29日は息子の誕生日だった。
特別なお祝いもしてあげなかったけど、息子よ、おめでとう!!
韓国式に「わかめスープ」作りました。/笑
韓国では誕生日の朝に「わかめスープ」を食べてお祝いするそうだ。
なぜに「わかめスープ」なのかと言えば、韓国には、オモニ(お母さん)が赤ちゃんを産んだ後、わかめをたくさん食べて産後の肥立ちを促す食文化があるので、誕生日には自分を生んでくれた母親に対して . . . 本文を読む
石垣島の川平から底地(スクジ)ビーチに向かう道。 その道端に手書きのたて看板が2~3つあった。
どれも「水魔に注意」とかいてある。
私はあっ!字を間違えていると思った。
水魔→睡魔で、「いねむり運転通意」のたて看板だと理解したのだ。
運転している旦那に「ネ~ネ~、あの看板の字、間違ってるよね?」と同意を求めようと尋ねた。
「いや、海での水遊びに気をつけろって事みたい。」と旦那 . . . 本文を読む
いきなり使用していたPCのOSが起動しなくなった。 なぜ? 何が起きたの?と戸惑ってみても、どうにもならない。
セーフモードで起動してもダメ!!
再セットアップしか道がない。
メンテナンスの出来ないドライバー状態の私は、自作PC派の旦那に助けを求めた。
旦那がいじると見たこともない画面が出てきて、内心、こりゃなんとかなるんでは?と期待していたが、やはり「だめだな~」の一言。
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石垣のお盆、精霊会(ソーロン)が終わると、私が最も本土(ヤマト)と違うな~と強烈に思いそして改めて石垣の人情の豊かさを感じた行事が行われる。
それは「イタツキバラ(労き祓い)」と言う行事だ。
お盆の最終日にご先祖様の霊をあの世(霊界)に送り出した次の日に、集落ごとに「スードーリ(道さらい)」と言う共同作業を行う。
早朝、各集落で集合し、集落の道を修復したり掃除したりして清める。 その . . . 本文を読む
沖縄は旧盆で賑わっていることだろう。 会社やお店も休業の張り紙を出して、一族揃ってお盆を迎えるのだ。
沖縄と一くくりにには出来ないほど、島ごと、地域ごとに様々な祭事が行われる。
石垣では、「精霊会(しょうろうえ/ソーロン)」の祭事として、アンガマが有名だ。
本土(ヤマト)のお盆は各家々で迎え火を焚くが、石垣のアンガマはちと違う。 あの世から使者がやって来るのだ。
しかもその使者は . . . 本文を読む
高知県吉野川上流にある「早明浦(サメウラ)ダム」の貯水率が3%を切ったそうだ。
香川県、徳島県に水を供給してきた国内でも有数の貯水量を誇るダムが、空前の渇水でダム湖に沈んだ建物がすっかり姿を現している。
かつてその地で営まれていたであろう人々の生活が、封印を解かれた遺跡のように甦り、水不足の問題とは別次元で胸に去来するものがある。
取水制限と給水制限でしのいでいるのだが、水道の蛇口 . . . 本文を読む
空耳ヒアリングと言えば、沖縄のおばぁを忘れてはならない。
ご存知の通り、沖縄は1972年5月に返還されるまで、アメリカに統治下にあった。 本土(ヤマト)に行くにもパスポートが必要だったし、通貨も当然の事ながらドルであった。
今でも牛乳パックの内容量が本土の1000mlサイズが946mlと言う規格で流通している。 これはアメリカ統治時代の度量衡、ガロン単位が反映している為だ。
私が沖縄 . . . 本文を読む
14日、ギリシアのアテネ郊外の山中にキプロスのヘリオス航空522便が墜落し、乗員乗客121名全員が死亡との報道がされた。
依然、墜落原因は謎にになっている。
墜落直前の乗客からのメール等で、機内がとても寒かった事や息苦しい事を伝えられているらしい。
