ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

大和を写真に残した人の展示会3

2024-02-24 08:20:54 | プチ旅行

春日大社近くのこの辺りは
綺麗に整備されていますね。
芝生もきれいです。



鹿は芝生も食べているんでしょうねえ。

そして今は梅の花が見頃でした。
あまり華やかさのない奈良のこの時期は、
梅が人気のようです。
たくさんの観光客が、梅の下で
携帯のカメラで撮影をしていますねえ。



そしてもちろん鹿もたくさんいます。



外国人の観光客が煎餅をあげたりするので、
鹿も少し殺気だっています。
見てたらその鹿せんべいも
今は200円するようです。
諸経費の値上げでこちらも
値上がりしているんでしょう。

そんな景色を見ながら歩いていくと、



また街の中に入ってゆきます。
バスの止まれるような
大きな食堂があったり
するのでなんとなく観光客も多いです。

新薬師寺は初めていくんですが、
観光客で混んでいるのかなあ
と少し心配になりましたねえ。
少しずつ観光地っぽいお店も
建っています。



あ、こんな食べ物あるんですねえ。
どんなんでしょう。

空気ケーキ。

いたずらを考えたら
いろいろと思い浮かぶのですが、
まあ今日はそういうたびでは
ありません。
気にはなりますがスルーしてゆきます。

山に向かって軽く登ってゆきますと、
道標と家の壁に貼られた
新薬師寺の案内が見えてきました。



道標にも新薬師寺と書かれていますが、
その道標の下には「山の辺の道」
と書かれています。



ああそうかあ、天理から桜井へと
続くこの道も、奈良から
続いているもんねえ。

doironにとってもこの辺りの
山の辺の道は未踏の道です。
その入り口がこの辺から
始まるんだということを
頭の片隅に置いておきましょう。

そういえば昔、柳生街道を
ジダンと歩いたときに、
山道に入る前に
新薬師寺方面はこちらと書いてあり、
山の辺の道も案内していたような気がします。

また次のセッションに
つながってゆきますねえ。



この辺りは古い町の通りです。



こんな石垣のある道を通り、



さらに出てきた山の辺の道の
案内に沿って歩くと、



新薬師寺に到着です。



あの巨大な薬師寺の「新」ですから、
五重塔も六重になっていたりと
さらに派手なお寺かと思ったら、
街外れの小ぶりで静かなお寺でした。

創建したのは光明皇后と言われています。

ここまでまだ入江さんの
展示館はなかったので、
とりあえずこの寺の見学から
始めましょう。

「たのもう」なんて言いつつ
入っていくわけではありません。
門のところには、さらに小さな門が
付けられています。
鹿よけやね。

門に門、変やなとおもってたら、
絵手紙の言葉が思い浮かびました。
寺の門を描いて、横に
「ええ門見ました」って書きましょう。

奈良の静かなお寺で、
厄介なこと考える変なおっさん
なのであります。

中にはいると、う~ん六重の塔も
ありませんね。
正面に静かな入母屋造、
本瓦葺きの低平な印象の本堂が現れます。
本当に静かなお寺です。



入館料は本堂の中でと
書いた紙が貼られています。
本堂の右側に入り口があるようなので
回ってゆきますが、
その前に少し寺内の端にある
石仏なんかを見てゆくことにしましょう。

続く

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大和を写真に残した人の展示会2

2024-02-23 20:43:11 | プチ旅行

あと一か月もすれば、
奈良の東大寺周辺は
お水取りの時期となります。



大勢の人が現れてはお松明を眺めにきます。
あんな古風なお寺で、
立派な火を掲げるって
危ないよなあと思いますが、
もう1200年以上、
毎年行われています。

しかもその時は中国も春節のころなので、
たくさんの観光客がいる
のかもしれませんが、
がんばって車で訪ねて
いくことにしました。

西名阪自動車道で天理で降りて
北上してゆきます。
この国道169号をまっすぐ行くと、
県庁東の交差点に出ます。
そして車を県庁の駐車場にとめ、
さあここから歩いてゆきましょう。

