取りざたされる世界恐慌

世界恐慌の目印をある学者は イタリアのデフォルトに置き、ある学者は中央銀行の信用失墜にあると説いた。

目印はどうあれ世界恐慌が取りざたされる時代になった。

 仮に、世界恐慌に見舞われた場合、80年前の世界恐慌を思い浮かべるが深刻さに於いては可なり違うと思う。

 少なくても、前回の世界恐慌の背景に環境や資源の枯渇の問題は無かった。

 日本のバブル崩壊や福島原発をはじめ世界的なリーマンショックなど いかなる人的災害や危険も予知したのは少数者で多数者が警告したことはない。 災害を経験しても学習は難しく、にわかに多数者にはならず繰り返す。

 我々は そのような中で生きている。

 

 

 

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 かえって良いのかもしれない 

 G8を見ていると、世界の政治・経済は 来るところまで来たしまった感じがする。視座を固定しどうにも手が打てないでいるようだ。

 今後は 否が応でも視座の拡大を余儀なくされる災害や自然に依拠した動きにより大きな意味を見出さざる得ない。

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