難治疾患のためにファンド・レイジングをしたりするのである。

日本が真似している超・個人主義社会はアメリカ都市部なり、フランス都市部なり、世界の特殊な地域の事情に過ぎない。あなたは「個人主義」をどう定義しますか?そしてそれを頑なに守る事で、社会とのつながりは希薄になっていませんか?


①「個人情報」概念の悪用又は誤解
②IDカードの使用
③人間不信・社会不信の政府・公共団体等による助長
④地域社会・共同体の破壊
⑤地域社会のもつ犯罪抑止力の激減

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