どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

先日の大雨で由良洞隧道の排水路が土砂で埋まっていました

2023-06-04 22:19:39 | 日記
6/4、一昨日(6/2)の大雨により、由良洞隧道の排水路に土砂が流れ込み、
2本ある排水路のうち1本が完全に埋まっていました(>_<)
また由良洞隧道までの県道23号線(御坊湯浅線)の道路上には、
落石や山からの土砂流入があり、通行止めにはなっていませんが、
走行が難しい状況となっていますので、ご注意願います。
2023年6月4日現在


山から土砂が流れ込み、アスファルト舗装部分が埋まっています。

土砂が堆積しています

車で走るのは、少し厳しいかと思います。
オフロード車なら問題ないかも知れませんが…

いかに大雨だったか、わかります

由良洞隧道

東側の排水路は、ほぼ土砂で埋まってしまいました

西側の排水路は、何とか無事でしたが、途中に木が引っかかるなどして流れが悪かったです。

西側の水路

東側の水路
排水路があった…という面影が無いくらい土砂で埋まっていました

排水路を開削した時に積み上げた盛土部分は、崩れていました

斜面上部からも土砂が流れてきたようです

東側排水路
ここは、雨水が溜まるように深めに掘っていましたが、完全に埋まってしまいました

由良洞隧道 坑口付近
西側の排水路が無事だったので、全面的な冠水は免れましたが、
坑口付近の勾配の関係で水が残っています。

排水路に土砂が流入したため坑内の水が溜まっています

西側の排水路を構内に溜まった水が流れています

西側の排水路

西側の排水路の盛土跡
写真の白い部分に、排水路を開削した際の盛土があったのですが、
流出しています。相当な雨だった事がわかります。

今年1月に排水路が完成してから、このような大雨は初めてです。

今回、由良洞隧道へは原付バイクで来ましたが、
途中の道への土砂流入がひどく、車で来るのは難しい事から
道路の復旧を待って(通行止めにはなっていません)通行に支障が無いようになってから
資材(スコップ、ツルハシ等々)を車に積み込んで、
由良洞隧道の排水路の復旧作業に取り掛かりたいと思います。
土砂の量がかなり多いので、作業には数日を要しそうです((+_+))

明治の現役隧道 について 紀伊民報 読者の欄に掲載されました

2023-06-02 23:59:01 | 日記

紀伊民報2023年(令和5年)6月3日付 読者の欄
明治の現役隧道 全体


明治の現役隧道 5-1

明治の現役隧道 5-2

明治の現役隧道 5-3

明治の現役隧道 5-4

明治の現役隧道 5-5

明治の現役隧道 白浜町 山根康民(会社員・53歳)

日高郡の由良町と日高町の境にある
県道23号線(御坊湯浅線)由良洞隧道(ゆらどうずいどう)は、
1889(明治22)年1月に完成した
県内で現役最古級の道路用れんがトンネルです。

延長139.50m、高さ3.35m、幅3.30m。
私は先ごろ、このトンネルの歴史的価値について
公益社団法人・土木学会が行っている
選奨土木遺産の候補として推薦調書を提出し、受理されました。
審査結果は、今年の秋ごろに発表されます。

5年前、原付きバイクで
初めて由良洞隧道を訪れた際、
日高町側に完成当時のまま残る坑門(トンネル入り口)や
坑内のれんが積みを見て
「これは歴史的に価値がある近代土木遺産だ」と思いました。
ところが昨年11月に再訪した際、
完成当時の坑門はコンクリート補強され、
トンネル内はスプレーで落書きされており、
とてもショックを受けました。

コンクリート補強は維持管理上、
仕方がないと思いますが、
由良町誌に記されているように
地元住民がどれほど熱望し、
まだ自動車もない時代に
高規格なトンネルを造った先人の思いを知っていれば、
落書きをしなかったと思いたいです。
この事をきっかけに
「私一人でもできることをしよう!」という思いに駆られ、
トンネル内の「整備作業」に取り組みました。

坑内に堆積した土砂の撤去し、
坑口付近の冠水を緩和するため排水路を開いた。
歴史的価値を審査していただくため
選奨土木遺産への候補申請もその一環です。
由良洞隧道は、和歌山県における近代土木史に
さんぜんと輝く素晴らしい隧道の一つです。
明治期に開通したトンネルの多くが、
時代の流れとともに閉鎖されていくなか
現役で活躍する数少ないトンネルです。

新潟県糸魚川市の親不知海岸と富山県黒部市の宇奈月温泉に行って来ました(後半)

2023-06-02 23:46:18 | 日記
5/25から2泊3日で新潟県糸魚川市の親不知(おやしらず)海岸と
富山県黒部市の宇奈月(うなづき)温泉に
相棒(原付バイク)と行って来ました。
昨年(2022年)7月24日、富士山へ行って以来になる
久しぶりの1,000㎞越えロングツーリングになりました。


主な走行ルート
1日目:白浜→国道42号→有田川町→県道18号線→海南市→国道424号→紀の川市→
国道24号→かつらぎ町→国道480号→大阪府和泉市→国道170号(大阪外環)→
寝屋川市→国道1号BP→京都府京都市→京都外環状線(市道188号線他)→
京都市山科区→国道1号→滋賀県大津市→国道161号→福井県敦賀市→
国道8号→富山県黒部市
走行距離 約560㎞

2日目:富山県黒部市→県道14号線→宇奈月温泉→国道8号→
新潟県糸魚川市 親不知海岸→国道8号→富山市
走行距離 約160㎞

3日目:富山市→国道41号→岐阜県高山市→国道41号→
美濃加茂市→国道21号→大垣市→国道258号→三重県桑名市→
国道23号→松阪市→国道42号→熊野市→国道311号→白浜町
走行距離 約580㎞

