2019年10月7日(月)晴れ 38.7℃
マラケシュ市内観光(メナラークトビアーメディナーサラディーン廟ーバヒアーホテルージャマエルフナ広場ーホテル
GPS記録 登坂累計高さ:134m 最高標高:511m 移動距離:38.2Km 移動時間5時間08分 最高時速:70.9Km/h 停止時間:6時間38分
宿:ADAM PARK MARRAKECH HOTEL連泊
朝7時にバイキングの朝食をプールの奥のホールで食べましたが、今回の旅行で一番豪華でした。
出発の9時まで時間があったので、ホテルの外に出てみたり、ロビーでくつろぎましたが、バックパッカーには高級過ぎる雰囲気でした。
マラケシュでの現地ガイドは独身で長身のアブさん。先ず9時20分から約35分、メナラ庭園(Menara gargens)を案内して頂きました。彼の日本語は全ルートを一緒に行動してくれるサイドさんより上手で完璧でした。観光案内の写真では緑色のピラミッド型屋根を持ったパビリオンが出ていますが、行ってみると凄く大きい貯水池でマカケシュから30Km離れた山地から供給され周囲のオリーブ等の庭園に灌漑する為に用いられていますが、乾燥地帯だから水は非常に貴重で昔は戦略的にも用いられたとか。人造湖の中には魚が居て、パンを投げ入れると群がってきました。
敷地が広く、近くにある空港に発着する飛行機が飛んでいるのが見えます。ガイドのアブさんはとてもフレンドリーでオリーブ畑を歩いて帰る時も写真を撮ろうとするとスマホを要求して自撮りで一緒に写してくれたり、犬や猫の鳴き声はモロッコではミャオーやハウハウと鳴くなど色んな話をしてくれました。
メナラ庭園の次にクトビアモスクへ行きました。
途中で昔の水売りの衣装のオジサン達と記念写真。本当は写真を撮るとチップが必要なのですが、団体だったので先に支払った人が居たので無料で撮らせてくれました。
ナツメヤシの実が育っています。ひときわ高いヤシの木に似せたものは景観を損なわない様には配慮された電波塔です。
アグノー門Bab Agnaouから旧市街に入りました。今回の旅ではマラケシュガイドのアブさん、現地同行ガイドのサイドさん、添乗員の小松さん合計3人のガイドが案内してくれますが、案内板を見てもさっぱり解りません。ひとり旅なら事前に地球の歩き方などで十分地形を理解しておかないと迷子になりそうです。
モロッコではマーケットを「スーク」と呼ぶのだそうです。フェズでは道路幅が狭くて曲がりくねっていましたが、マラケシュではそれ程道は狭くありません。
ガイドさんが説明したのを聞き逃したのかそれとも説明してくれなかったのか?長い行列に並んでやっと前まで行けて人が2人立てばいっぱいになる様な狭い開口部から覗くと床の棺が見えたので「ははーん、誰かの廟なんだよなあ」と思い、ホテルに戻って日程表を見て初めてサアード朝の王が眠る霊廟「サラディーン廟」だったと判りました。
モザイクなどの装飾が緻密で絢爛豪華です。
11時に大きい土産物店のトイレを借りてショッピング。その後もスーク内を歩いているとカラフルだったり、色んな香辛料や革製品、織物等々、ここには昔からアフリカ全土からの物資が集まっているのではないかと思われました。
お土産に「ファティマの手」のキーホルダーを買いました。モロッコには2週間で消えてしまう入れ墨があります。その入れ墨を手にしてまだ乾いていない時に戦場に出て行く息子を抱きしめて送り出したところ、母親の手の形の入れ墨が息子の体に付いてしまった。その息子が戦争で負傷もせずに無事に帰ってきたから、手の形即ち「ファティマ」がお守りとして大切にされる様になったと添乗員の小松さんが教えてくれました。ネットを調べても、その説は見当たらず他の説明があるので、NHKのチコちゃんではないけど、「そのような説がある」と言う事だと思います。
少ない看板はアラビア文字。スーク内はアラブやイスラム世界なんだろうなあと思います。
12時、バヒア宮殿を観光。19世紀末、妃4人と24人の側室を持つ高官が自らの邸宅として建てたイスラム建築の傑作だそうです。ガイドのアブさんがイスラム世界に於ける一夫多妻制の現状も話してくれました。邸宅内にはエレベーターもあります。
午後1時半、旧市街から出てジャマエルフナ広場を通りレストランでピザの昼食を食べました。レストランまで歩いている時の気温は38.2℃でした。暑いけど我慢出来ない訳ではありませんでした。ピザは1人1枚ですが、殆どの人が半分以上残していました。私は完食、残すなんて勿体ない!
