Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

We were soldiers ~空援隊の皆さんとの出会い~

2009-09-19 00:57:29 | 現代国学:政体(政府)・国体・皇統・伝統
『フィリピンの遺骨収集、政府見直し 「住民の証言重視」の新方式に』と言う記事にも登場する特定非営利活動法人空援隊(くうえんたい)の皆さんとのひと時を過ごした。ご多忙の中のスケジュールを縫って何とか本日の会合に漕ぎつけたのである。東洋大学国際地域学部と重ねて貴重な日本からのお客様と言う事で私も何とか頑張って会合に臨んだ。

色々と興味深いお話を聞く事が出来て、何物にも代え難い経験をした気がした。まず厚生労働省の遺骨収集事業担当部署は局レベルどころか小さな課内の事業室レベルで担当係官はせいぜい20名程度であること、担当部署は年々縮小傾向にあり、ついに一時は3年と言う年限を付けて遺骨収集事業の終了が宣言された事もあった事、また年限終了間際に空援隊が立ち上がった事などである。

酷かったのは厚生労働省の官僚の無能さではなく、遺骨を目の前にして手も合わせない、或いは短い祈りを捧げるでもないその精神だった。公務員だから個を持っていてはならないのか、「政教分離」なる訳の解らない原理原則を持ち出しているのか、亡くなられた方を前にして自然と祈る気持ちも起こらない事はどうなのだろう。特定の信仰や、或いは信仰心を持っていなかった頃の私ですら、弔いについては真面目に考えていたものだ。

次に、千鳥が淵に埋葬されるまでは厚生労働省の倉庫に入れられる事、役人達は自分達だけ上級クラスの飛行機に乗ろうとした事、予算は付いたものの情報収集と称して地元の行政単位「バランガイ」においてポスターを貼ってバランガイリーダーに告知をするだけの活動をしていた事など、「官に出来ない事は民で」と言う厚生行政の実態が明らかになった。「民で出来る事を民で」ではない事に留意。一連の話から、民間人は官僚をどやし付けて税金分の働きをして貰わないとアカン!との教えを頂いた。空援隊設立代表発起人でジャーナリストの倉田さんはTAXPAYERの鑑と仰ぎたい。

私はフィリピン保健省との繋がりから以前記事にした南方第14陸軍病院跡地を発見し、これが契機となって今回の会合へと繋がったのだが、よもや空援隊設立代表発起人でジャーナリストの倉田氏その人がスービックでバルナバクリニックを開業する富田江里子さんのお知り合いとは縁は誠に異なもの味なものである。診療所がいかに人材不足か、医療物資不足か、資金不足かは私も公営病院を見ているから知っている。実際に、空援隊の皆さんからお聞きした内容も私の見聞と寸分違わずであった。




<会合の後にひと悶着>
帰り際にホテル前に停泊するタクシーを客引きにすすめられて乗ったが、300ペソと言う高額を吹っかけられて車内で喧嘩となる。ひるんだオヤジは「わかった、わかった・・・200ペソにするよ。」と妥協してきた。賢い選択である。しかし本当の値段を既に知っている私は200ペソもの「高額」を払う訳にはいかなかった。後からフィリピンを訪問するであろう1億3000万同朋がより良い待遇を受けられん事を願って戦う事にした。戦闘開始、撃ちぃ~方始め!

「300だと?行きは130ペソで来られたんだぞ!!もういい、ここで降ろせ!!」と言って一文も払わずにタクシーを降りた。その間、少しは距離を稼いだので次のタクシーをつかまえた時も行きよりも少ない金額で家路につけた。俺を誰だと思ってるんだ、オヤジ・・・とは言わなかったが、死を覚悟して戦った英霊を思うと、この反日タクシーゲリラ相手に徹底抗戦せずにはいられなかった。丸腰だからとて、非武装と思うな。英語とビサヤ語を混ぜての舌戦と言う手段もあるのだ。

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