全走行距離 約1,300㎞
前回、富士山への走行距離が約1,120㎞でしたので、
記録更新となりました。

ここからは、後半となります。

黒部市の宇奈月温泉から新潟県糸魚川市へ向けて走ります。

朝日町に到着。朝日町を過ぎるといよいよ新潟県に入ります。

福井県、石川県、富山県内の国道8号を走りましたが、
朝日町から新潟市まで、まだ206㎞もあるんですね。
この距離は、朝日町から福井県福井市までの距離とほぼ同じになりますが、
新潟県広いなぁ~(^^ゞ
新潟206㎞ 上越74㎞ 糸魚川31㎞

朝日町まで来ると、あんなに遠くに見えていた北アルプスの立山連峰が、
一気に日本海に迫って来ます。
城山、横尾トンネル

横尾トンネル(長さ210m)入口付近

看板の地図通り、山が日本海へ迫ってきています

遂に富山県と新潟県の県境まで来ました。
石川県、富山県と共に人生初訪問の新潟県へ目前まで来ました。
この境川に架かる境橋を渡れば、新潟県です。

相棒(原付バイク)も良く頑張ってくれました。
ヤッター新潟県まで来たよ!!(^^)!

遂に新潟県糸魚川市に到着しました。
感激です!嬉しいです!
今日の目的地であった長岡市へは、今回は断念しましたが、
新潟県に来る事が出来たので大満足です✨✨

新潟といえば、トキですね。
トキの学名は、ニッポニアニッポン(Nipponia nippon)
まさに日本を象徴する鳥です。

新潟196㎞ 長岡135㎞ 上越64㎞
長岡まで、まだ135㎞って白浜から和歌山市へ行くより遠い距離です(*_*;

これまで国道8号は、広い平地を走っていましたが、
この先は、親不知海岸の断崖絶壁区間をトンネルと洞門(ロックシェイド)で抜けます。

糸魚川世界ジオパーク
天険 親不知の案内看板

江戸時代は、この海岸を歩いたそうです。
ここから親不知子不知(おやしらずこしらず)の名前が付いたとされています。

国道8号沿いにある親不知記念広場の観光案内

北アルプスの始まり”親不知”が一望できる展望台

親不知記念広場
この広場は、国道8号の改良を記念して1968年(昭和43年)に整備されました。
愛の母子像はカーブが連続する親不知での通行の安全を祈願して設置されています。
作者は富山県出身の横江嘉純(よこえよしずみ)氏(1887~1962)です。

親不知
この展望台から、北陸道最大の難所「親不知」の断崖絶壁を望むことができます。
「親不知」の地名は、危険な波打ち際を通るとき、
親は子を、子は親をかえりみる余裕がなかったことから
「親不知・子不知(こしらず)」と呼ばれるようになったと伝えられています。
また一説には、源平合戦の時代に平頼盛(たいらのよりもり)夫人が夫を慕って
この地を通りかかった際、二歳の愛児を荒波にさらわれ
悲しみのあまりに詠んだ歌が由来ともいわれています。

親しらず 子はこの浦の波まくら 越路(こしじ)の磯のあわと消えゆく

松尾芭蕉ゆかりの地「親不知・市振」
江戸時代に活躍した俳人”松尾芭蕉”は、「おくのほそ道」の旅で
親不知の難所を越え、市振の『桔梗屋(ききょうや)』に宿泊したとされています。
宿で詠んだ句として『一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月』は知られています。
この展望台から見える「天険親不知」は、
国の名勝「おくのほそ道の風景地 親しらず」に指定(2014年)されました。

この地図にある 道の駅親不知ピアパークと 旧親不知トンネルに、
このあと行って来ました。

親不知記念広場から国道8号(富山方面)を写す
長い洞門(ロックシェイド)が続きます。

この時、小雨が降り続いていました((+_+))

国道8号と並行する北陸道 親不知インター

親不知インターから新潟方面を写す

親不知インターは、日本初の海上インターだそうです。
勉強になりました。海の上にあるという制約から、
信号機のあるインターチェンジの構造となっています。

富山方面と新潟方面
信号機が見えます。

親不知インターを過ぎて左折すると、道の駅親不知ピアパークになります。

北陸道の高架下に作られた道の駅になります。

高架橋は北陸道になります

下の道路は国道8号、上の高架橋は北陸道
写真中央のトンネルは、旧北陸本線(現日本海ひすいライン)
僅かな平地に3つの交通路が重なり合っています。


名勝 おくのほそ道の風景地 親しらずと文学
「親しらず」は、100万年くらい前に東西の方向(海岸に沿うよう)に隆起し、
崩れやすい部分が波に浸食されてできた約15㎞にも及ぶ
「親不知子不知」とよばれる断崖の一部で、
古くから交通の難所として知られています。

北国街道を南下した松尾芭蕉の一行は、
1㎞にもわたる約100mもの断崖絶壁の壮大な海岸について、
紀行文『おくのほそ道』に「北国一の難所」と記しています。
その風光明媚で不変な景観は、陸奥(みちのく)・北陸の名所の1つとして、
平成26年3月18日に国の名勝に指定されました。
時代が移り変わっても、人々の心を捉え続ける
「親しらず」は、現在も多くの文学作品や絵画等に描かれています。

『六十余州名所図会』越後親しらず / 歌川広重

草しげり 崖くづれたる親不知の ふる道いまは萩のまさかり
相馬御風(そうまぎょふう)

