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時代の端境期(はざかいき)

歴史年表を見ると、多くの時代を経て現代に至っている。日本だけではない。隆盛だったどんな時代も、賞味期限が切れたかように、必ず、その役割を終え社会的に不都合になると、新しい仕組みの社会に変わっていく。それは絶対王政であれ民主主義であれ社会主義であれ変わらない。さらに年表に表現されるかどうかは別にして地球を一つの社会としてみると、国際関係にも時代と共に、変わっている。地球も日本も、年表で言えば端境期ではないかと思う。現在の価値観や社会的システムを始め、一人ひとりの基本的行動様式まで、現状に合わなくなっているのではないだろうか?日本では「構造改革」とか次々法律を作り世界に適応すべく制度の変更を繰り返すが、世界そのものが経済や環境などで対応の変更を迫られ、国際関係も新しい枠組みが模索されている。全体的に模索と言うより、混迷の感がないでもない。内外の社会のシステムをどのような形に変えるか、その基本的な方向が見えない。そういう中で我々一人ひとりの価値観や行動様式も混迷し定まらない。一般的には時代の端境期だからしかたないかもしれないが、欲もからんで「目の前のお金を追い掛け回した」この(無限を前提にした)時代が続けられなくなり社会も個人も新しい生き方を模索しているとは言える。社会も個人も、(有限)に気が付けば、もう少し話は早い。自分の命が有限なのに、お金や物が無限なはずがないことは分りきってる。

自然の法理に背いた現代文明だから、来るべくしてきたと言える。政治・経済・文化など文明を本来に戻す方向以外解決しない。(言うまでもなく、ここでは政権交代・政治体制の変更等、政治の端境期程度のことではない。)

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