ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

カッパドキア(1)

2024-02-11 09:25:05 | トルコ旅行
第3日(2024年1月31日)
ホテルーイスタンブール空港ーカイセリ空港ーギョレメ昼食ーギョレメ野外博物館ー洞窟家屋訪問ーフォトスポットー陶器店ー洞窟ホテルー夜の買い物


朝5時半のモーニングコールでしたが、4時半には起きて荷物をパッキングして、6時半にL階の食堂で朝食を食べました。(トルコでは1階が「L」、2階が「M」、「1」が3階です。)オリーブの産地だけあって色んな種類のオリーブが並んでいましたが、食べ過ぎるので、パンと野菜とヨーグルトだけを食べました。

7時にバスでイスタンブール空港へ行ってトルコ航空の国内線でカッパドキアに向かいました。空港に於けるチックインはセルフで座席を選ぶのですが操作が分からず、同じ団体の仲間の基山から来たテニスプレーヤーの女性一人旅Aさんに教えてもらって搭乗券を得ました。次の荷物のチェックインもセルフで自分で画面を操作し、コンベアに置いたスーツケースに荷物のタグを取り付けます。何度操作しても動作しなかったのは設備のエラーで戸惑っていたら復旧して何とか手続きできたのはエリキンさんが手伝ってくれたから。一人きりの旅ならパニックになったかも?世の中どんどんデジタル化が進んでいるので勉強が必要だと思いました。


カッパドキアは寒いと聞いたので、皆しっかり防寒具を着込んで、9:50イスタンブール発カイセリ空港行きのトルコ航空TK-2016便に乗り込みました。
 
約1時間30分の国内のフライトですが、温めたハムサンドとジュースがでましたが、このパンがあまりにも美味しくて完食してしまいました。


のんびり旅行して美味しいトルコのパンを食べながら航路を示す画面を見ていると、我々が飛んでいる北側=黒海の上(北)にはodesa(オデーサ)やMariupol(マリウポリ)という地名が見えました。ウクライナの戦場がすぐ近くにある!と気づきました。
 
11時20分、カイセリ空港ASR=Kayseri Erkiletにランディングし、荷物を取り出して50分には待機していたバスに乗りました。

昼食場所のギェレメまで75Kmを国道D300で西へ向かいます。左の車窓に中央アナトリアで最も高い火山「エルジエス山」標高3916mが見えました。カッパドキアの奇岩はこの火山から噴出された火山灰や溶岩などが雨と風で浸食されたもので、スキー場があり、同じ飛行機にも冬休みをスキーで過ごすスキー板を持った人も乗っていました。

緑が少ない大地は肥沃には見えず、麦と砂糖ダイコンしか収穫できないそうです。カッパドキアは地名でなくて奇岩が多い地域の名前です。ユルギュップに入ると奇岩が見え始めました。32年間ガイドをしているエリキンさんがカッパドキアの歴史や地理の話を詳しくされました。5000年前に噴火したアララト山5165mが休火山となった。この噴火も奇岩を作る要因となった。ヒッタイトが鉄を武器に栄えた紀元前1300年頃、鉄を作るのに木を伐採してしまったが、雪が降るので水資源は地下から汲み上げることが出来る。エジプトとヒッタイトが平和条約を結んだ。カッパドキアはペルシャ語で強くてきれいな馬という意味。西安からイスタンブールまでのシルクロードを2年かけてラクダが陶器を運んだ。ラクダの寿命は40年。陶器が割れない様に泥で固めていた。ヒトコブラクダは1回で100Lの水を飲み21日間水無しで歩けた。簡単なメモを取ったけど聞き漏らした事や聞き間違いがあると思うが実に知識豊富なガイドさんと感心しました。
 

午後1時に昼食のレストラン(Köşebaşı Kapadokya)に着きました。庭には積雪がありました。ギョレメの町の中心部(200mほど南西寄り)なので奇岩も見えます。
 

壺に入った肉を客の目前で火あぶりにするパフォーマンスは撮るチャンスを逃してしまいましたが、伸びるアイスクリームをクレープしたデザートもある、美味しい豪華食事でした。
  

  