国名勝 おくのほそ道の風景地 親しらず

親不知は、松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』に描かれた景勝地を保護する国の名勝
「おくのほそ道の風景地 親しらず」に指定されています。
北アルプスが日本海に落ち込む断崖絶壁が続く親不知は、
かつて「天下無双の難所」と呼ばれた交通の難所であり、
東西日本の境界でもありました。
明治16年(1883年)に崖の中腹に道路が造られるまで、
波を避けながら浜辺を通り抜ける危険な道でした。
ここでは、芭蕉も見た絶景と、難所を克服しようとした
人々の歴史を垣間見ることができます。

旧親不知トンネルへは、*ここから階段のある細い山道を下ります。

傾斜の急な斜面にある道ですので、十分ご注意ください!
*天険コミュニティ広場(無料駐車場あります)
https://goo.gl/maps/x2FZ3iy4pqkQTjTU7
Googleマップ ストリートビューより 国道8号沿いにあります。

日本の近代化を支えた鉄道遺産
親不知ずい道(旧親不知トンネル)

旧親不知トンネルの紹介
このトンネルは、明治時代の終わりに北陸路一の難所として
有名な「天険親不知」の断崖絶壁を貫通させ整備されました。
1912年(大正元年)の開通から、線路が複線化となり
廃線になる1965年(昭和40年)までの53年にわたり
旅客や貨物の輸送を支えました。

このトンネルは、鉄道の歴史のほか、
明治時代の土木建造物の文化的価値についても学ぶことができます。
保存状態のいいレンガトンネルは大変貴重なんだよ。

レンガ
トンネルのレンガは、糸魚川の土を使って地元で製造され、
船で運ばれたとの記録が残されています。
トンネルは、イギリスの工法を習って建造されました。

土木学会選奨土木遺産
2014 旧親不知トンネル

プレートが輝いて見えます✨✨
私が関心を寄せている由良洞隧道にも、このプレートが付く日が来るのかなぁ~(*´ω`*)

旧親不知隧道内の掲示案内

くれぐれもトンネル内の煉瓦(レンガ)に触れないで下さいね。
手が煤(スス)で汚れます。注意書きにもありますが、
SLが走っていた頃の名残になります。

旧親不知隧道を出た所にある明治天皇北陸御巡幸について

トンネル内の様子 とてもキレイなレンガ積みです

旧親不知隧道を歩き抜けました

旧親不知隧道 諸元
全長667.82m 幅3.63~4.72m 高さ4.70m
起工1907年(明治40年) 開通1912年(大正元年) 廃線1965年(昭和40年)

旧親不知隧道から眼下の親不知海岸を眺める
大昔は、この海岸を打ち寄せる波に気を付けながら
歩くしかなかった…そう思うと近代の土木技術の進歩が
交通の往来を大きく変えました。

親不知煉瓦トンネルにある案内看板
~天険親不知(てんけんおやしらず)に新しい道づくりのきっかけとなった~
明治天皇 北陸御巡幸(ごじゅんこう)

明治天皇は国内を巡行され、1878年(明治11年)9月に
この地を訪れました。北陸道最大の難所である親不知では、
断崖絶壁を避けるため、山中に新たな道が切り開かれました。
急な山道だったので、天皇は輿(こし)を降り
歩かれたとの記録が残されています。

写真は海から見た親不知。
天皇は、安全第一を考え、海岸の道を避け、急な山道を進まれました。
天皇に山越えの道を通行させたことを悔やんだ富岳磯平ら地元有志は、
安全な道の整備に尽力し、1883年(明治16年)に新道が完成しました。

初雁の御歌(はつかりのみうた)
明治天皇の皇后、昭憲皇太后が越後路の天皇の御身を案じて
詠まれた御歌です。糸魚川に到着された際に、届けられました。

はつかりをまつとはなしにこの秋は
越路(こしじ)のそらのながめられつつ

初雁が待たれるというわけではないのですが、
この秋については思いなしか陛下が巡幸中の越後路の
空の方向が気になって眺めることが多くなります。

聖徳記念絵画館「初雁の御歌」

親不知の観光案内
旧親不知隧道が保存され見学出来るのが嬉しいです。
以前どなたかの動画で見てから興味を持ちましたが、訪れる事が出来て良かったです。

親不知では、トンネル好き(・・?の私としては、
旧親不知トンネルを見学出来た事と、北陸道 親不知インター設立の経緯について、
子供の頃からの疑問が解決した事、そして何より現地に赴く事が出来た事が、
一番大きな財産となりました。
自分の目で現地を見て、改めて厳しい地形ですが、
よくぞここに交通路を通したものだ!と深い感銘を受けました。
小雨に打たれながらの見学でしたが、とても充実した思いでした(*´ω`*)
さぁ、富山市内のホテルまで帰ります。

ホテルが富山駅近くにあるので、少しブラッと走ると
駅前ビルがとても立派です。

富山市といえば路面電車がある事で知られていますね。
今回、乗る機会はありませんでしたが💦💦

ホテルのエレベーター内の掲示物

この案内を見て、気持ちが揺さぶられました!
というのも今回の旅の本当の目的は、
新潟県長岡市にある河合継之助記念館へ行く事だったので、
「お主、ワシに会いに来なかったのぅ!」と言われたような気がしました((+_+))

まさか、こんな所で河合継之助の映画「峠」の案内を見るとは…(ノД`)・゜・。
ちょっと運命的なものを感じましたが、
また機会を見て、新潟県長岡市への旅を再度チャレンジしたいと思います。

