2日遅れだが…
1994年5月1日。あれからもう11年も経つ。そしてあの日もレースがあったのだから日曜日だったはず。「音速の貴公子」と呼ばれたアイルトン・セナが天に召された日だ。
人気、実力ともトップレベルで憂いを帯びた甘いマスクは特に日本人受けが良かったことを覚えている。勝利して歓喜する表情より寂しそうに微笑んでいた姿を思い出す。
生意気でクレバーな印象を持つ人間好きの私は特にファンというわけではなかったが、セナなしでは日本でもF1ブームはあり得なかったであろうからその存在感を認めざるをえない。
その日のレースはサンマリノ・イモラサーキット。夜遅い時間にテレビを見入っていると見たことのない映像が飛び込んできた。タンブレロコーナーでセナがクラッシュ。いつもならクラッシュがあってもレースに映像を切り替えるのだが大破したマシンしか撮さない。人がピクリと動く様子もない。
動くのをみたのはガクリとなった時。あるいはあの時に息を引き取ったのかもしれない。
<病気やケガに対する人間の治癒力、生命力は想像をはるかに超えて…>同じ言葉ばかりが浮かんでは消えた。超えられなかった事だけが事実として残った。
今や「音速の貴公子」を越えて「赤い皇帝」になったM・シューマッハはあの時まだ若くセナを猛追していた。追いつくことなく逝ってしまった彼を11年たった今どのように思っているのだろうか。F1界の英雄だったと想いを馳せているのだろうか。
画像origoより引用
1994年5月1日。あれからもう11年も経つ。そしてあの日もレースがあったのだから日曜日だったはず。「音速の貴公子」と呼ばれたアイルトン・セナが天に召された日だ。
人気、実力ともトップレベルで憂いを帯びた甘いマスクは特に日本人受けが良かったことを覚えている。勝利して歓喜する表情より寂しそうに微笑んでいた姿を思い出す。
生意気でクレバーな印象を持つ人間好きの私は特にファンというわけではなかったが、セナなしでは日本でもF1ブームはあり得なかったであろうからその存在感を認めざるをえない。
その日のレースはサンマリノ・イモラサーキット。夜遅い時間にテレビを見入っていると見たことのない映像が飛び込んできた。タンブレロコーナーでセナがクラッシュ。いつもならクラッシュがあってもレースに映像を切り替えるのだが大破したマシンしか撮さない。人がピクリと動く様子もない。
動くのをみたのはガクリとなった時。あるいはあの時に息を引き取ったのかもしれない。
<病気やケガに対する人間の治癒力、生命力は想像をはるかに超えて…>同じ言葉ばかりが浮かんでは消えた。超えられなかった事だけが事実として残った。
今や「音速の貴公子」を越えて「赤い皇帝」になったM・シューマッハはあの時まだ若くセナを猛追していた。追いつくことなく逝ってしまった彼を11年たった今どのように思っているのだろうか。F1界の英雄だったと想いを馳せているのだろうか。
画像origoより引用