場所は新薬師寺の近くにあるはずです。
まずは詳しい場所を確認するために、
バスセンターのところにある
観光案内所にたずねに
行ってみましょう。

中にはいってゆくと、
まずはトイレです。
便器に向かっていますと、
小学生が大量に入ってきました。
それが何と中国人です。

ワイワイと何か言ってますが
意味も分からず、
個性豊かな奈良のトイレで
とっても違和感を感じた
doironだったのです。

そしてフロアに行くと
おお~なんと一階の広いフロアの
休憩コーナーに見慣れたベンチが
鎮座しているではないですか。

ベンチが鎮座って変やけど、
まさにそんな感じで
ドーンとフロアを支配しているのです。
それがこれ。



そう、あの我が市の公園に
寄付をした白樫木材のベンチです。
サイズも一緒ですねえ。
試しに座ってパンフレットを
見たりしました。
公園のベンチでは、
引っ掛かりのないように、
焼き付けで文字を入れてもらいましたが、
ここではプレートが貼られていました。



「森を守ろう」と書かれています。

材料は吉野杉なんだそうです。

我らのベンチは龍神のヒノキ
やったけどね。
白樫のおっちゃんも色々頑張って
いるようです。

そのベンチの向こうに
案内カウンターがあるので、
入江泰吉の写真館について
問い合わせました。

「おおむね新薬師寺の方向ですね。
そちら方面にむかうバスもあるし、
それで訪ねていけますよ」
と案内されたのですが、

「いやいや歩いていきます」
と返事しておきました。

一瞬「えっ」という反応でしたが、
色々話をしているうちに、
「では気を付けて」と納得して
送り出してくれはりましたよ。

まあ暇そうな中年おっさんやなあ
と思っていたのでしょう。

距離的には3キロくらいかなあ。
久しぶりの中距離歩きですね。
がんばってゆきましょう。

とりあえず、県庁東の交差点から
国立博物館横の芝生の方に入っていきます。



この辺りは芝生広場になっていますねえ。
松の木が生えた広場には、
こんな石の国立博物館の
案内があったりします。



おや、何か細かく文字が書かれた
石がありますよ。



うわー、宝蔵院流槍術の道場が
あった場所ですか。
宝蔵院胤舜、胤栄がいて、
宮本武蔵が自分の強さを確認しようと
戦った場所ですねえ。

読んだ物語や漫画を思い出しました。

もう少し山の中という
イメージだったのですが、
そうなんですかあ。
ここにあったとはちょっと
勉強しましたねえ。

続きます。

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大和を写真に残した人の展示会1

2024-02-22 21:00:25 | プチ旅行

1月に安井仲治という人の
写真の展示会を神戸に見に行った。

写真が始まったころからの人で、
写真に対して墨を塗るなどの
技巧も使っていたという。

まだまだ写真も浅薄の時代に
その奥行きを深めようという彼の意識が
写真にちりばめられていた。

doironもまた花の写真を撮り始めたころには、
いい写真が撮りたいなあ
という気持ちもあったのだが、
どちらかと言えば被写体の珍しさの方に
ひかれていたなあ。
もう少し写真の勉強もすれば
もっといい写真も残っていたかもしれないなあ。
とまあそんな具合に、
写真とは少ないながらも
接触があった。

テレビ番組なんかもよく見たよ。

あの有名な写真家である
土門拳の番組も見た。
何枚もシャッターを切る彼が、
ある人の写真を撮るときに
全くシャッターを押さなかったそうだ。
撮影にかける時間もあるので、
その被写体は焦ったそうだが
なかなかシャッターを押さない。
あまりに押さないので、
怒りが込み上げてきた瞬間に
シャッターが押されたそうだ。

