「竹林精舎」 玄侑宗久 朝日新聞出版 2018.1.30
恋の悩みを抱えたまま、
被災地の寺に入った新米僧侶の懊悩と逡巡。
気弱で明るい青年はフクシマでどう生きるのか。
随所に、これは何かの続編かと思える箇所があったが、
あとがきを読んで納得。
道尾秀介の「ソロモンの犬」の登場人物たちのその後を、まったく別の環境で書いたのだという。
道尾さんに会って、快く承諾してもらったのが、東日本大震災の三日前だったそうだ。
「ソロモンの犬」に出逢ったことも含め、大震災があのとき起こったことや、他にもさまざまな「意味のある偶然」に支えられて出来上がったきがする。
とも書いておられる。
ご住職の玄侑さんが仏門に入った主人公を描いてて、仏教のあれこれが事細かに書かれている。
個人的には無宗教、無信心だけど、
お寺があるというだけで安堵する人もいるし、
葬儀などを通じて、悲哀や喪失感などを落ち着かせていくご遺族も多いことを改めて考えた。
この頃あまり耳にしなくなった放射能についても今一度考えさせられた。
放射線量が未だに比較的高い地域に住む決断を迫られたらどうするだろうか……。
以下、引用。
「こういうこと(結婚)はなるべく手続きを面倒にしたろうがいいのよ。引き返すのも面倒だから、別れにくくなるでしょ」
ーー和尚さんの妻の言葉ーー
「なにより嬉しいのは自分を深く理解してくれる人との会話じゃないですか」
「親父なんか戦争で人が変わったようになる人をさんざん見てきたようですけど、それはたいてい、なんていうか、組織のために個を見ないようにするような変化だったんじゃないですか。組織の最たるものは国家ですけど、そこまで行かなくとも町とか隣組とか、(略) (失踪は)無責任に見えるかもしれないけど、さっといなくなることであの和尚さんは自分の生き方に責任をとったんじゃやないかって、ようやくそう思えてきたんです」
ーー檀家役員の言葉ーー
「好き」と「嫌い」は反対語にならないことがある。
「好き」はときに選り好みではなく、生きる意志そのものなのだ。