相棒(原付バイク)は軒下に止めさせて頂きました。
プライムイン富山さんでは、自動車は駐車料金が別に発生しますが、
バイクは無料で止めさせて頂けましたラッキー✨✨

プライムイン富山さんのベッド ビジネスホテルとしては、ごく普通のベッドです。

翌朝、再び富山駅へ

北陸新幹線もある大きな駅です。

さぁ、これから国道41号を富山市内から岐阜県を走ります。
名古屋247㎞、高山87㎞、飛騨76㎞

国道41号、富山県(富山市)と岐阜県(飛騨市)との県境に架かる橋

トンネルは富山県側

国道から少し高い所を神岡鉄道の鉄橋(廃線)が見えます。
これは何の鉄橋かなぁ?とグーグルマップで調べても分からなかったのですが、
http://procyon57.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
⇧今日も山びより様のブログで知りました。ありがとうございます(^^ゞ

岐阜県に入りました

富山県(富山市)と岐阜県(飛騨市)の県境に架かる新国境橋を望む

この時の気温18℃
ちょっとヒンヤリという感じでした。この時は曇り空でしたが、このあと晴れてきました。

名古屋まだまだ遠い💦

岐阜県に入って国道41号は、このような洞門(ロック&スノーシェイド)が多くありました。
いかに急峻な区間を道路が走っているのか分かります。

飛騨市を走っています。
名古屋174㎞ 美濃加茂140㎞ 高山18㎞
岐阜県も広いですね。

高山市へ 飛騨高山で有名ですが訪れたのは初めてです。

後方に見える山を越えてきた!と思うと冬は大変厳しい所なんだろうなぁ~と感じました。
飛騨市と高山市の境界付近

山に囲まれていますが盆地が広がっています

ここで間違って自動車専用道へ入りそうになりました💦

自動車なら何ら問題ありませんが、原付は自動車専用道は走れませんからね((+_+))
機会を見て道路管理者である高山国道事務所へ
原付バイクにも分かりやすいように、表示内容の改善要望をしようと考えています。

自動車専用道である国道41号高山国府バイパス入口には、
このような表示はありますが、初めて走る原付が一瞬でこれを見るのは難しいです。

原付は、迂回路(旧国道)を走ります。

一方、反対側はどうだろう?と調べましたが、
こういう表示があると分かりやすいです

バイパス道路の場合、原付が走れるバイパスと走れないバイパスがあるので、
標識で確認するのですが、気を使います💦
気付かずに走ってしまった!といっても、
お巡りさんに見つかったら違反になりますからね(ノД`)・゜・。

中津川…改めて岐阜県は、長野県と隣接している事がわかります。

写真は、以上になりますが、
中津川の案内標識を撮影した岐阜県下呂市からは、
ひたすら~ひたすら~相棒と景色を眺めながら走っていました。
岐阜市周辺に近付くと、これまでの山と川の谷間を風景から
住宅地や商業施設が増えて、道路もバイパスへと景色が変わります。

岐阜市から先の大垣市からは、以前、近畿一周した時に走った
同じ道を通って白浜まで走りました。
岐阜県の時は、感じなかったのですが三重県に入って、
松阪市辺りまで来ると、これまでの道中の旅を振り返りながら
相棒(原付バイク)に話しかけていました。
今回の長旅では、相棒は本当によく頑張ってくれました(^^♪
とても気持ちの良い充実した旅になりました。

なかなか今回のような宿泊を伴う旅は、
そんなに行く事が出来ませんが、また相棒と一緒に
どこかへ出掛けたいと思います。
相棒、次回もよろしくお願いします。
ここまでの長文をお読み頂き、ありがとうございます(^^)/

新潟県糸魚川市の親不知海岸と富山県黒部市の宇奈月温泉に行って来ました(前半)

2023-06-02 23:46:18 | 日記
5/25から2泊3日で新潟県糸魚川市の親不知(おやしらず)海岸と
富山県黒部市の宇奈月(うなづき)温泉に
相棒(原付バイク)と行って来ました。
昨年(2022年)7月24日、富士山へ行って以来になる
久しぶりの1,000㎞越えロングツーリングになりました。

本当は、新潟県長岡市にある河合継之助記念館まで走る予定でしたが、
25日の夜、疲れからなのか?体が少し熱っぽく、だるかったのですが、
朝になれば良くなるだろう…と思いポカリを飲んで横になりました。
そして朝5時ごろに起きて6時に出発する予定でしたが、
結局、起きたのが朝8時でした(T_T)
ただ体調は、何ら問題なく昨夜は、体が無理するな!と私に
アドバイスしてくれたのかも知れません(^^ゞ

長岡までの距離や記念館での見学時間等を考慮すると
「今回は諦めよう!無理は禁物!」と自分に言い聞かせ
行先を新潟県長岡市から宿泊地の黒部市にある宇奈月温泉へとルート変更しました。
宇奈月温泉は、黒四ダムへ向かうトロッコ列車がある所。という程度しか
知りませんでしたが、温泉に入らなかったのに約3時間も滞在していました。
宇奈月温泉の感想は、ひと言でいえば、先人の素晴らしい先見の明を学びました。

その後、新潟県糸魚川市の親不知海岸まで走りましたが、
この日は、途中から小雨が降るあいにくの天候でしたが、
親不知海岸を見通せる展望スペースから見た時、
よくぞ、このような急峻な地形の所に、
道路や鉄道を通したものだ。と驚嘆(きょうたん)しました。

親不知海岸は、北陸道(高速道路)最大の難所とも言われ
小学生の頃にみた道路地図には、親不知付近の建設ルートが
点線で描かれていましたが「なぜ高速道路を海上に作るのかなぁ?」と
子供ながら疑問に感じていましたが、現地を訪れ資料を調べて、
約40年以上の歳月が流れましたが、疑問が解けました。

