どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

和歌山県紀の川市 県道4号線を走って鞆渕(ともぶち)八幡神社へお詣り(後半)

2021-05-07 10:04:22 | 日記
2021年5月4日、前回の続きになります。
後半では、鞆渕(ともぶち)地区にある鞆渕八幡神社の話題や
途中で遭遇した?アクシデントについてお伝えします。

主な走行ルートは、国道42号→和歌山県有田川町→県道22号線→県道18号線→海南市(野上新橋)→
国道370号→紀美野町→県道4号線→りら創造芸術高→紀の川市鞆渕(鞆渕八幡神社)→
県道4号線→かつらぎ町(丹生都比賣神社)→国道480号→県道13号線→紀の川市→国道424号→
国道307号→京都府城陽市→国道24号→奈良県奈良市→阪奈道路(府県道8号線)→
海南市(野上新橋)→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜町
走行距離 約287㎞



鞆渕地区を走っていると県道沿いに、このような看板が…
国指定重要文化財 鞆渕八幡神社。えっ?こんな山間部に国指定の重要文化財があるん??
実は、この時に初めて鞆渕八幡神社に国宝がある事を知りましたが、
偶然の発見とはいえ、このような出来事は、旅の魅力が深まります。

しかし随分、急な階段だなぁ(^^ゞ

近くにあった鳥獣保護区の看板を見ると、神社の上の方まで行ける道があるようなので登ってみました。
しかし市町村合併して今は、紀の川市ですが、以前は、粉河町だったんですね。

神社階段すぐの八幡橋近くに建つ御宅ですが、石垣の積み方がスゴイと感じました。

神社の駐車場から眼下を写しました。
先程の石垣の上に建つ民家と後ろは、紀の川市立鞆渕小学校になります。
駐車場までの道のりは、原付バイクなので走れますが、軽自動車なら何とかあがれそうな幅員です。
それでも運転に自信の無い方は、やめられた方が良いかと思います。
対向車が来ても離合出来ません。またガードレールも無いので、落ちたらおしまいです。

八幡橋から少し上手の風景


駐車場から少し上ると鳥居が見えます。

鳥居までの途中には、このような看板が立てられていました。
一、車馬を乗り入れぬ事
一、鳥獣を捕えぬ事
一、樹木を折取らぬ事
一、火をもて遊ばぬ事
一、建物を汚さぬ事
右 境内では固くお守り下さい 社務所



杉(八幡神社の杉)

紀の川市指定 自然保存木
大きな杉の木が境内にはありましたが、全体を写すのは難しいです。
上の木(手洗い舎の横)胴回り5.1m 高さ20.0m
中の木(鳥居の下)胴回り5.4m 高さ23.0m
下の木(階段と車道の交差点の上)胴回り5.2m 高さ25.0m

鳥居近くから階段下方向を写す

鳥居をくぐって左手には、重要文化財 国宝 鞆渕八幡神社 神輿の看板

この建物の中に国宝の神輿(みこし)が保管されているのかなぁ?

鳥居の右手には、国指定重要文化財 建造物 鞆渕八幡神社大日堂
室町時代前期の建造物
室町時代って、足利義満や足利尊氏を歴史で習った程度しか知りませんが、あまりに昔過ぎて
ピンと来ませんが、今でも決して交通の便が良いとは言えない山間部に、
室町時代の建造物が遺されている事が、不思議であると共に歴史の深さを感じます。





本殿への階段を上がります

太いしめ縄があります

本殿の周りは囲われているため正面から全体を見る事は難しいです。

朱色塗りが鮮やかです。

本殿左側

重要文化財 鞆渕八幡神社 本殿 室町時代

本殿から鳥居方向を写す

国指定重要文化財 建造物 鞆渕八幡神社本殿 附 棟札八枚 昭和11年(1936年)4月20日指定
当社は鞆渕地区の産土神として仲哀天皇、応神天皇、姫大神を祀っている。
神社の創建は平安時代である。
本殿は寛政3年(1462年)の棟札を残しており形式手法もよく室町時代盛期の特質を示し、
三間社流造りに中央1間の向拝をつけ、各中備に優美な蟇股を飾る。