昼食後はバスで2キロほど移動してギョレメ野外博物館を見学しました。入場料が必要なのでゲートがあり、エリキンさんがゲートのバーが開く様にスマホで操作してくれます。「博物館」と言う名前はついていますが、ここは隠れキリシタンの洞窟教会で内部には今でも色彩豊かな壁画が残っていますが、残念ながら撮影禁止となっています。中でも暗闇の教会が最も壁画が美しいのですが、別料金が必要です。キリストの歴史を壁画にどう表現されているのか、ここでも博識のエリキンさんの詳しい説明がありました。
 

売店の先に停めたバスを集合場所として自由行動になりました。事前に滑りにくい靴を履くように注意されていましたが、坂と階段と凍った場所があり、高齢者には厳しい山登りです。
   

 

 

歩いた軌跡がGPSに残っています。事前にgooglemapからデータを読み取りウェイポイントとして記録し、現地を想像してシュミレーションして臨みましたが実際に行ってみると想像と随分違っていました。


3時40分、旅行社が事前に計画した観光順序には無かった洞窟ハウスに住む個人宅を見せてもらえることになりました。カッパドキアには7軒の洞窟ハウスで暮らす人が居てエリキンさんの馴染みの1軒に電話連絡すると訪問をOKしてもらえたそうです。この家の持ち主はアドゥナンさん、60歳。洞窟ホテルの工事をする建築土木の技術者で政府に認められて住むことを許されているが、家賃は昔は無かったが今は5年で1万円だそうです。奥様は織物の先生で我々を受け入れたリビングルームにカーペットの織り機がありました。3階建てで2階が教会(今は使っていない)1階がリビング、地下が寝室だそうです。世界遺産なので一切の改造が許されていないからリビングの床は傾斜したままです。洞窟なので冬は暖かく夏は涼しいそうですが、子供達は好きではないのでここには住まない。暖房は石炭ストーブで、一般の家では年間2トンを必要とするが、洞窟では500キロで済むので経済的。リビングには絨毯が敷き詰められていましたが、1枚はお婆さんの製作、もう1枚は奥様の作品。カッパドキアでは女性が結婚するまでに3枚の絨毯を作ることを求められ、1枚は親に、もう1枚は結婚相手に、そしてもう1枚は自分が使うのだそうでした。アップルティーが振舞われました。
  

 

  

食べ過ぎてしまったのか、洞窟の家を出るときに、どうしてもウンチがしたくなってこの家の屋外のトイレを使わせてもらいました。小屋のドアを開けると和式と同じスタイルで使用する便器があり、ドアに向かって右側には水道のレバーとホース、左には空のバケツが置いてありました。用済み後ホースの先を便器まで持って来てレバーを倒すと水が出て汚物が流れます。尻を拭いた紙をバケツに置いて出たけど、それで礼儀にかなうのか不明。ミャンマーやタイでは水桶と柄杓が置いてあり右手で柄杓の水をお尻にかけながら左手で拭きます。それより寒い所だから水には手を触れないのだろうと思います。下水処理がどうなっているのか聞かなかったけれど。東南アジアより文明が進んでいるのでないかと感じました。一般家庭のトイレ内部の写真を撮れなかったのが残念。


午後4時40分、撮影スポットのアブジュラル谷で写真タイムを取りました。
 

今日最後の場所は陶器店。作業員の絵付けやロクロの操作を見た後、多くのコレクションを見て販売もされましたが、芸術品の模倣を嫌うのか撮影禁止の場所が多かったです。
 

  



午後6時40分、洞窟ホテルのミニアホテル(Cappadocia Minia Cave Hotel、Ortahisar)にチェックインしました。カッパドキアはワインの産地であり、ウェルカムドリンクとしてワインがありました。
 

我々の201号室はロビーから近く、ソファーがあって良い部屋でした。203号室は佐世保から参加の女性、204号室は長崎からの女性、本当の洞窟の部屋は築城にKさんが割り当てられました。洞窟を利用しているので、それぞれユニークで均一性がありません。
 

 

夕飯はホテルの食堂で鮭のグリルでした。デザートのお汁粉は全然甘くなかった。
  

夕食後、ホテルを抜け出してスーパーのARIKANへチョコ菓子を買いにいきました。イスタンブールより東部の田舎は物価が安いと一般的に言われており、夜間も安全と思うし、ホームページの口コミの評価が良かったのでホテルに近いBIMへは行かずに、ここへ行ったがずば抜けて安い訳ではなかった。部屋にフルーツがあり、オレンジを食べるとめちゃくちゃ美味しかった。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イスタンブール(1) | トップ | カッパドキア(2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

トルコ旅行」カテゴリの最新記事