「国道8号親不知区間の災害による交通障害に備えるためと、
周辺の歌と外波の集落の災害による孤立を防止する目的で建設された」

当初は、地質的な問題から長大トンネルが難しかったのか?とも思いましたが、
そういう事だったんですね。自分の目で現場を見る!とても大事だと感じました。

そんな親不知海岸にある親不知インターチェンジですが、
近くにある道の駅親不知ピアパークに寄ってから富山市へと帰りました。
新潟県での滞在時間は、僅かでしたが予定では、
国道8号を長岡市まで走るはずでしたが💦またの機会にしたいと思います。

さてこの時、パラパラと小雨が降っていましたが、昼過ぎには雨もやんでくれました(^^)/
この日は、走行距離が160㎞と少なめでしたので、
のんびりと国道8号を走りましたが、富山県内では各地で4車線整備が進められ
和歌山の白浜で暮らす私にとっては、羨ましくも思いました(^^ゞ
さぁ早めにホテルに着いて、明日早朝の出発に備えます。

3日目ですが、当初は来た道(国道8号)を通って帰ろうと考えていましたが、
せっかくの機会なので、国道41号を通って岐阜県の飛騨高山、下呂温泉を走り抜け、
岐阜県を縦走する事にしましたが、それが良かったです。
とても快適なツーリングになりました。

そこからは、三重県周りで白浜まで走りましたが、
富山市から白浜町まで、途中休憩しながらですが、
約15時間かかりました( *´艸`)
疲労困憊(こんぱい)💦でしたが、とても充実した冒険旅行でした。
このあと写真と共に紹介させて頂きます。
長文失礼しました(*´ω`*)

主な走行ルート
1日目:白浜→国道42号→有田川町→県道18号線→海南市→国道424号→紀の川市→
国道24号→かつらぎ町→国道480号→大阪府和泉市→国道170号(大阪外環)→
寝屋川市→国道1号BP→京都府京都市→京都外環状線(市道188号線他)→
京都市山科区→国道1号→滋賀県大津市→国道161号→福井県敦賀市→
国道8号→富山県黒部市
走行距離 約560㎞

2日目:富山県黒部市→県道14号線→宇奈月温泉→国道8号→
新潟県糸魚川市 親不知海岸→国道8号→富山市
走行距離 約160㎞

3日目:富山市→国道41号→岐阜県高山市→国道41号→
美濃加茂市→国道21号→大垣市→国道258号→三重県桑名市→
国道23号→松阪市→国道42号→熊野市→国道311号→白浜町
走行距離 約580㎞

全走行距離 約1,300㎞
前回、富士山への走行距離が約1,120㎞でしたので、
記録更新となりました。


ガソリン代 4,352円

飲食代 5,115円

宿泊代 
1泊目:旅籠屋黒部店 5,500円、2泊目:プライムイン富山 5,220円
合計 10,720円
総合計 20,187円

白浜を午前2時前に出発して田辺市新庄町 田鶴交差点に来ましたが、
今日は、これから500㎞以上走ります。ちなみに東京大阪間が約500㎞です💦

国道42号 日高町萩原交差点近くにある温度表示は14℃

海南市 新野上橋西詰交差点付近
空が白々としてきました。もう少しで夜明けです。

紀の川フルーツライン方向を写す。紀の川市新竜門大橋にて

かつらぎ町を走行中に日の出となりました。

国道480号を走って、鍋谷トンネルを抜けて、大阪府和泉市に入りました。

大阪府和泉市にある道の駅いずみ山愛の里で休憩
まだ朝5時過ぎ💦という事で、バイク置き場には私以外誰もいません(笑)

写真が分かりにくいですが、先週は、ここから左の側道を走って、
大阪府大東市 深野南交差点を右折して、阪奈道路を通って🦌奈良公園へ行きました。

側道

大阪府大東市から滋賀県高島市まで写真がありません💦
高島市マキノ町の温度表示は18℃
ここ高島市まで来て、全体(560㎞)のやっと半分💦💦
富山県黒部市までは、まだ280㎞あります((+_+))
福井73㎞ 越前市50㎞

この県境(滋賀県、福井県)には、3年近く前に来て以来なので久しぶりに来ました。
https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/f96c4478934c41d8fb94ab30b2121291
⇧ブログ:2020年10月3日 福井県敦賀市まで走る

振り返ると滋賀県(高島市)です。

福井県に入ると電光掲示板に
ツーリングバイク事故午後に増加
とあります。安全運転で走ります。

久しぶりの再会です(笑)
というのも前回(今年2023年3月5日)近畿一周の旅の時に
この疋田(ひきだ)交差点を通っていますが、
その時は、大津方面(国道161号)を走らず大垣方面(国道8号)を走りました。
近畿一周の旅(2日目)
https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/a5e066d9a6bee567a8adedb6dfb79cf4
⇧ブログ:近畿一周の旅(2日目)

ここから(敦賀市)先の国道8号をはじめ福井市や石川県、富山県も
人生で初めて訪れます( *´艸`)
福井市、越前市に向けて走ります✨✨

振り返ると国道8号 大津、長浜方面と国道27号 舞鶴、小浜方面
近畿一周の際、国道27号を舞鶴方面から敦賀まで走りました。

国道8号からは、建設中の北陸新幹線 敦賀駅が見えます

敦賀湾沿いを走ります

石川県(加賀市)と福井県(あわら市)との県境
これから石川県内を走ります。
人生初の石川県✨

振り返ると福井県(あわら市)

金沢まで50㎞ありますが、国道8号の石川県内の整備状況は本当に素晴らしい!
4車線化や立体交差箇所が多く、走行速度やや高めですが、
地域間連絡道路としては、とても走りやすく驚かされました。

