ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

小豆島を旅したよ13

2024-04-05 20:56:05 | 旅行

二十四の瞳の学校跡で
3つあった教室を見て歩きました。

小さな机が懐かしかったなあ。

黒板上の額縁には
「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年」
なんて書かれてあります。



随分と教育も変わりましたねえ。
元教育委員会のおっさんが言うんですから
間違いないです(^^)

今の子供は机の上にパソコン置いて
勉強してるのかなあ。
二十四の瞳は眼鏡やコンタクトで
補強された瞳で
ディスプレイに向いているのかなあ。

そんな時代の変遷をフムフムと感じながら、
二十四の瞳の学校跡を出てゆきます。
関連施設というか、今の時代の
二十四の瞳に関する施設が
もう一つこの奥にあります。
それが、映画村です。

車に乗って2、3分で大きな
駐車場のあるその施設に到着します。
このころになるともう雨も
ゆるくなっていますね。
時折ポツッてくる程度。
う~ん、さすがに何とかなる男ですね。
入場料を払って中にはいってゆきます。
なかにはいろんな建物がありますね。
そんな建物には昔の映画の
ポスターなんかが貼られています。



明日は明日の風が吹く、
なんていいですねえ。
描く絵を選んだら
絵つぶやきになりますよ。



ゴジラもずいぶん昔から
あったんですねえ。



建物には例えば喫茶コーナーのある
「八日目の蝉」の映画案内を含めた
建物もあったりします。



なんかも
つづられていましたね。



そして海沿いのところに行くと、
岬の分教場がレプリカとしてあります。



さっきいった学校跡の再現ですね。
校舎があって、校庭があって
その向うが海。
まあ津波とか考えたら大変やけど、
こんな学校だったら住みたいくらいです。



そして校庭の向こうには
BBQハウスのようなあずまやもあるしなあ。
悪い奴は育たんやろうって感じだ。

中にはいると、おおっここの廊下は
床板がまっすぐ縦です。
向こうとは変えていますねえ。



教室に入ると、映画「二十四の瞳」の
監督・脚本をした木下惠介監督のほかの
作品のポスターなんかが
ずらっと並べられていますね。
ほかに有名なところでは
「楢山節考」なんかがありますね。

また別の教室に行けば
こういうこどもの貸衣装
なんかがありますが、



ちょっとおっさんでこんな写真を
撮るのはもう度をこえていますね。
やめておきましょう。

こういうノートも置かれています。



来場者がひとこと書くんです。
頁をじっくり繰ったら
きっと有名人の声もあるんでしょうねえ。
じっくり見ていくほどの時間は
残念ながらありません。



あとはこんな習字の練習も
張ってありましたね。

ノメクタって何か意味があるのでしょうか。

それから昔はこんな絵のポスターも
あったんですねえ。



実はこの映画、国内の賞や
ブルーリボンの賞もとったんだそうです。

こうして古い教室をみてまわり、
ここに来た旅情を満喫した
doironだったのでした。

雨もしっかり上がって、
映画村をさらに歩きました。

壷井栄の文学館もありました。
彼女はこの島で生まれたのですが、
おやじの醤油会社が経営不振で破産。
その後東京に出て小説を書き始め、
53歳で「二十四の瞳」を
書いたそうです。

そんな彼女の作品群が
ここには残っています。

また、別の棟では高峰秀子の
案内コーナーもあり、
ゆっくり訪ねてもここは
値打ちのあるところですね。

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする