「出前きつけ」 きもの美人に変身(*^-^*)

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8人の孫や愛犬ゴンちゃん他プライベートな日記など

令和元年9月19日、18年間という主人の脳腫瘍との戦いは終わりました。

2019年09月30日 | 主人の病気

令和元年9月19日11時5分

主人は18年間の病気との闘いを終え、息を引き取りました。

脳腫瘍と知った前半は精神的に、後半は精神+肉体的にも周りをビックリさせるほど頑張りました。

主人は亡くなりましたが、私は人生の生き方で主人は腫瘍に勝ったと思っています。

6年前頃から主治医の先生には

こうして歩いてMRIを撮りに病院に来ている方が不思議と言われ続けておりましたから・・・

5年前と2年前に悪性に変わったかもしれないと言われ

セカンドオピニオンでまだ違うと判断され

これまでに2度、熊本で親戚や興風館道場の皆さんとお別れ会をしました。


その時、悪性の膠芽腫には変わっていませんでしたが、

2年前からだんだんと腫瘍が変化し、歩くのが前かがみになってきました。

主人の剣道への悩みも増えましたが、

知り合いの医療関係の方には相談していたようですが

家族には、当初から手術をしないと言っていたので

それを知られないように冗談を言ったり、明るくしていました。

 

昨年の3月に長年付き合っていた脳腫瘍が8㎝と大きくなり過ぎて、

周りの細胞が耐え切れず

急に歩けなくなりました。

その時は、ステロイドを大量投与で、一旦腫れが引き歩ける様になり

剣道もぎりぎり6月頃までは、皆さんに迷惑をおかけしながら

続けていました。

でも、だんだん薬の効果も薄れ、眠ってばかりの日が続き


もう一度、剣道がしたいと言う思いで

7月4日に一部切除70%を取り除く手術をしました。

 

手術後すぐに手を振ったりして、元気でしたが

4日後、脳出血を起こし、約一ヶ月まったく動かず、

このまま療養型の病院と思ったら奇跡の回復

急に動けるようになり、酸素も取れ、回復期の病院へ行き


回復期の病院では、自宅に帰りたい一心で動きまわり、要注意人ま2に

昨年9月中頃、自宅に戻りました。

孫の為に岸和田のだんじりに行ったり、13詣り七五三と家族の行事にも歩いて参加しました。


でも、11月初めにまた脳出血を起こしました。

担当の先生からは、今度はもう療養型と覚悟する様に言われていましたが

1ヶ月後には、鼻のチューブや酸素も取れ、

リハビリの先生の口添えで、

最後のチャンスと言われ回復期の病院へ転院することが出来ました。

最初は、元気に色々リハビリをしていました.

親戚や女子稽古会の皆さんのお見舞いに涙を出して喜んでいました。


70%採った脳腫瘍も1月末頃には、ほぼ元の大きさに戻り

回復期の病院では、退院前は徐々に喜怒哀楽が少なくなっていた主人でした。


先生は腫瘍の事を心配され、このまま療養棟にと言われていたのですが

看護師さんやリハビリの先生方の

今しか家に帰られないと言う言葉で、悩んだ末

もし、家で看られなくなったら病院でと言う軽い気持ちで、自宅介護を選びましたが

3月2日に自宅に戻って来てから、刺激も大きかったのか

急激に元気になり

喜怒哀楽が復活するのを見ていると

病院には返したくなくなりました。

 

お花見や散歩、外食にも行きました。

病院では、とろみ2パーセントが飲食には必要でしたが

家に戻ってからは、普通に食事をしていました。

 

食事はお寿司も好きでしたが、和食から洋食に好みが変わり、ステーキやハンバーグ、ピザ

ケーキと野菜ジュース、偶にビールを飲んでいました。

大好物は自分から食べるくらい


自宅介護中、2度飲み込みが出来なくなって点滴だけの生活も続き

先生からも覚悟する様に2度言われましたが

先生や看護師さんやヘルパーさんをビックリさせるように

元気になり、食事が出来るようになりました。

1度目は6月14日から悪くなり、女子稽古会の皆さんたくさんの見舞いの方に助けられ

剣道のDVD剣道の教え子のお見舞いでピザが食べられる様


その後

7月23日デイサービスに行って急に数値がまた悪くなり

この日から点滴だけの生活に

お盆までかと言われていた主人ですが

女子稽古会の皆さんや旧友、いつも励ましてもらう本田さんのお見舞いで

反対にお盆の前には少し持ち直して

8月11日お見舞いに来てくれた教え子の看護師さん親子に口からゼリーを食べさせてもらったのをキッカケに

覚醒もしっかりして、どんどん良くなり、食事も3食、酸素も外し、会話も出来るようになっていました。

8月26日は傘寿のお祝いも孫たち全員が揃って出来ました。

9月7日にその教え子の真紀ちゃんに竹刀を持って来てもらって、お手合わせ

真紀ちゃんの笑ってと言う声に、

毎日、竹刀を持って私が相手をしていました。

11日もとても元気に竹刀を振って女子稽古会のYさんに相手をしてもらって

降参ですかと聞かれて「降参」と答えていたのが嘘のようです。

昼食はブロックをしたり一緒に豚まん、夜は豆腐のハンバーグを食べていました。


 

12日の朝食もトーストとロールケーキを半分、コーヒー野菜ジュースを飲んで

この日はデイサービス再開でお風呂に入りに行き、

私は久しぶりに教室に出掛けました。

それが、突然、デイからの電話が

デイサービスに着くなり数値が悪くなったと

酸素をして11時に自宅に戻ってきました。

 

とうとう先生から3度目の宣告を受けました。

それからの1週間、嘔吐や全身痙攣、排便と怖いぐらい大量でしたが

看護婦さんやヘルパーさん、弟が16日泊まり込みで来てくれて、自宅で介護が出来ました。

この一週間、娘は毎日の様に来てくれて、孫たちは8人は2度全員が揃いました。

夜中から午前中は調子が悪いのに、午後には少し持ち直し

気にして下さっていた、長井先&坂本さん、本田先生、石田先生ご夫妻、原田先生、女子稽古会のOさん、Kさん、Yさん、Nさんご夫婦と

たくさんの方に会う事が出来ました。

危篤と言われながら1週間、

頑張ったのは、きっと皆様に会いたかったからだと思います。


20時半にヘルパーさんが来て綺麗にしてもらい

最後の30分ほどは、楽に息をしていましたので

本当に静かで眠っているような穏やかな顔でした。

葬儀の時に湯かんをしてお化粧をしましたが、

その顔より亡くなったままの主人の顔の方が私は好きでした。

 

 お父さん、本当に長い間、頑張ったね。

お疲れ様、

4年ぐらい前から着付けが忙しくなり、

又、孫の誕生で手伝いがあり、お倦怠で留守にして

ちょっと偉そうな態度を取っていたこともあり

家の中が片付いていないと、よく怒っていました。

 

何時もゴンと留守番だとも・・・手帳のメモに残っていました。


でも自宅介護になった6か月間、これでもかと言うほど一緒にいました。

そして、最後の最後は2人になれました。

きっと孫たちにも

剣道だけでなく病気と闘ったジイジの頑張る姿は残ると思います。


ありがとう、良一さん

 

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