石川県加賀市にて、山代温泉の表示がありますが、
有名な温泉地の一つです。

金沢東インター近くで撮影

遂に富山県(小矢部市)に入りました。
人生初の富山県訪問✨
天気が良いので走っていて気持ちが良いです(^^♪

拡大

富山県に入った所で撮影

新潟まで294㎞…遠いなぁ💦💦、富山48㎞、高岡22㎞
和歌山県内では、200㎞以上先の地名のある案内標識を見た事が無いですね💦

富山県に入った所で振り返って案内標識を撮影
福井まで100㎞

道の駅メルヘンおやべ の大きな看板

道の駅メルヘンおやべ内の駐車場案内

道の駅メルヘンおやべ内には、バイク置き場が見当たらなかったので、
この付近をバイク置き場にしては?と思いました

富山県の観光案内地図

富山県内の観光名所の写真

黒部峡谷鉄道の写真もありますが、この時は、
翌日、黒部峡谷鉄道方面に行くとは思ってもいませんでした(^^ゞ

合掌造り集落の雰囲気がとても素敵です。

ご当地キャラクター メルギューくん

地元新聞(地方紙)が読めるのは、観光客にとって良いですね✨

小さな子供さんがいる親御さんには、このような紙おむつ自販機は嬉しいですね。
あまり見かけないので、とても良い優しい取り組みかと思います。

富山県黒部市にて
立山連峰の残雪がとても素晴らしい。
こんな素晴らしい景色を地元の人は、毎日見られるんですね(^^♪

同じような写真ですが💦立山連峰の写真を何枚も撮りました( *´艸`)

素晴らしい✨✨(*´ω`)

✋(パー)富山県内の国道8号で見かけました

✊(グー)同じく富山県内の国道8号で見かけました
https://www.yomiuri.co.jp/national/20211218-OYT1T50188/
⇧読売新聞 国道脇に並ぶ「パー」と「グー」の標識…冬道の安全に欠かせません
こちらに詳しく紹介されていますが、
パーの標識に合わせて凍結防止剤をまき始め、
グーの標識でまき終えるそうです。勉強になりました(^^ゞ

本日の宿泊先 旅籠屋(はたごや)黒部店さん近くにある
スーパー マックスバリュー黒部コラーレ前店へ買い物
山に向かって走る感じが良いです!

宿泊先の旅籠屋(はたごや)黒部店さんのベッド 一人旅には贅沢すぎます(^^ゞ


2日目(5/26)朝寝坊したので💦予定を変更して
宇奈月温泉へ走ります。途中にある黒部宇奈月温泉駅(北陸新幹線)への案内標識

黒部宇奈月温泉駅(北陸新幹線)

案内標識にある宇奈月温泉の前に「う」という表示に、
インパクトがあって面白いと思います。

拡大

案内標識ですが、横から見ると雪対策のため斜めになっています。

とても広々としています

真っすぐ伸びる道路

遠くまで広がる田園風景

宇奈月温泉へ向かう途中にあった温度表示は17℃

宇奈月温泉に到着

横断幕には 祝 宇奈月温泉開湯100周年
宇奈月温泉開湯100周年事業実行委員会
◆期間:2023年4月1日~2024年3月31日◆とあります。
100年の歴史を少し感じてみたいと思います。

宇奈月温泉駅外観

宇奈月温泉街 案内図

宇奈月温泉・お湯じまん
つべつべ美肌湯

宇奈月温泉駅 構内の様子

鉄道路線図

宇奈月温泉駅近くの踏切から撮影

駅構内には足湯があります

良い雰囲気です

足湯を楽しめます

宇奈月のお湯

宇奈月温泉のお湯は、黒部峡谷の黒薙を源泉とし
約7㎞に及ぶ黒部川の断崖を縫って届けられています。
富山県出身の高峰譲吉博士が黒部川水系電源開発とともに
温泉開発を計画し、逓信省より招かれた土木技師
山田胖(ゆたか)氏が大正12年11月に難工事の末、
黒薙から宇奈月まで木管を用いた引湯に成功し
宇奈月温泉が開湯しました。

黒薙温泉は江戸初期(1645年)に発見されたといわれ、
慶応4年(1868年)に加賀藩に開湯を許可されるまでの
220年有余、深山幽谷の「隠れ湯」の歴史があります。

明治期に建てられた素朴な一軒宿 黒薙温泉旅館では、
生まれたての源泉と野趣あふれる自然美とともに
湯あみを楽しむことができます。
また古来より多くの文人墨客が訪れ多くの詩歌が残されております。

黒薙温泉旅館へは黒部峡谷鉄道宇奈月駅よりトロッコ電車に乗り
約25分、「黒薙駅」より山道を600mほど歩くと谷間に立ち上る
湯煙とともに見えてきます。

黒部観光開発株式会社

黒部峡谷鉄道の駅舎が見えます

大きな立て看板

黒部峡谷鉄道 宇奈月駅

駅舎外観

駅舎内

黒部峡谷パノラマ展望ツアー!ポスター

駅舎2階には、黒部峡谷開発の歴史年表や資料が展示されています
黒部を拓いた先人達

高峰譲吉(たかみねじょうきち)
嘉永7年~大正11年(1854~1922)
富山県高岡市生まれ
アルミ製造の電力を求めて

黒部峡谷で本格的な電源開発を最初に計画したのは、
消化薬「タカジアスターゼ」や止血剤「アドレナリン」を開発した
科学者として世界的に著名な高峰譲吉博士でした。

製薬会社三共(現第一三共株式会社)の初代社長など
事業家としても優れていた博士は、日米合同のアルミニウム製造会社の
設立を計画し、アルミ製造に必要な電力を求めて、大正6年(1917年)から
黒部川の調査を開始しました。