その写真が、実は被写体をよく表している
と評判になったこともあるそうだ。

そんな土門拳の写真の展示館が
酒田市にあるという。
いつか見にいってみたいなあと、
ずっと思っている。
そしてさらにもうひとり、何度も見た写真家の
番組がもうひとつあった。

それが「入江泰吉」という
奈良の写真をよく取った人の話だ。



彼は最初文楽の写真なんかを
撮影していた。
でも写真がカラーになるにつれ、
何か絵のような感じの写真が
好まれるようになることを
大変恐れていたそうだ。

そしてあるときに、秋篠寺の
技芸天女の写真を撮る時に、
ろうそくで明かりを取ったのだが、
そのろうそくの炎が揺れるたびに、
天女の表情が明るくなったり、
しとやかになったりと
変化するのを見てから、
仏像なんかの被写体とは
じっくり向き合うという
写真を撮り始めたという。

また景色も、薬師寺の光景を取るのに、
周りを動き回って、ある時間に
一枚シャッターを切ったという
番組もしていたのを思い出す。

季節、日光、風、雲の動きを
よく見極めながら、
何時間もかけてパシャッと
一枚だけシャッターを下ろす
という撮影は「入江節」と
よばれていたそうだ。

まあ当時写真の現像というのも
一つの技術とされていた。
たった一枚シャッターを取っただけで、
これで良しとするには
とても勇気が必要だっただろう。

昔、広報の仕事をしているときに、
フイルムカメラで取材をしたことがある。
これはとても緊張したねえ。
どの写真もトンでもなく変に
映っていたら取り返しが
つかないもんねえ。
また要人を集めて撮影なんて
とんでもなく無理だった。

この人とこの人が、一枚の写真に写る
という歴史的瞬間を、
写真が出来上がるまで
とれてたかどうかわからないなんて
恐怖そのものでした。
まあ何とか乗り越えたけどね。

そののちに、デジカメが一気に
普及してきたので、
ない予算を無理して買ってもらった
のを思い出します。

また自分でも一台無理を言って
買ったのも思い出しますねえ。

とまあ写真に関して
そんなことがあったのも
遠い思い出です。

入江さんの写真展示館が
彼の亡くなった年1992年に
奈良にできているので、
今回、写真つながりで見に行くことにしました。
安井さんに続いて、
今年二回目の写真館へのお出かけです。

続く

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年度末も近づいてきました

2024-02-21 22:01:51 | 日常

二月も後半に入り、いよいよ
年度末が近づいてきました。

今の季節は働いている頃だったら
人事異動が気になり始める
ころやったなあ。
全く職種の違う部署なんかに行くと、
いきなり初心者的なところから
はじめなくてはならないから
大変な思いをしたこともあったよ。

まあdoironにとっては、
環境対応だったとこから
いきなり広報に回った時が
一番の大異動だったなあ。

もうまるで全く違った人生に
ほおり込まれたみたいな感じだった。
行くなりいきなりマスコミ対応も始まり、
とんでもなく矢面に立たされた。
個人の携帯電話で対応していたので、
夜中の二時頃に新聞記者から
電話があったこともあった。
そんな夜中の電話に出なくてもと
言われたが、そんな時間でも
電話してくる記者の人の熱意には、
実はひそかに感動も覚えていたのだ。

伝えなくてはいけないという
彼らの使命は、本当にたいしたもんだ。
そんな熱い彼らにも負けないぞ
という気持ちを抱いて、
せっせと行動していたら、
だんだんと信頼関係もできてきたのが
とてもうれしかったなあ。

