ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

阪和鉄道の痕跡に触れた6

2021-10-01 21:26:04 | 遊び関係

美章園駅で初めて阪和線に乗降しました。



外から見るとローカルで
何となくあやふやな建物だったこの駅も、
中に入ってみると以外に
乗降客の多い汎用駅でした。

もうこれで阪和線はすべての駅で
乗り降りしましたね。
では、ここから次の目的駅である
杉本町を目指しましょう。

この駅は大阪市大のある駅でしたね。

友達が通学していたので、
夏休みとかに連れられてよくきました。
美章園から各駅停車で向かいます。
電車の一番前の窓から景色を
見ながら進んでいきます。



直線が多い路線ですねえ。

実は阪和鉄道は珍しく
「超特急」という名前で
和歌山までの直通電車を
走らせていました。

かかった時間は45分。

この時の電車の速さは、
法律の限度を超えて早かったそうです。
この速さは新幹線のこだまに
抜かれるまで日本最高だったそうです。

直線の多い線路が、
こういうスピードをうんでいたのですねえ。



今回は各駅停車で長居も抜け、
杉本町に到着します。



駅の横にあるのが大阪市大ですが、
2022年度の4月からは
大阪府大とひとつになって
「大阪公立大」になりますねえ。
なので、今期の大学入試から
試験が始まるようです。

この駅には阪和線の線路が4本あります。

各駅停車が停車して
この駅で快速電車なんかを
やり過ごす、そんな役目を持っています。



この駅がねえ、色々回収されて
ホームの屋根の形なんかが
違った形でつぎはぎになっていたりします。



まあ詳しいことはわからないのですが
何となくいろいろといらわれた駅である
という感じはします。

まあ大学もいろいろいらわれて
特徴のない学校になったりしないように
してほしいですねえ。

この駅で一番問題となるのが、
線路の一番東側にあった、
阪和貨物線です。

杉本町から八尾までひかれた線路で、
昔は特急「あすか」なんかが走っていた線です。

昭和42年に「あすか」も廃止となり、
定期旅客はなくなりましたが、
臨時や団体電車が走っていたそうです。
それも廃止になってゆき、
平成16年に休止。
そして平成21年に全線廃止となった線路です。

この線路の跡地がどうなっているのか、
ちょっと探ってみましょう。

杉本町の駅の東の端に行ってみると、
いまは東側の出入り口になっていますが、
ここが阪和貨物の廃線跡です。



高架から見下ろすと、
線路が途切れていますねえ。

これが阪和貨物線です。





出口を出て、その貨物船の行き先の方を見ると、
あそこですね。
線路跡のようなところが
細長く草むらになっています。

その後をたどってしばらく歩いてみましょう。

道を選びながら線路跡を追います。



ここには枕木のような木も
立っていたりしますねえ。



この先も住宅街の合間を縫って、
線路跡は続いていきます。



あ、ここには砕石や砂利などの
道床も残っていますねえ。
廃止になって15年余り、
まだ痕跡は濃く残っていますねえ。



この線路あちはまだまだ
続いていくように見えます。
杉本霊園の横も通っているのをみて、
今日のところは戻ってゆきましょう。



線路はこの先で矢田から松原市に入り
大和川の堤防の横を通り
八尾に向かっていくはずです。
近いうちに時間を見つけて
歩いて行くことにしてみましょうかね。

阪和線はこんな線路の廃止にも
遭遇していたんですね。



Uターンして市大の横を通り、
杉本町へと戻ってゆきます。

阪和鉄道は創業後、南海電車と
合併したりしていろいろと変遷している。
そんな痕跡を探す旅も、
これまで久米田まで行きましたが、
まだこれから南部の方にも
移っていきたいと思っています。

今回は、とりあえず北部の三駅を歩いて
痕跡に触れてみました。
何げなく乗っている路線も
いろんな過去がありますね。

電車で遊びに出かけるときも
いろんなことに注意しないとねえ
そんなことを考えた駅めぐりでした。


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