大正8年(1919年)に、東洋アルミナム株式会社を設立し、
翌年に黒部川の水利権を取得すると、宇奈月温泉の開発と
黒部鉄道(現富山地方鉄道:黒部から宇奈月)の敷設に着手し、
黒部川の電源開発に取り掛かりました。

しかし、大正11年(1922年)、博士が亡くなったことにより、
東洋アルミナムのアルミ製造の計画は頓挫しましたが、
黒部川の電源開発計画は、日本電力株式会社によって引き継がれました。


山岡順太郎(やまおかじゅんたろう)
慶応2年~昭和3年(1866~1928)
石川県金沢市生まれ
秘境黒部の電源開発に挑む

大正8年(1919年)、日本電力株式会社(関西電力株式会社の前身)の
初代社長に就任し、「電源ありしこうして産業あり」の信念に基づき
幾多の難関を突破して会社の基礎を確立しました。

大正12年(1923年)には黒部川で初めての本格的な柳河原(やながわら)発電所を
建設するために、宇奈月から「黒部専用鉄道」の敷設工事を開始。
また、黒部川上流部の調査のために日電歩道を開削しました。
宇奈月の地をこよなく愛し、その人柄を慕う社員の浄財をもとに建てられた
別邸を「独楽荘(どくらくそう)」と名付け、独楽荘主人と号していました。

また、宇奈月の地名の名付け親として京都宇治の宇、奈良の奈をあて、
名月を組み合わせたとも言われています。
難工事であった柳河原発電所の完成をみた翌昭和3年(1928年)に逝去されました。
その後、黒部川第二、黒部川第三発電所は日本電力によって建設されました。


山田胖(やまだゆたか)
明治19年~昭和39年(1886~1964)
福岡県生まれ
黒部開発の恩人

「黒部開発の恩人」と呼ばれた土木技師の山田胖氏は、
大正6年(1917年)、逓信(ていしん)省を退官した後、
東洋アルミナムの設立に参加し、アルミニウム製造に必要な大量の電力を
確保するために、黒部川流域の現地調査に入りました。

12月に黒薙(くろなぎ)まで調査し、翌年から黒部川全流域を踏査して、
電源開発計画の全体像を作り上げ、黒部川で初となる「弥太蔵(やたぞう)発電所」の
完成と、本格的な「柳河原(やながわら)発電所」の建設に貢献しました。

また「黒部川電源開発の為には資材補給や工事関係者の厚生娯楽の基地として
宇奈月の開発が重要である」と熱意を注ぎ、大正12年(1923年)に、
未開の荒れ地であった桃原(現宇奈月温泉)に黒薙から温泉を引湯して、
宇奈月温泉の繁栄の基礎を築きました。

黒部川電気記念館横の独楽園(どくらくえん)に氏の功績を讃え
胸像が建てられています。

宇奈月温泉の歴史年表

黒部川電源開発とともに~黒部峡谷のあゆみ~

黒部川の水力電源開発は大正時代から始まりました。
「日本の屋根」といわれる北アルプス連峰の山々に挟まれた
黒部峡谷は人々をよせつけない秘境の地でした。
しかし、黒部川は、水量が豊かで急峻な河川であるため、
水力発電に極めて適した条件を備えていたのです。
この黒部川の水力発電の可能性に注目したのが、
高峰譲吉博士でした。

博士はアルミニウム製造に利用する電源開発のために、
大正6年から、水力発電に適した地点を求めて黒部川の調査を開始しました。
調査の指揮をとったのは、後に宇奈月の基礎を築き、
黒部開発の恩人と呼ばれることになる山田胖(ゆたか)技師でした。

大正12年には、日本電力株式会社(山岡順太郎社長)によって、
工事資材運搬用として黒部専用鉄道の敷設工事が開始され、
着工から14年後の昭和12年に、欅平(けやきだいら)まで
全線開通しました。これが黒部峡谷鉄道の原点です。

また、大正13年には黒部川で最初の本格的な発電所となる
柳河原(やながわら)発電所の建設工事が開始され、
大洪水や大雪崩などの自然災害に阻まれながらも、
調査から10年後の昭和2年に待望の運転を開始しました。
その後、黒部川第二、第三、そして第四発電所と
黒部川をさかのぼって水力発電所が建設されていきました。

大正

昭和(戦前)

昭和(戦後)

平成

駅舎2階で黒部開発の歴史を学んだあと
外に出て黒部峡谷鉄道を眺める

黒部峡谷鉄道のポスターなどでも目にするアーチ橋と黒部川

現在、遊歩道になっているこの橋ですが、
元々は、黒部峡谷鉄道になっていたそうです(^^ゞ

このトンネルの坑口の美しさ トンネル好きにはたまりませんね(^^ゞ
意味不明ですね(笑)

トンネル内の様子

トンネルの脇には、冬期歩道の入口が

トロッコ電車が冬期休業の間、ダム作業員や物資運搬員
「逓送(ていそう)さん」が利用する歩道です。
欅平までつながっており、現在も使われています。
歩くと6時間以上かかります。
逓送さんが担ぐ荷物は10㎏以上にもなるそうです。

宇奈月駅から遊歩道を歩くと宇奈月ダムが見えてきます

遠望に見えるのが宇奈月ダム

宇奈月ダム ダムを下から見上げると迫力があります

宇奈月発電所は、見学ができます

宇奈月ダムのまわりを探検しよう!