食後、ホテルに戻り自由時間だったので、急いで水着に着替えてプールへ泳ぎに行きました。泳ぐのにちょうどいい水温でした。いいロケーションで雰囲気もいいのに誰も泳いでいなかった。夕方も観光があり、買い物する時間は今しか無いと思ったので、プールでバスタオルを借りて巻き、部屋に戻って着替え、カルフールへ土産のクッキーやチョコレートを買いに行きました。
夕方5時にバスに乗ってジャマ・エル・フナ広場へ行きました。広場が見える3階のレストランで解散です。
グループの2名がパブーシュを値切って買うというので、同行して店や値切り交渉の見学をしました。日が暮れ始める頃になると、広場には人が多くなり、太鼓を叩くパフォーマーが蛇使いの近くで演奏をするなど賑やかになっていました。まだ気温は38.7℃あります。もっと暗くなれば気温は下がるのでしょう。
夕食は午後7時40分からホテルのバイキング。さすがに五つ星だけあって今回の旅で一番豪華な料理が並んでいました。
日本人が食べようとしない料理があったので「何ですか?」と聞くとスタッフの女性が教えてくれたのですが、知らない料理名だったので「知らない」と言うと「美味しいよ」と言うので中央の茶色いものと左の肉の塊を取ってみました。中央の粒粒の茶色いものは豆を煮たものでした。左の肉は羊でした。どちらも慣れてないけど食べれます。きっとモロッコの人が最も好きな食べ物の様な気がします。昔、香港へ出張に行き現地の営業マンと食事した時に「日本人はシューマイの様な同じ物ばかり食べるけど、本当はこれが旨いんだよ」と教えてもらって日本人が現地の食べ物を知らないと学んだことがありました。イスラムの人は豚を食べずにチキンばかりでなくて羊をいっぱい食べているはずなのに、パック旅行の食事で羊は出ない。せっかくモロッコへ行ったのだから、タジンは日本人が知っている「イワシ」や卵でなくて一般のモロッコ人が食べている料理を出して欲しいと思うのは少数派なのかな?ピザを1枚食べれない平均的日本人は北海道のジンギスカン以外に羊を食べようとしないのかな?一人旅で本当のモロッコをもっと知りたいと思った。
食事が終わって部屋で飲むガス入りミネラルウォーターはフランス系スーパーのカルフールで買ったペリエですが、ラベルにはアラビア語が書いてありました。毎朝バスに乗ると配給されるガス無しの水が右のシディアリです。
マラケシュ市内観光(メナラークトビアーメディナーサラディーン廟ーバヒアーホテルージャマエルフナ広場ーホテル
GPS記録 登坂累計高さ:134m 最高標高:511m 移動距離:38.2Km 移動時間5時間08分 最高時速:70.9Km/h 停止時間:6時間38分
宿:ADAM PARK MARRAKECH HOTEL連泊
朝7時にバイキングの朝食をプールの奥のホールで食べましたが、今回の旅行で一番豪華でした。
出発の9時まで時間があったので、ホテルの外に出てみたり、ロビーでくつろぎましたが、バックパッカーには高級過ぎる雰囲気でした。
マラケシュでの現地ガイドは独身で長身のアブさん。先ず9時20分から約35分、メナラ庭園(Menara gargens)を案内して頂きました。彼の日本語は全ルートを一緒に行動してくれるサイドさんより上手で完璧でした。観光案内の写真では緑色のピラミッド型屋根を持ったパビリオンが出ていますが、行ってみると凄く大きい貯水池でマカケシュから30Km離れた山地から供給され周囲のオリーブ等の庭園に灌漑する為に用いられていますが、乾燥地帯だから水は非常に貴重で昔は戦略的にも用いられたとか。人造湖の中には魚が居て、パンを投げ入れると群がってきました。
敷地が広く、近くにある空港に発着する飛行機が飛んでいるのが見えます。ガイドのアブさんはとてもフレンドリーでオリーブ畑を歩いて帰る時も写真を撮ろうとするとスマホを要求して自撮りで一緒に写してくれたり、犬や猫の鳴き声はモロッコではミャオーやハウハウと鳴くなど色んな話をしてくれました。
メナラ庭園の次にクトビアモスクへ行きました。
途中で昔の水売りの衣装のオジサン達と記念写真。本当は写真を撮るとチップが必要なのですが、団体だったので先に支払った人が居たので無料で撮らせてくれました。
ナツメヤシの実が育っています。ひときわ高いヤシの木に似せたものは景観を損なわない様には配慮された電波塔です。
アグノー門Bab Agnaouから旧市街に入りました。今回の旅ではマラケシュガイドのアブさん、現地同行ガイドのサイドさん、添乗員の小松さん合計3人のガイドが案内してくれますが、案内板を見てもさっぱり解りません。ひとり旅なら事前に地球の歩き方などで十分地形を理解しておかないと迷子になりそうです。
