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TAMAちゃんダッシュ

愛犬タマとマル民の私の毎日です

素材探し

2005-11-14 | 
 管理人の住む地域には徒歩20分もあれば毎日の生活雑貨や食料品の揃うスーパーマーケットが近所に4つある。鮮魚、青果の鮮度が高く価格が比較的安いスーパーが主婦にとっては最も歓迎すべき店ということになるが最もよく利用しているのはそのスーパーではない。特に主人と一緒の買い物の場合にそうなのだが、よく利用するのは最寄りの生協ということになる。この流れでいくと最初に登場した鮮魚、青果の鮮度は比較的高く価格も比較的安価だということになるのだろうが、そういう訳ではない。鮮度はともかくも割高であるのに最寄りの生協を好む理由は他にある。
 まずは見切り品を早く処分するということ。生鮮食料品に限らず物の流れをスムーズにさせ売れ残り感を取り払っているのだ。半額割引表示のお得感は誰しもが持っているし、商品が見切り品としてなくなった分、今まで目にしていなかった商品が新しく並びつい手にしてしまうのだ。
 そして生協の商品だからということで身体に有害であろう添加物が入っていない安心であるとする妄信もある。ならば少々割高でもと考えてしまうわけだ。そして生協の組合員であると時々その恩恵に預かることがある。僅かなことだがこれもポイントが比較的高い。
 最後に本日の記事のカテゴリーは「人」であることで容易に想像がつくと思われますがサービスが素晴らしい-
ではなく、主人曰く「目力の強い素敵なお姉ちゃんがいる」らしい。不純な動機だよね。まあ同性である私が見ても涼やかな目もとでキラキラしい感じがあることは認めることができますがここから先は行き過ぎでしょう。
「娘のようでありそういう対象ではないけど一緒に連れて歩けたらいいな」とか
「自分がスカウトだったら絶対にGIZAスタジオに入れるのに」とか。
「あんたはつんくか野田社長か」と私がツッコミを入れたのは言うまでもないでしょう。
良い素材の商品を探してなのか、独断と偏見で選んだ良い素材の人間を探しての買い物なのか、とにかく幸せな大人だよねと大人になれない私は半ば呆れてみています。

本田美奈子

2005-11-07 | 
80年代はマリリンに
90年代はサイゴンに
そして昨日 星になってしまった。

本田美奈子さんが亡くなった。同世代の者がこんなに早くに亡くなることもそうであるが、その生まれ持った才能に負けないように懸命に自分の生き方を追求し努力を惜しまずやって来たというのに本当に残念でならない。

あの細い体のどこからあのパワーを発揮していたのか。
同じ世代の人間だというのにどうやって自分の転機を認識することができ、それに賭けることができたのだろうか。

自身はまだまだ迷うことが多いというのに。
彼女もまだ道半ばで迷っていたかもしれないが死は突然に訪れた。
懸命に真剣に生きることをまた去ることによって教えられた。

ご冥福をお祈り致します。

越前屋俵太

2005-10-05 | 
皆さんよくアンテナを張っていらっしゃるなとネットを見ているとしみじみ感じる。ここのところ暫く姿を見かけていないなと思っていたら引退及び活動休止の記事が。

越前屋俵太氏は関西発信の番組「探偵ナイトスクープ」の探偵としてや、土曜21:00放送の「世界ふしぎ発見」などで時々ゲスト回答者として出演されていました。ロン毛、ヒゲで私の唯一許せるタレントだったんですけどね。ユニークな体を張った妥協を許さないレポートが最も好ましかった。話術で笑いを生み出すのではなく少し哀愁をも帯びた笑いを全身で表現していたように思うのだ。だからなのか時折繊細なモロい部分も見えていたような気がする。

タレントや芸術家って自分の才能に限界を感じ始めると何かが気に入らないといって「やめたい」事を口にしながらも一度味わった華やかな世界からはなかなか抜け出せないでいる人が多い。演歌歌手のY氏(「海峡」は好き、あと「雪国」とか)なんて何度やめたいと口にしているのを聞いたことか。衆議院議員の開票速報では6月であまりの視聴率の悪さのために番組をうち切られたK氏も登場してましたしね。
ま、才能の限界を感じ鬱になり死を選択するよりは良いとする判断もあるのでしょうが出戻り組には純粋さは感じられません。人間だから間違いはあるしそういうこともあるよで見てあげれば良いのでしょうが。