振り返るとアーチ橋をトロッコ電車が進んでいます

今度は、機会を見てトロッコ電車に乗ってみたいですね(*´ω`*)

トロッコ広場に展示されている車両

前斜めから車両を撮影

ED11号
戦前の昭和10年前後から動いている古いタイプの電気機関車で、
主に欅平で入換用として活躍していました。
制御方式は直接制御方式で、運転士は横向きで運転をします。
同形式の機関車はED11号以外にも現有しており、
駅構内での入れ替え等に活躍しています!
平成26年4月から休止車両となり、「トロッコ広場」にて
展示保存されています。

少し控えめな💦歓迎案内


黒部川電気記念館(入口)
黒部峡谷鉄道駅舎近くにあります

黒部川電気記念館 建物上部

黒部川電気記念館 営業時間等の案内

黒部川電気記念館
かつて人跡未踏の地と言われた黒部峡谷に、
電源開発のため第一歩が印されたのが大正6年。
以来、黒部川の開発に心血を注いだ先人達の偉業を祈念するため、
この記念館は建設された。

・開館時間 4月18日から11月30日は7時30分~18時
      (12月1日から4月17日は9時~16時)
・休館日  12月1日から4月17日までの毎週火曜日

ご自由にお入りください  関西電力

黒部川電気記念館の館内には、映像や写真を中心に
比較的わかりやすく工夫された展示になっています。
勉学出来ルダケノ電気ヲヨコセ!!
当時のデモの様子ですが、初めて見た資料でした。

世紀の大工事 くろよん
昭和30年代、戦後の復興にともない、慢性的な電力不足が生じていた。
電力が足りなければ、経済復興もおぼつかない。
関西地方の電力需要を賄う電源開発は、
昭和26年に発足したばかりの関西電力にとって、
もっとも大きな課題だった。

秘境黒部峡谷とここを流れる黒部川は豊富な水量と
急流により、古くから水力発電の適地とされながらも、
人を寄せつけない地形と自然条件がダム建設を阻んできた。
しかし、昭和31年、関西電力は社運をかけ、
現在も世紀の大工事として語り継がれる
「くろよん建設」に踏み切った。

くろよんは、黒部川第四発電所と黒部ダムの総称です。

当時の関西電力社長 太田垣士郎

水があふれ出す大町トンネル破砕帯

この破砕帯突破に関して私も少しは知っていましたが、
想像を絶する困難な工事を克服した当時の関係者の皆様に
深く敬意を表します。前々から黒四ダムは、行きたいと思っていましたが、
改めて機会を見て原付バイクで💦💦訪ねたいと思いました。

当時、ダムサイトまでの資機材搬入は、人力が頼りだった。
断崖絶壁の日電歩道や雪深い立山を雪そりなどで越え、
工事の準備が進められた。
しかし、大型の資機材を運び込むには、長野・大町側からの
北アルプスをくり抜いた大町トンネル(扇沢~ダム地点:
現在の関電トンネル)の開通が必要不可欠であった。

大町トンネル貫通を祝う工事関係者

黒部川電気記念館を後にしましたが、
黒四関連以外にも地域の歴史や伝説の紹介もあって
とても充実した展示内容に大変勉強になりました(*´ω`*)

欅平(けやきだいら)へ向かうトロッコ電車
いってらっしゃい!(^^♪

記念館の外に出ると大きな石碑には 独楽荘(どくらくそう)と刻まれています。
木々の陰になって見えにくいですが💦

この石碑は、背面の碑文にしるされているとおり
日本電力株式会社 初代社長 山岡順太郎翁の黒部川における
電源開発に対する偉業を顕彰して 当時翁を敬仰する人達の
手によって翁の別荘敷地内に建立されていたものであります
翁の没後凡そ半世紀を経た今日 当社は先輩の偉業を偲び
この石碑を黒部川電源開発の記念碑として末永く保存するため
関係者の深い御理解と御協力を得てこの地に移したものであります

昭和51年10月15日 関西電力株式会社

山田胖氏の胸像

山田胖(やまだゆたか)
黒部電源開発の恩人と呼ばれた山田胖氏は、
大正6年に逓信省を退官した後、高峰譲吉博士に熱望され
東洋アルミナム(株)に入社し、黒部川の電源開発の礎を築きました。

その後、大正10年に黒部鉄道(株)の役員に就任し、
黒部市三日市から宇奈月間の鉄道を旅客貨物兼用に発展させ、
地元に大きく貢献しました。

また、「黒部川の電源開発のためには資材補給などの基地として、
宇奈月の開発・発展が重要である」と熱意を注ぎ、
大正12年に無人の荒地であった宇奈月に温泉を引くため、
上流の黒薙温泉から宇奈月までの引湯管を設置し、
宇奈月温泉の歴史の1ページを開きました。

偉大な先人のおかげで今日の黒部川開発や
宇奈月温泉がある事を知る事が出来て
とても知的好奇心が満たされる楽しい旅になりました✨✨
さて鉄道会社のように安全に携わる方には、大事な言葉になりますね。
指差 呼称 進路 確認
気になって撮影しました(^^ゞ

宇奈月温泉 温泉噴水
撮影スポットになっているようで、多くの方が撮影していました。
さぁ次の目的地、新潟県糸魚川市の親不知海岸まで走ります(^_^)/


一級河川 黒部川に架かる国道8号 
四十八ヶ瀬(しじゅうはちかせ)大橋 長さ590m

四十八ヶ瀬大橋から黒部川上流部を写す

大昔は、この川沿いで暮らしていた人々にとって、
この川が電力を生む?とは考えもつかなかったかと思います。

明治24年(1891年)日本で最初の水力発電所(一般供給用)が京都蹴上発電所ですが、
ここから連綿と続く日本の水力発電の歴史が、黒四ダムまで続いているように、
今回の宇奈月温泉を訪れてそう感じました。
https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/place/detail/25
⇧日本遺産 琵琶湖疎水 蹴上発電所

後編へ続く