おそらく何らかの事情で機内の酸素供給が途絶えたか気圧の低下が起こった為、操縦クルー達が意識を失ったのではないかと推測されている。
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ジョン万次郎が日本への帰国の第1歩となったのが、琉球であった。
南部戦跡で有名な糸満、摩文仁の小渡浜に上陸している。
浜の者たちに万次郎は「ここは どこか?」を尋ねる。
万次郎の話す言葉が日本語と分かると、日本語の分かる長老を呼んできて、10年ぶりにしゃべる土佐弁混じりの日本語とウチナーグチ混じりの日本語とのやりとりの結果、万次郎が土佐の漁師をわかると、「わったーん 海人(うみんちゅ . . . 本文を読む
巷でルーマニアのO-ZONEと言うグループの歌「恋のマイアヒ」が空耳フラッシュで話題になって、DVDも発売されたとか・・・
私の見たフラッシュはいろいろなバージョンがある中のごく一部なんだろうけど、うけました。
ルーマニア語の歌詞を聞こえるままに日本語表記して、2チャン系のキャラのアニメでまとめてあった。
「マイアヒー マイヤフー マイヤホー マイヤハッハー」「飲ま 飲ま イェイ~」 . . . 本文を読む
石垣島に住んでいた頃、オン・シーズンは忙しくてなかなか休みは取れなかったが、それでも何かの加減でポッコッとお客さんのINが無くて、休日をもらえるような事があった。
買出しなどが終わると、そのまま車を走らせて、道なき道を進むと、目の前にパ~ァと小さな入り江が現れる。
もちろん、だ~れもいない。
毎日海に潜る生活をしているにも拘わらず、貸切の小さなビーチでまた3点(マスク・シュンノーケル . . . 本文を読む
毎日、暑い日が続いている。 夏が好きな私的にはOKなんだが、天気予報のその日の最高気温を見ていて、「はて?」と思った。
昔、夏休みの宿題で絵日記を書いていた頃に、35℃だ36℃って書き込んだ事があったろうか?
地球温暖化の現れかなと、気になっている。
石垣島で暮らしていた頃、夏はクマゼミの鳴き声で目がさめ、「あ~今日も暑くなるな~」と思った。
「ジャ~ジャンジャン」とかなりの . . . 本文を読む
太平洋戦争開戦の始まりとなった1941年12月8日、日本軍のハワイ「真珠湾攻撃」の奇襲は作戦として成功した。
訓練をつんだ錬度の高いパイロット達の操る飛行機による爆撃は、それまでの主流だった戦艦主力の砲撃に優る事を実証した。
以後、攻撃を受けた側の米軍は戦闘における主役を飛行機として行く。
一方、日本では同月16日に4年前の昭和12年に計画され広島呉の海軍工廠で建造された大型戦艦「 . . . 本文を読む
午前8時15分、土曜日で仕事も休みとあって、私は洗濯干しの最中であった。
「黙祷」の声に、作業を中断し手を合わせた。
60年前の今日、きっと戦時下と言えど庶民の日常の生活が営まれていたであろう。
もし、洗濯物を干そうとしている私があの時あの場所にいたとしたら・・・
今更ながら、一瞬の出来事がその後の地獄を生み出した恐怖を思い知るばかりだ。
おととしの夏、家族と共に広島を訪れ . . . 本文を読む
明日6日は広島平和記念日だ。 60年前の1945年8月6日午前8時15分、広島に人類史上初めての「原爆」が投下された。
悪魔の兵器となった広島投下原爆は、皮肉にも「リトルボーイ」と呼ばれ、1945年7月16日にニューメキシコ州の砂漠での実験で成功したばかりの「原子爆弾」を実戦使用の上、その効果を測定したいと言う思惑もあった代物だ。
一日も早く日本を降伏させたい思惑とが重なって、原爆投下候 . . . 本文を読む