で、越前屋俵太氏には休止していた間のことも赤裸々に語って復帰していただきたいと個人的には思っている。もしかしたらそれは身を削るよりも辛い事なのかもしれないでしょうが、その部分を超越した彼の姿を望みたいのだ。

紅茶好き

2005-08-19 | 
取引先の大阪のHさん(推定40代前半男性)はだいの紅茶好き。先日私が大阪に出張した時も喉が乾くと紅茶。朝から夕方までずっと紅茶三昧。紅茶を飲まないわけではないがコーヒーブラック派の私としては何だか不思議な感じ。紅茶好きということを聞いて、帰宅すると甘~いケーキにやさしいミルクティーを奥様にいれてもらってるかしら?と想像をめぐらせていた私だったがよくよく見るとそうではないらしい。砂糖を少し入れたストレートティーばかり。人の嗜好をどうこういうつもりもないが、若ぶりだがガタイの大きいおじ様にミルクティーはさすがにないなと思っていた。

昼食後、食後のコーヒーが運ばれてくる時にもわざわざストレートティーを所望。女性なら結構あると思うのだが敢えてコーヒーでない理由は???
「コーヒー飲まれないんですか?」と私。
「昔はコーヒーばかりやったんやけど今はこっちのが好きずっと紅茶ばっかり。」とHさん。あまりにもお茶目な表情を不覚にも可愛いとか思ってしまいました。でも…

可愛くない!

何故コーヒーばかりだったのに紅茶オンリーになってしまったのか。
理由は可愛くなかった。
さて理由は何なのでしょうね。考えてみてください。

このHさん8月末にこちらに来る予定なのでお土産にアールグレイなんぞを持たせるべきか寿屋コーヒーを持たせるべきなのか現在検討中。ってどっちも持たせると思うけど。
Hさんのためを思うならコーヒーだと思うのだけどね。(←理由はこのあたりに関係してます。
私ってホント優しいわ。

Walther Schellenberg

2005-08-14 | 
ノラナ「ブルーバード」
ヴァルター・シェレンベルク(1911~1952)。彼が生きたのはナチスドイツの時代。RSHA(ナチ親衛隊情報部)第6局(国際諜報課)局長・SD(保安本部)隊長でヒトラーからも「鉄の心を持つ男」と呼ばれた情報部(RSHA)長官のラインハルト・ハイドリッヒの部下。RSHAは7局からなりシェレンベルクが統括してたのは第6局の国際諜報課。そんな要職にあるのも当然、実際ボン大学の医学部に入学しすぐに法学部にうつり数カ国語を話せたそうです。反面、就職がなかったからSS(ナチ親衛隊)に入ったとの話もありますが学生時代から諜報活動をしていたとの話もあり掴み所のない人物のようにも見えます。
実際のところSS将校になり出世するまでは他の党員と同じように諜報活動に身をおきながらナチのやった非道なふるまいも同じようにしていたらしいです。逆にラインハルト・ハイドリッヒの死後、SD(保安本部)隊長となった頃からガラリと変わって平和主義者の一面も見せ始めている。要職にいたにも関わらずニュルンベルク裁判で禁錮6年の軽い刑ですんだのは、彼が強制収容所のユダヤ人援助のために努力したからだとも言われています。周囲はそんな彼を「敗戦主義者」と呼んでいたらしいが。彼はドイツの2次大戦での敗戦を早くから感じとっていたらしい。ヒットラーが自殺した時もデンマークで母国に有利な降伏工作をしていたそうです。

ナチと自分のとっていた行動をどこで異常だと感じて「平和主義者」になっていったのだろうか。
出所後2年して肝臓癌で亡くなっているので何をどう感じていたかをあらわしている文献はほとんどないらしい。彼の葬儀費用をココ・シャネルが出しているので愛人説もあり(SSの制服もシャネルがデザインしたとか)それほど魅力にあふれた人物だったのだろうかと今更ながら思うときがある。