そのころはなにか文章を書いて
人に知らせるということに、
じつは快感さえ感じ始めていたほどだ。

自分が作成している広報紙が
大阪で一番になったのもあの頃だった。
またある新聞なんかは
記事風にかいて情報提供すると、
ほぼそのまま掲載されたりもしたなあ。

自分の文章が世の中に出回った
というあの時の感動も忘れられない。
この喜びは絵を描き始めて、
初めて新聞に掲載された喜びと
よく似ている。

あの時の記事提供にはとても
熱がこもっていたな。

なにか、これが天職かと思うほど
大きな人事異動だった。

ま、そんな感じで新しい仕事と
出会うというのは、
負担もあったが自分的には
とても大きな出来事になって
残っている。

まあ人事異動がその人の人生を
大きく変えていくんやなあと、
今は心を震わすものがあったりもする。

そんな異動がよくある年度末も、
あとひと月くらいで迎えることになる。
今は異動はないけど
思わぬ変化があったりすることも
あるかも知れないしね。

来年度の大きなニュースは何かというと
いま決まっているのは、
やはり大阪市内で行う
3回目の絵の展示会になるかな。
それから、旅行としては
今は尾瀬に行こうと考えている。

まあこれらはとてものんきに、
楽しみの増幅なんやけどね。

そして、自治会長としては
最後の一年になる・・・はずである。

今のところ体も元気だ。
新年度も楽しみで充実してほしいなあ
と思ったりしているのです。

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絵手紙とAI

2024-02-20 21:05:22 | お絵かき

絵手紙作成にもパソコンは大活躍している。

描いた絵はパソコンを用いて
データーに変更している。
プリンターのスキャナーを使って
保存するわけだ。

その保存したデーターで
はがきサイズの紙に試しに絵を打ち出し、
そこに入れる文字を試し書きしたりする。

この文字もねえ、なかなか決まらんのだよ。
よーく考えてこれでいいと思って
書いた文字も、次の日に考えたら
まったりしすぎているとか、
もう少し詳しくとか
いろいろ変更点が出てくる。

ああ、これでいいかと思って、
実際の絵に当てはめようとするのだが、
まあ一週間くらいは頭の中で
練って育てるのだ。

するとねえ、少しずつコロコロと
また変わったりするから面白い。
だいたいこんなおっさんでも、
自分の中の気持ちの持ち方は
少しずつ変化します。
だいたい絵手紙の文章で
気に入ったつぶやきは、
明るく心が漂っているときに
選んだものを採用することが多いです。

まあこれは清く明るく正しい
doironの絵つぶやきの
ほんわか感を演出する大きな要素です。

まあこんな感覚を飛びぬけて
持とうとするから、こういう仕事を
している人はつらいやろうなあ。

覚せい剤に走ったり
するんでしょうかねえ。
あきませんね。

僕の場合は、友達と楽しく
話したりするとこういう気持ちが
わいてきたりします。

いい友達というのは
とてもいいですねえ。

そうして出来上がった絵つぶやきも、
もっともっと期間を開けてから、
こう書いた方が良かった
ということになったりもします。

まあそんなときはまた絵から
作り始めることが多いです。
いわゆる新作作成ですね。

自分の中の絵つぶやきの変更の
有効期限は、約2か月くらいかなあ。

まあ今はそんな感じで
絵つぶやきを完成させています。

で、少し想像の域なんですけど、
いまはAIという人工知能が
ありますよねえ。
これを活用して、絵を描いたら、
それをスキャナしデータ化して、
そこに入れる言葉を作ってくれる
人工知能が生まれるかもしれませんね。
いや、もうきっと生まれているのかなあ。

まあそうなったら、絵つぶやきの
文化的には便利かもしれませんが、
僕らの趣味もあがったりに
なるかもしれません。

藤井聡太君がパソコンで将棋を
勉強しているように、
絵手紙家も人工知能をいかにうまく
利用するかというのが、
これからの作品作りの肝に
なってきたりするのかな。

そしてこんな制作が可能になってきたら、
そのうちにAIが小説書いて、
芥川賞なあんて話も
出てくるかもしれませんねえ。

ふとそんなことも考えた、
今日この頃なのです。

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