実際に町会長になってみると、
意外に知らなかった仕事
というか役割が結構あるもんだ。
最近、工務店の人が家にやってきて、
道路の工事をするので
町会長さんに通知に来ましたという。
はあそうかあ、
村の人の通行が制限されるので
事前に言っておこうというものか。
工事の目的と期間並びに場所を聞いて、
掲示板に簡単な張り出しをする
という仕事。
まあ、そうやったところで
その情報がどんなけ周知されるか
というとむつかしいけどね。
町会長としてはお知らせしておく
必要があるのかなあ。
また、一方で別の工務店の人が来て、
里道を整備して明示するので
同意してほしいという依頼が来る。
ハイハイわかりましたと言って
同意書にハンコをつく
というわけにはいかない。
現場を見て、どんな整備に
なるのか聞いたうえで
納得してゆくなんてことは必要だろう。
ああ、こんなことまで
役割が回ってくるんやなあ
という感じだ。
町内でお商売をする人も
あいさつに回ってくる。
町会長に許可をもらったから
というような感じで言われるのは
なかなかむつかしいものがある。
通常のお商売なので問題はないが、
ややこしいお商売だと
いろいろと法律的なところを
確認しないといけないし、
場合によっては市や警察に
相談する場合もあるだろう。
ややこしいよなあ。
それから、各種イベントの案内も
届いてくる。
行事への参加以来とかも
あるんでしょうねえ。
幸いなことに、
今年は多くのイベントが
中止になると同時に
来賓は呼ばないということから、
参加は遠慮してください
というような案内ばかりなので、
今のところは助かっている。
これから増えてくると、
参加はこれまでどうして来たのかと、
前の町会長とかに相談をかけて
おかないといけないだろう。
お仕事はまだまだあるよ。
市や団体から来るアンケートの回答だ。
郵便が来ること来ること。
返事もなかなかむつかしいよ。
個人的には「否」であっても、
町会長としては「有」を前提に
答えていかないと
いけない場合もあるからね。
こんな仕事もあるんだよということで、
町会長を任されているのかなあ。
あそこの町会のおっさんは
変に頭がぐるぐるしてるぞ
なんて思われたりしてても
いいのかなあなんてことも
心配してしまうのだ。
そしてこんなアンケートは
昔の職場だったら送る立場だった
ことが多いので、
そこを離れた立場で、
ああこれは町会長にこんな答えを
してほしいんやろな
なんてことをちらっと
考えたりもしてしまうから厄介だ。
心してかからねばね。
とまあ、こんなあまり表に出ない
様々なことがあったうえに、
定期的な活動もあるので、
こういう季節には何となく気持ち的に
「ああ、やり残していることはないな」
とか
「締め切りに間に合ってないことはないよな」
なんて言うストレスが生まれてきます。
要件が増えてくると、
夢にまで現れたりして来るから、
厄介なのである。
もうまったく度量の狭いおっさん
なのであるから仕方ないよねえ。
友達に言わせたら、
やるべきことはいつもひとつの
メモにして壁に貼っておくのがいいで、
なんていうアドバイスもいただいた。
それも手やなあ、
そのメモを元に町会長日誌
みたいなものを作っておけば、
公認引継ぎの時には楽に
なるかもなあなんて考えてしまいます。
最短であと1年半。
長いと3年半の役割になるのですが、
果たして無事にうまく
勤められるかなあと思ったりもする、
やたけたな町会長なのであります。
金剛山道と書いて「こごせ道」は
今は広く整備され、南河内グリーンロード
といわれていたりします。
トライアスロンをやってた頃は、
よく自転車で高野山を目指しました。
紀見峠もトンネルではなく山道で越え、
国道371を良く走りましたねえ。
doironの場合はここから滝畑の方に
向かうので通らなかったのですが、
南河内方面のトライアスリートは
よくこのグリーンロードを
走っていたようです。
なのでこの道をもっと進んでいけば
金剛山ふもとの山道に出ていくんでしょうが、
今日は高野街道歩きですから
天見公民館のところからUターンして
街道の方に戻ってゆきましょう。
季節はもう秋。
そんな山の中の371号のバイパスを
しばらく歩きます。
そうして天見川を大豊橋で渡ったら
371号本線に戻ります。
この道もまあ、それなりに狭い歩道が
ついているので車に気を付けつつ
あるいていると、右手に少し小ぶりですが
七里の里程石が建っています。
「高野山女人堂江七里」。
この石碑を立てたのは
ほとんどが茱萸木村の
小左衛門と五兵衛氏で
ここもそうでした。
たてたのは1858年だ。
この里程石の所には昔は
一里塚があったそうだが、
いまはもうその遺構もありません。
ここからしばらくは国道を歩くのですが、
すぐに右にそれていく旧道が現れますので、
そこへ入ってゆきましょう。
この道でいいのかなあと思っていたら、
ありましたよ。
高野街道の小さな案内板が
道のすみっこに張られていました。
意識してよく見ておかないと
見過ごしてしまいます。
この案内板も「すみっコぐらし」ですねえ。