ナンバー2

2005-08-13 | 
アナガリス・モネリ
大河ドラマって見たことがありますか?今年放映されているタッキー義経はおいといて(判官贔屓ならぬ平家びいきなんで)、昨年の題材「新撰組」は結構好きでした。どんなところが好きかって、時代の流れと逆行していることに気づきもしないで自分の信じる正義を貫ける集団でいられるあたりが…きっと悪趣味と言われるかもしれませんが。
昨年の大河「新撰組」は人気脚本家三谷幸喜氏の作品でしたがあまり評判は芳しくなかったようです。新撰組のメンバーの実年齢に近づけて若いキャスティングでいったのだが、ミスキャストが多かったこととやはり三谷氏は喜劇向きだということだろうか。ただナンバー2にあたる人間の悲哀をもう少し表現できていたならもう少し見直すことができたのではないかと思っています。
新撰組のナンバー2土方歳三。大将で旗振りであった近藤勇を活かすためにはどんなことでもやってのけた鬼副長。局長である近藤勇が最終的な決断をするのだが方向性を決定づけるのはナンバー2の役割。組のためにならない芹沢鴨を誅殺し厳しい局中法度を作成し組全体の締め付けなど汚い部分のすべてをかぶったとされている。時代を逆行していこうとする集団の動勢の中で彼だけはブレていなかったと信じている。何故ブレていなかったのか。それは近藤勇の率いる新撰組の発展のみに自身をかけていたから。そういう意味で間違ってなかったと確信している。
ナンバー2の役割って何だろう。頭は2つも必要ないし頭よりもしっかりしていないと組織とかになればダレた締まりのないものになってしまう。

ここのところナンバー2の役割を考えることが多い。いったい何のためにと問われると答えに窮するが、自身が強い生き方をしていかなければならない事と、さらに誰かを守る強さをあわせもたなければならない生き方はとても鮮やかな生き方のように感じるから。魅力的にうつるのだ。

旅の収穫

2005-07-31 | 
収穫したビオラ

今回の大阪日帰り旅行(出張です)で得たものはやっぱり新しい人と知り合いその人の生き方の一部を見ることができたということでしょうか。
人間は年齢じゃないというけれど、どうしても年齢で見てしまうことが多いですね。何人かにお会いしましたが、関西人の特徴なのかもしれませんがとにかくここぞと言う時には喋り倒す。で、自分のペースに持ち込んでしまうのかと思います。(別に悪い意味じゃないですよ。)喋り倒して散々相手をつきあわせた挙げ句、相手の様子を見ながら本質をつきつめて自分の知りたいことを知ろうとする。関西人の喋りの意味はきっとそういうことだと思います。話をたくさんするのは相手のことをより理解しようとするから。どの年齢の人も大体そうかもしれません。

年若いのに全体をみる能力に長けた人で場の雰囲気から自分の役割や動きを瞬時に判断して行動できる人。(この人は以前から知っている人でしたが、やっぱりスゴイって再認識しました。)
逆にかなり年輩であるのに発想が斬新で柔軟性があり育てる能力を持った人。

まだまだ人間ウォッチングをすると同時に自分を磨かなくてはと感じることのできた旅でした。

手紙

2005-06-24 | 
長い間連絡を取らないでいたままだったがどうしても動向が気になる人っていますよね。そういう人にみなさんはどのような形で連絡をとりますか。
お互い毎日の生活が忙しくて自分の時間を割くことができない事や、長く続きそうにないドライな関係で成立している人間関係が多いのが一因であるのだが。過去の関係の中で振り返ってみてやはり大切な人だと思える人は今も大切な人だと思うことがあるのです。勿論こちらの一方通行かもしれないけど。
ワイルドストロベリー…花言葉:愛情、尊重
男性でも女性でも恋愛感情とは別にゆっくりしっとりと共有する時間を持ってお互いのことを話していきたい人っていると思うのですが、でも実際のところ話をできないから幸せであって欲しいと願うだけである。
先日その人の状況がある出来事を境に変わってしまったと思われるのです。きっとそんな出来事でもなければこんな風に感じなかったのかもしれませんが。いつか再会できればいいなぐらいで済んでいたのでしょうが再会したいという思いにかられています。
10年ぶりだからちょっと連絡をとるのが気恥ずかしいですが苦手な手紙を書いてみようと思っています。


