「ぐるくん」のひとりごと

大好きな海のこと、沖縄のこと。 また今関心を持っている韓国語の学習、韓ドラ・レビューなど気ままな雑記

ひとりごと<53> 空耳~~

2005年08月12日 | 沖縄
 巷でルーマニアのO-ZONEと言うグループの歌「恋のマイアヒ」が空耳フラッシュで話題になって、DVDも発売されたとか・・・

 私の見たフラッシュはいろいろなバージョンがある中のごく一部なんだろうけど、うけました。

 ルーマニア語の歌詞を聞こえるままに日本語表記して、2チャン系のキャラのアニメでまとめてあった。

 「マイアヒー マイヤフー マイヤホー マイヤハッハー」「飲ま 飲ま イェイ~」とノリの良い音楽に空耳の歌詞が炸裂してます。

 こう言うのも才能だよな~と半ば感心しながら、ふと思い出したのが「ジョン万次郎英語」だった。



 彼は土佐中浜の漁師の子として生まれ、14歳の時出漁中遭難、黒潮の流れに乗り漂流の末、なんと「鳥島」に漂着する。

 絶海の孤島「鳥島」で仲間4人と共に壮絶な無人島生活を送ることになる。

 143日後、食料調達の為、海亀の卵を取りに島に寄ったアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」によって発見され救助される。

 しかし鎖国中の日本に彼らを送る事は危険と考えた船長、ウィリアム・H・ホイットフィールドは5人を安全なハワイに運んだ。

 そこで万次郎ただ1人がアメリカへ渡る決意を示し、他の4人と別れアメリカ本土の土を踏む事となる。

 ホイットフィールド船長は自分の故郷マサチューセッツ州フェアヘブンに万次郎を連れ帰り、我が子のように扱い教育も受けさせた。

 1843年、時は西部開拓時代のアメリカであった。

 アメリカの捕鯨船に助けられてから、初めて耳にする異国の言葉を、14歳の若い脳は自分の母国語の中に反映させて記憶させていった。

 「掘った芋 いじるな」「揚げ豆腐」「知らんぷり」「斉藤寝具店」って、分かっちゃうよね~~

 すごい!&面白い!

 くしくも日本人留学生第1号となった万次郎は、卒業後、捕鯨船に乗船し航海に出たり、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで働いたりして、日本帰国の為の資金を稼ぐ。

 捕鯨船を購入しハワイに渡り、別れていた仲間と再会、うち2人と共に日本に向い、1851年2月琉球に上陸する。

 実に漂流から10年の後、万次郎24歳の事だった。

  

 

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