ああ、もう葛の花が咲いていますねえ。
秋の七草のひとつです。
でもなんかクズの花っていうと、
三葉のツル枝がジャンジャン伸びて
じゃまっけだし、電線に巻き付いて
漏電を巻き起こしたりする
もうぼろクズのような花
って思われがちですが、
根から「くず」をとる植物で
昔からあったもの。
名前は大和国吉野川上流の
国栖(くず)が産地であったことに
由来するものだそうです。
花は結構たくましい花ですね。
そういえば、昔こんな絵も描いたなあ。
この道は横に川が流れているからか
トンボも飛んでいます。
羽根の黒いトンボが多くいたのですが、
なかなか写真にとれません。
こんな感じのやつです。
それにしてもこの道は狭い山道で
街道の匂いのする道ですねえ。
しばらく歩いていると、
とても急傾斜の道になってきます。
これは昔は歩きにくかったやろなあ。
資料ではこの先で「馬こかし」という名の
休憩所があったようですが、
探したけどよくわかりませんでした。
道はやがてまた371号に合流します。
このあたりは歩道もついているので
歩きやすいです。
天見小学校が近いからでしょうねえ。
こんな看板をあげていました。
小規模特認校で市内どこからでも
通える小学校で、学校の中に
川が流れる自然たっぷりの学校だそうです。
まあ今はいろんな価値観がありますから、
利用しようという人もいるんですかねえ。
やがて道には歩道もなくなり、
歩きにくくなっていました。
でもなんかこの辺の景色は
見覚え有りますよ。
そうです。
岩脇山から下りてきたところですね。
そして左にある天見の駅は
ダイヤモンドトレースレースの
終点でしたね。
他のレースの帰りに、
うまく首藤さんを迎えに来たことが
あったなあ。
高野街道はこの後紀見峠に登ってゆくので、
今回はここで終了にしましょう。
持参してきたベ弁当を駅のベンチで
いただいて、帰宅していった
doironだったのでした。
高野山が歩きで近づいてきましたねえ。
高野街道もかなり進んできました。
堺市の駅から歩き始めて、
その後以前の職場のランニング仲間と
三国ケ丘から河内長野まで
西高野街道を歩きました。
それから続きをまた彼らと歩こうと
思っていたのですが、
熊野古道とか淀川とかいろんな歩きに
はまってしまって途切れてしまい、
さあではまた頑張って行こうと
思ったころにはコロナ騒ぎとなり、
仕方なく一人で続きを歩くことになったのです。
これはもう超ゆっくりペースで、
これまで河内長野~三日市町、
三日市町~千早口を二回に分けて歩きました。
河内長野を過ぎてからは、
山道も多くいきなりローカルな
歩きになりましたねえ。
そしてこの経路はこれまで
高野に向かうときに、
国道371を抜けていた場所だったので、
ずっと狭い国道を歩くのかな
と思っていたのですが、
意外に並行して並んでいる
旧道も多くそれぞれに
見どころもあることを知りました。
今回はその続きとして、
千早口から歩き始めることにします。
この駅はローカルな駅で、
近くに駐車場もありません。
なのでまずは車で三日市町まで行き、
そこから電車で千早口へ向かう
という経路をとりました。
三日市町の駐車場は前回利用していますので、
再び利用します。
和泉から外環を滝畑方面に向かい、
河内長野に入ったら上原町から
楠ヶ丘を抜けて三日市町に到着です。
駅に向かって歩いて行くと
こんな看板も張られていましたよ。
そして駅に入ると、高野線の
キャラクター電車である
「すみっコぐらし」が停車しています。
このキャラクターは
サンエックス社のキャラクター。
ここが落ち着くのという
すみっこの好きな日本人を意識して
作られています。
ああ、いいですねえ、
すみっコぐらし。
まあdoironが今の暮らしを
すみっコぐらしで表現するなら、
狸親父も出てきそうです。
ではこの三日市町から
美加の台の駅を超えて
千早口へと向かいましょう。
千早口はとてもローカルな駅です。
電車がついて、降りたのは僕一人だけ。
さあでは南向いて、
高野街道を歩いて行きましょう。
駅の出口は、西側にあるのですが
今回歩き始めるのは
東側から歩きたいのです。
なので踏切まで行って向こう側に
移動しないといけないかなあ
と思っていたのですが、
その先になにか秘密が
ありそうなくらい地下道がありました。
ヘルメットをかぶって入って
いかないといけないような
くらい入り口です。
声を出してみたら少し
響きそうな気がします。
「あ~」とか言って入っていったら、
中から足跡が聞こえてくるのです。
どんどん近づいてきます。
でふと現れたのが、男子学生でした。
「変な声出すおっさんやなあ」
と警戒したでしょうね。
どうも普通の地下道でした。
でもあまりに暗くて狭い道でしたね。
ローカルな駅にふさわしく、
その地下道の階段には
カブトムシがたたずんでおりましたよ。
そして地下道を上がっていくと
道に出るのかあと思って上がってゆくと、
その向こうには狭い路地があるだけでした。
こんな田舎で土地なんぼでも
ありそうやのに、こんな道なんかい!
