ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

高野街道 三日市上田駅

2021-05-26 21:17:29 | ウォーキング

この烏帽子形八幡神社には
立派な駐車場もあります。


中には高野街道と書かれた木も建てられて、
広い休憩所のような感じです。

そしてその先には
「平野辻の地蔵尊」があります。



中を見ると、地蔵尊が立っていますが、



資料では「瓦焼きの地蔵尊」と
書かれていました。
また別の資料では「おむすび地蔵」
ともいわれています。

立派ですねえ。



その地蔵尊の近くにあるのが石の道標で
「右さかい 大坂 道 左いづみ」
ときざまれています。
そうここで分かれる道は、
ここから天野山を経て和泉の方へ
通じる道で「和泉道」といわれています。
なのでここは地蔵辻という名なのです。

しばらくその和泉道を山向いて行くと
庄代池という池に出ます。



高野街道と和泉道の交差する
場所のこの池のところで、
三のつく日に市が行われていたそうで、
それがこのあたりの三日市宿の
語源になっているんだそうです。



その池の所には堂の辻地蔵が祀られている。

かなりこの地蔵は古くて、
1846年の年代が刻まれているそうだ。
そこから高野街道の方に戻るのではなく、
すこし100mほど右の路地に
入っていくと、今度は胸切地蔵というのが
祀られています。



地蔵がいろんな形で散在していますねえ。
この地蔵は橋本に嫁ぐ花嫁が
この地に差しかかった時に、
花婿が急死したことを知ったそうです。

それを知った花嫁はかごの中で亡くなり、
以後この地で不吉なことが続いたので、
地蔵を作ってこの娘を供養したそうです。

先日ネットであちこち旅をしていたら、
志村けんが奉納した石があるお寺
というのを見つけました。

「幸せで楽しいことが続きますように」
という志村けんのこころが
見えてくるような石碑ですねえ。

それにしても、ここの胸切地蔵とは
こわい名前ですねえ。
心血管にステントを入れている人には
聞くのかも・・・なんて
妄想を働かせつつしっかり
お参りしていきましょう。

このまま道を進んでいくと
九重越古道へとつながってゆきます。

加賀田を経て高野口九重へとつながる古道です。

山道が多いかなあ。
岩湧山のふもとを通って行く道です。
先ほどの和泉道も合わせて
この辺りは、街道の要所になっていますねえ。

二本合わせてそこを歩くのを今後の課題に
していきましょう。

胸切地蔵から東の方に下ってゆきましょう。

高野街道と交差するあたりに
高札場があります。



昔からここに高く様々なことが
布告されていたそうです。
そしてそこには今も残っている
親子・博奕・忠孝等定高札が
掲げられており、細かく布告されています。

親子関係のこと、家業のこと、
博奕関係のこと、喧嘩口論のこと、
鉄砲のことなどそれぞれに
細かく書かれていますね。

まあ、よく読んでしっかり
正しくいきなさいよという感じで
描かれていますね。



その後ろには増福寺があります。



このお寺の近くには鋳物師田中家の
作業場跡というのがあります。

そこはまた一方で「雨山の森」と
言われています。

田中喜久治という鋳物師は
吉年佐太郎にその吹き場等を
譲ったとされています。
あの今回歩き始めに大きなクスノキの
吉年氏でしょうね。



そこで行基が雨ごいをして
雨を降らせたので雨山の森と
いわれてもいるそうです。

う~ん、歴史も古くて空海や行基など
様々な湧水伝説とも絡み合っていますので、
それぞれの地域の物語が
複雑に絡み合っています。

そしてその先の三日市幼稚園の門の下に、
畠山比佐媼の碑が立っています。



ここ上田村で裁縫塾を開いた
女性の教育者の碑です。

多くの人の痕跡が今もうっすらと
地域に残っているようです。

続く


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