モロッコではマーケットを「スーク」と呼ぶのだそうです。フェズでは道路幅が狭くて曲がりくねっていましたが、マラケシュではそれ程道は狭くありません。
ガイドさんが説明したのを聞き逃したのかそれとも説明してくれなかったのか?長い行列に並んでやっと前まで行けて人が2人立てばいっぱいになる様な狭い開口部から覗くと床の棺が見えたので「ははーん、誰かの廟なんだよなあ」と思い、ホテルに戻って日程表を見て初めてサアード朝の王が眠る霊廟「サラディーン廟」だったと判りました。
モザイクなどの装飾が緻密で絢爛豪華です。
11時に大きい土産物店のトイレを借りてショッピング。その後もスーク内を歩いているとカラフルだったり、色んな香辛料や革製品、織物等々、ここには昔からアフリカ全土からの物資が集まっているのではないかと思われました。
お土産に「ファティマの手」のキーホルダーを買いました。モロッコには2週間で消えてしまう入れ墨があります。その入れ墨を手にしてまだ乾いていない時に戦場に出て行く息子を抱きしめて送り出したところ、母親の手の形の入れ墨が息子の体に付いてしまった。その息子が戦争で負傷もせずに無事に帰ってきたから、手の形即ち「ファティマ」がお守りとして大切にされる様になったと添乗員の小松さんが教えてくれました。ネットを調べても、その説は見当たらず他の説明があるので、NHKのチコちゃんではないけど、「そのような説がある」と言う事だと思います。
少ない看板はアラビア文字。スーク内はアラブやイスラム世界なんだろうなあと思います。
12時、バヒア宮殿を観光。19世紀末、妃4人と24人の側室を持つ高官が自らの邸宅として建てたイスラム建築の傑作だそうです。ガイドのアブさんがイスラム世界に於ける一夫多妻制の現状も話してくれました。邸宅内にはエレベーターもあります。
午後1時半、旧市街から出てジャマエルフナ広場を通りレストランでピザの昼食を食べました。レストランまで歩いている時の気温は38.2℃でした。暑いけど我慢出来ない訳ではありませんでした。ピザは1人1枚ですが、殆どの人が半分以上残していました。私は完食、残すなんて勿体ない!
食後、ホテルに戻り自由時間だったので、急いで水着に着替えてプールへ泳ぎに行きました。泳ぐのにちょうどいい水温でした。いいロケーションで雰囲気もいいのに誰も泳いでいなかった。夕方も観光があり、買い物する時間は今しか無いと思ったので、プールでバスタオルを借りて巻き、部屋に戻って着替え、カルフールへ土産のクッキーやチョコレートを買いに行きました。
夕方5時にバスに乗ってジャマ・エル・フナ広場へ行きました。広場が見える3階のレストランで解散です。
グループの2名がパブーシュを値切って買うというので、同行して店や値切り交渉の見学をしました。日が暮れ始める頃になると、広場には人が多くなり、太鼓を叩くパフォーマーが蛇使いの近くで演奏をするなど賑やかになっていました。まだ気温は38.7℃あります。もっと暗くなれば気温は下がるのでしょう。
夕食は午後7時40分からホテルのバイキング。さすがに五つ星だけあって今回の旅で一番豪華な料理が並んでいました。
日本人が食べようとしない料理があったので「何ですか?」と聞くとスタッフの女性が教えてくれたのですが、知らない料理名だったので「知らない」と言うと「美味しいよ」と言うので中央の茶色いものと左の肉の塊を取ってみました。中央の粒粒の茶色いものは豆を煮たものでした。左の肉は羊でした。どちらも慣れてないけど食べれます。きっとモロッコの人が最も好きな食べ物の様な気がします。昔、香港へ出張に行き現地の営業マンと食事した時に「日本人はシューマイの様な同じ物ばかり食べるけど、本当はこれが旨いんだよ」と教えてもらって日本人が現地の食べ物を知らないと学んだことがありました。イスラムの人は豚を食べずにチキンばかりでなくて羊をいっぱい食べているはずなのに、パック旅行の食事で羊は出ない。せっかくモロッコへ行ったのだから、タジンは日本人が知っている「イワシ」や卵でなくて一般のモロッコ人が食べている料理を出して欲しいと思うのは少数派なのかな?ピザを1枚食べれない平均的日本人は北海道のジンギスカン以外に羊を食べようとしないのかな?一人旅で本当のモロッコをもっと知りたいと思った。
食事が終わって部屋で飲むガス入りミネラルウォーターはフランス系スーパーのカルフールで買ったペリエですが、ラベルにはアラビア語が書いてありました。毎朝バスに乗ると配給されるガス無しの水が右のシディアリです。
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