って感じですね。
それを抜けて、上がってゆくと
広い道にでます。
どんどん上ってゆくと天見公民館の
ところに出てゆきますね。
この道が「こごせ道」といわれるみちです。
「こごせ」とはこの地方では
金剛山のことをこう呼びます。
金剛山の里を「こごせの里」と呼んだり、
ケアプランセンターこごせ
なんてのもあります。
そもそも村立の幼稚園で
「こごせ幼稚園」なんてのもあるくらいです。
続く
我が市の広報から
市民レポーターとして役割をあたえられ、
イベント等の取材を頼まれています。
こういう半ばボランティアの役割も、
もう4年目となっているんですねえ。
今年はねえ、最初は断ろうと思っていたのですよ。
町会長をやっているから
自分の村の用事と重なったりしたら、
行けないからね。
それでもそちら優先でいいので
ということで了解してもらい、
何とか引き受けることになりました。
そもそもコロナのせいで町会活動も
さほど活発ではないし、
市のイベントそのものも
さほど多くは組まれていないから、
うまく調整すれば行けるだろうという判断です。
で、四月からそういう活動は
始まったのだが、あまり出動依頼がやってきません。
まあ市民レポーターも、
もともとはいち市民なので、
あまり人の多い所に行って
感染されてもいけないなあ
という広報の判断もあったのだろう。
こういうことなら今年は受けたけど、
あまりイベントもなく取材は無理だな
と思い始めた6月に、
ようやく出動依頼がやって来たのです。
4つほど依頼はあったが、
町会との関係で参加できそうなのは
二つありました。
これらのイベントに出席できるよ
と回答を出したところ、
じゃあそれでお願いしますと連絡がありました。
まず1発目は市民プールの
SUPに乗って遊ぶという教室です。
SUPとは、
スタンドアップ・パドルボード
(Stand Up Paddleboard)の略称で
これに乗って立ち、
スイスイ進んでいくという遊びです。
これはなんか面白そうですね。
指定された日にち時間に
市民プールへ行きました。
あれ?誰もいませんよ。
日にち時間を間違えたかなあと思い、
携帯で確認しても間違ってません。
8時からの教室なので、
11時からの村の約束には
間に合うだろうとOKしたのですが。
これはおかしいぞと、
担当者に確認したら
まちがっていないとのこと。
じゃあ待つかと思ったのもつかの間、
また連絡があり時間変更を
連絡していなかったみたいです
と連絡がありました。
変更になったのは朝10時から。
これだと地元の用事に間に合いません。
翌日に同じイベントがあるので
他のレポーターは手配してる?