希薄

2005-06-15 | 

1週間ほど前になる夕方のことである。
以前勤めていた職場の知り合いの私より5つほど年少の女性に道端で呼び止められた。
私は視力が悪いのと歩く際に花や建物などを見回しながら歩いているせいか(決してブログネタを探しているわけではない)自分の方から知り合いに気づくことはまずない。
それにも増して懐かしさのあまり声をかけてくれたのだろうが働いていた時はそう話をする間柄ではなかったはずだ。彼女は正社員、私は契約社員のようなものだったし、既婚独身で話もそうかみ合うことがなかった。
聞けばこの4月に仕事を辞めたそうだ。懐かしい話と今は充電期間で習い事を始めたことなどを30分以上立ち話したであろうか。職場にいた時も話がかみ合わないと思っていたためにそんなに話したことはない。
「近所でしたらいつか寄らせてもらいますね。」といい彼女の方が私の姿を見送る形で別れた。
本当に訪ねてきそうな気がしたのは30分の間に彼女が本当に言いたかったことが言えなかったような気がしたからである。

家族は別として生き方や物事に対する姿勢、思いを交わすことのできる相手はそうはいない。
いつだったか柳美里さんの「命」の中で読んだことを記憶しているが、家族以外に自分が本当に困った時に助けてくれる人に出会うことは非常に困難な事なのだと。そういう私も冷静に考えてみて
それに近い友人がいると感じるのがだが実のところはハッキリしない。

何もかもが簡単で浅く薄いものの存在の中から深く堅い繋がりを探し出すためにはどうしたら良いのだろうか。そんなことはきっと見つけようとして見つけだせるものではないだろうけど、いつか会えるかもしれない誰かのために自分を磨いていくことができればと思う。漠然とだけど…

彼女と次に会えたとしたらどんな話ができるでしょうか。

マスク

2005-06-06 | 
業務用食品スーパーに出かけると懐かしい顔を見ることができた。顔の輪郭や髪型などがかなりインパクトが強かったのですぐにその人であると確認できた。(遠目に見ていただけです)
学生時代に雑貨兼おもちゃ、文具のお店で長期にアルバイトをしていた時に出会った人だ。そのお店の従業員ではなく時々見かけていたので、最初は私のおめでたい頭で「怪しい人」とか思っていた。どう見てもそのお店の客層からはかけ離れている年齢や雰囲気、服装なのだ。どういう素性の人か後に聞いてすぐに納得したのだが。

その人の仕事は万引きGメン。その頃はそんな言葉がなかったから私は心の中で「補導のおばちゃん」と呼んでいた。ティーンエイジャー中心のお店にスーツ姿、緊迫感あふれる雰囲気で仕事をしているわけだから場のイメージにそぐわないのも無理はない。それに靴はヒールが高くないものでバッグはショルダーで万引きした若者をおいかけるためにダッシュできるいでたちだった。

万引きをする子どもたちは周囲の店員の様子など気にするも隠れて仕事をするおばちゃんには気づかないんですね。でもしそうな雰囲気は注意していると私たち店員にもわかる時があるのです。

おどおどしながら隙を狙って事をなそうとする子どもの表情。
決して逃すまいと構えている「補導のおばちゃん」の厳しい顔つき。
その様子をどうなるのかと心配しながら見ている私たち。

補導されると

すごく悪いことをしてしまったと涙している子どもたち。
全く悪びれない雰囲気を醸し出す子。

緊張感を引きずってより一層険しくなる「おばちゃん」。
見ている私たちは怒り、悲しみ、寂しさを持って仕事に戻る。

昨日偶然見かけた「補導のおばちゃん」は少し顔がほっそりとしていたが優しい表情をしていた。もしかしたらもう仕事から解放されたのかもしれない。
「厳しいマスクをつける必要がなくなったのか。」と何だかとても嬉しかったです。