平安時代💦💦さらに古くなりましたが、794ウグイス平安京くらいしか知らないです(^^ゞ

和歌山県神社庁 鞆渕八幡神社
きのかわ観光ガイド 鞆渕八幡神社

途中でも紹介しましたが、平安時代当時、京の都からも遠く離れた、
このような山間部に神社が創建されたのか?
とても不思議です。当時この土地で暮らしていた人々からすれば、
華やかな都の文化が入って来た事への
驚きは、相当なものだったかと思います。
長年、和歌山県に住んでいますが、まだまだ知らない所が本当にたくさんあります。
和歌山県民でも紀の川市鞆渕地区に国宝がある!という事を知らない人も多いかと思います。
これからも、様々な事情が許す限り、相棒の原付バイクと共に、各地を旅したいです。

鞆渕八幡神社について紹介しましたが、これで終わり?みたいですが、
実は、このあと大変なアクシデントに遭遇しました。
神社へのお詣りを終える頃から、どうもお腹の調子が…(>_<)

山間部を走る時、私にとって一番怖いのは、トイレ問題です。
もちろん事故やトラブル発生時、携帯の電波が届かないというのも怖いものがありますが、
トイレは、生理現象なので、どうしようもありません。
街中だとトイレに行きたくなれば、コンビニ等のお店や公共のトイレもありますが、
山間部は、トイレに行きたくなった時、本当に大変です。

このような山間部を走る場合、どうしても我慢できない時は、
民家のトイレを借りるしか方法は無さそうです。

トイレを我慢しながら走ると、上鞆渕地区で県道3号線と県道4号線の重複区間が終わり、
再び県道4号線を かつらぎ方面に走ります。

先程の交差点から、やや上り坂が続き、山頂付近に「かつらぎ町」の標識が見えてきました。
写真の白破線を左方向へ行くと県道120号線(上鞆渕那賀線)になりますが、
麻生津方面4トン車通行不能と標識があります。
原付バイクなら問題なさそうな道ですが、かなり狭そうな感じです。

いよいよ、かつらぎ町に入ります。

かつらぎ町側から紀の川市方向を写す

紀の川市と かつらぎ町の境界を越えると、このあとは、国道480号まで長い下り坂になります。
国道480号を走ると高野山へ行けます。この時、下腹部には、結構苦しいものがありました。
正直、写真を撮る余裕もあまり無かったです。

写真では、見えにくいかと思いますが、遠くの山の中腹にトンネルが見えます。
ここから長い下り坂を走り、国道480号を横断して、またトンネルまでの上り坂になります。

下り坂の途中に御所(ごせ)観光案内所を発見。隣にトイレもあります。
うわぁぁぁぁぁぁぁ(^^ゞ助かった…と思いました。

がしかし、トイレのドアは閉まっていました(T_T)
観光案内所も無人だったため観光シーズン以外は、閉めているんでしょうね。
しかし下腹部への痛みは、さらに強くなってきます。
アカン、これ以上は厳しい!自分のお腹に「あと10分我慢してくれ!」と語りかけていました。

ここまで来たら、以前行った丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ)へ走ろう。あそこにはトイレがある!
もうバイクに乗っている間も厳しく、途中の路面から来る振動も辛くて、脂汗?も出てきます。
ギューと痛みが来て、少し我慢すると落ち着いてを繰り返していました。
坂を下り切ると国道480号の信号があるのですが、信号の待ち時間がスゴク長く感じました。
信号が青になって今度は、上り坂になりますが、丹生都比賣神社までの道は、
以前走っているので、ある程度、道路事情は分かっていました。
上り坂の途中でふり返ると先程、下って来た所も見えて、景色が良いのも分かっていますが、
そのようなふり返る余裕は全くありません。
もう何とも言えない脂汗と下腹部への痛みが続きます((+_+))

そして、坂を上りきって天野トンネルを抜けると丹生都比賣神社は、あと少しです。

丹生都比賣神社の輪橋が見えます。
丹生都比賣神社境内マップ

丹生都比賣神社の駐車場にあるトイレへ駆け込みました。
ああああああああ!
私は、救われた(大げさかなぁ?)そんな事を思いましたが、
そのあと何とも言えない脱力感というか、張りつめていた緊張感というか、気力が抜けてしまいました。
この日は、丹生都比賣神社へのお詣りの予定は、無かったのですが、
まさかトイレのために訪れるとは思いませんでした。
これも何らかのお導きだったのかなぁ?

しかし、あまりの脱力感に気力も失せてしまい、お詣りする気持ちになれませんでした。
この時思ったのは「もう白浜へ帰ろう!」でした。
ちなみに前回、丹生都比賣神社へお詣りしたのは、今年3月6日です。
この時は、雨も降り、霧も発生するようなお天気でしたが、
車でしたので、それほど苦にはなりませんでしたが、
ある意味、今回は、苦行の旅?でした(;^ω^)