ときくと手配してますとのこと。
だったらその人にまかすわあと断って、
doironも帰宅しました。
いろんな組織が絡んでるんで
時間のやり取りが混乱してしまいました。
この取材はキャンセルです。
で、そしてもう一つの取材は、
まもなく開館する新図書館の取材です。
実際のオープンの一日前に、
招待客だけいれてプレオープンを
しましたので、その取材です。
実はミセスdoironは図書館で
30年以上も働いたベテランです。
取材に行くならこんなところも
見といてねと言われて出かけてゆきました。
肩に市民レポーターの腕章をつけて取材です。
この日は他のレポーターも
来ていましたので、
何となく安心です。
まずは図書館全体の雰囲気を撮影をし、
その後はやって来た
家族なんかを中心に取材です。
でもねえ、今来る人はみんなマスクを
しているので、取材も何となく
やりにくかったですね。
それとなく家族で楽しんでるなあ
という雰囲気がとれればということで、
色々話しかけながら撮影をしました。
「もしかしたら広報に乗るかもですので」
とか言いながら撮影します。
結果、まあ人が大きく写っている写真は
掲載してくれたみたいですね。
よかったです。
ただ広報紙の解像度が低いので
クリアではなかったですけどね。
帰ってミセスに話したら、
ああ今の図書館は昔とかなり
違うねえと言ってはりました。
休みは基本的には毎月第3水曜日だけ。
泉大津駅前のアルザタウン
4階に有りますので
一度寄ってみられてはいかがでしょうか。
もう10月になりました。
早いものですね。
春になってコロナもまたまた猛威を振るい、
今年もコロナの時代かあと
思ってたのにもう10月です。
月日の経つのはあっという間ですね。
例年だったらこの時期になると、
祭りの季節となります。
夜になるとだんじり小屋で鳴り物の練習が始まり、
青年団の走り込みがあったりするし、
詰め所には毎晩村の連中が集まり
ビールを飲みながら雑談が始まったりするから、
体も心も祭り色に染められていくのだ。
昨年は、残念ながらコロナで中止になったので、
村もひっそりしていたなあ。
そして今年はというと、
やはりいろいろ紆余曲折はあったが
祭りはすべて中止ということになり、
静かな日々が続いている。
でもねえ、この紆余曲折の中には
町会長としてさまざまな負担がかかったんだよね。
当然最初の頃は祭りも行う予定であったのだが、
やはり夏前くらいからコロナの状況が関連して、
各町が集まって行うパレードも中止となり、
祭りの開催はどんどん下火になっていきました。
そんな動きがあるたびに、
町会長に対して報告が入ってきました。
というのも、警察に提出する道路許可申請も
町会長として申請しなければならないから
これは当然受けておかないといけないのです。
そんなたんびに役員があつまって
報告されるのだが、
このコロナの時代に集まること
そのものにもやはり抵抗がある。
とはいえやはり少人数でも集まらないと、
祭りの取り組みを決めて行くことができない。
町会長としては、祭りをやるのも
コロナ対策をきちんとして、
というような発言を何度も何度もしているので、
こうして集まることにも
警戒をしているんだよと言うことで、
薬局に行き簡易な温度計を買うことにして
それを公民館に設置することにしたのだ。
入室時には検温と消毒をしてね
と毎回示すことで、だんじりのコロナ対策も
しっかりやれよと言うメッセージも込めている。
やがて祭りの方も各場面が中止となっていったが
「神事」に関することはやろうということになり、
「宮入」という神社に参る曳行は
行うということになった。
まあだんじりを曳きたいという連中の
気持ちはわかるので反対はしなかったよ。
でもねえ、コロナ対策については
まだまだ考えの中に甘い所もあるので、
もっとしっかりと対策案を出せ
ということでいろいろとうるさいことを
言わせてもらったのだ。
なあんや、町会長は曳行に反対なんかなあ
と言う声もあったがそうではない。
だんじりを曳くワクチン未接種の連中も
心配なのだが、町会長としては
それを見守る町会の人々の感染についても、
考慮をしていかないといけない立場なのだ。
毎回放ったのは、それについてももっと
考えていきなさいという意見なのだ。
そのうえで、こちらが納得したら、
自治会の臨時総会を開いて
説明をしてやるという意味でいっている。
なのでそこはそれ・・・というような
たよりない態度ではなくちゃんと
説明できるようにしてほしい
という思いを込めているわけだ。
まあ議会対策のようなものですなあ。
でもねえ感染者が出たら町会長を
辞退させていただこうと
考えているくらいだから、
こちらにもそれなりの覚悟はある。
だがやはりそうはなりませんでしたね。
結果、コロナの状況などを見極めたうえで、
我が町としては曳行は一切なしで
宮入も氏子総代のお参りだけで
終わらせるという結果になった。
したがって、祭りの寄付も収集しない
ということだ。
毎週毎週、寄合をして最終的に
こういう結果になった。
だんじりは曳きたい、
でもコロナも心配ということで
みんなで考えて決まったこの対応も、
まあある意味町内の人々を
充実させていろいろと考えさせた
という意味で、これもまた
一つの祭りでもあったのかなあと
思っている昨今だ。