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亡くなった主人に全日本剣道連盟から顕彰状が

2019年10月07日 | 主人の病気

昨日、とても立派なお花が届きました。

ブログのお友達が送って下さいました。

最近は、ずっと何方のブログにも訪問していなかったので

とても恐縮してしまいますが

コメントやお花まで

本当にありがとうございます。

剣道部の先輩が居られ、主人の事を聞かれたとお聞きしていたのですが

 

「私の大学の剣道部の先輩がPL剣道部出身で、今、百合栽培農家なので贈ってもらいました。」と

きっと主人も喜んでいると思います。

私もとても癒されました。

今日は全日本剣道連盟から顕彰状を頂き

主人が指導させて頂いた月曜会の会長さんと元会長さんがお二人で持って来て下さいました。

 


通夜・告別式に出られなかったとホームケアの看護師さんやスタッフさん、ご近所の方や犬友さん他がお焼香に

遠方からお供えや電報、手紙が届いたりと

主人の前の備えていますが

顕彰状、主人が剣道に掛けてきただけに、生きている間に見せてあげたかった・・・

 

主人が生前H18,8,21に書いていた雑記を見つけました。


コメント

主人は、通夜、告別式とたくさんの皆様とお別れすることができ、喜んでいたと思います。

2019年10月02日 | 主人の病気

9月21日の通夜には約350名、22日の告別式には170名の皆様に参列して頂き

本当にありがとうございました。

参列できないからと、通夜が始まる前や終わってから23時頃まで、

告別式には朝7時から来て頂きました。

剣道家としての主人がたくさんの方に慕われているのを見て

私を含めて家族、親族一同が知らなかった主人の一面を知り、嬉しく思いました。


寂しがり屋だった主人は、たいへん喜んでいると思います。

剣道関係の方が多く、少年剣道を教えていた頃の懐かしい方がたくさん来て下さいました。

生徒さんやスタッフさん、ご近所の方

急な事でまだ、連絡できていない所もあり、今も電話も頂いております。


お別れ会の様にしたいと言う私の希望で

通夜の時は地域の友人と主人の少年剣道~職場、そして最後の一ヶ月に大きくかかわって下さった教え子のお二方に弔辞を頂きました。

心のこもった弔辞に、涙を誘いました。

葬儀の時は、地域の問題から始まって深くかかわって下さった長谷川俊英堺市議に私の思いも込めた弔辞を頂きました。

 

 弔  辞

 

剣道教士八段・坂田良一先生の御霊前に立ち、先生の剣道界における数々のご業績と、弟子の末端にお加えくださった私に賜った過分のご恩を思い返しつつ、謹んで哀悼の辞を捧げます。

 

先生に初めてお目にかかったのは、平成十二年(二〇〇〇年)も押し詰まった十二月二十一日だったと記憶しております。

ご用件は、お住まいのある当時の美原町木材団地の地区区長による不正を糾すために知恵を貸してほしいとのこと。当時の私は公職を離れ、大学に勤務しながら、地域の剣道クラブを主宰しておりましたが、その剣道クラブの指導者の仲立ちが、先生とのご縁の始まりでした。

 

その折に頂戴したお名刺には、大阪府警察本部警備部第二機動隊剣道師範とありました。正義感に溢れる先生のお話を伺い、年明け以降、同じ思いで先生と共に地域改革を志す地区住民の方々との交流が始まりました。

そして、当時の区長と地区事業受注企業との不明朗な関係などを追及し、また地区会を再生するための住民の皆さんの活動は成功しました。

 

奥様の正子さんが新しい区長に選ばれ、活発な住民自治活動が展開されるようになったこともあって、先生や地区の皆様とのご交誼はさらに深まりました。

 

三年後の平成十五年(二〇〇三年)、私が堺市議会に復帰するにあたっては皆様の大きなご支援をいただき、平成十七年(二〇〇五年)の美原町と堺市との合併により、同じ堺市民としての絆がさらに強まったかと思います。

 

ご公務を退かれた後の先生には、私の後援組織の要職もお引き受けいただいたほか、家族ぐるみのお付き合いを賜ってまいりました。

何年かして、先生が病を得られたことを知り、ひたすらそのご快復を願ってきたところです。ところが、先生の剣道への情熱と指導者としての責任感はすさまじく、病を押してもその責務を果たそうとされるお姿に圧倒されました。

 

剣道指導者としての先生のご名声は海外にも及び、中国瀋陽市からのご招聘に応じられ、また、同市から来日した剣道家のお世話をされるなど、剣道を通じての国際親善にも貢献されたことは、「さすが、坂田先生」と各界からの賞賛を集めました。

 

しかし、病の進行はいかんともしがたく、一昨年の京都大会への出場は、「これが最後」と覚悟を決められてのことと、奥様に伺いました。

その京都大会の出場アルバムを拝見し、品格に満ちた先生の剣士姿とともに、防具装着に手を添える正子さんのひたむきなご表情に感動させられました。

 

思えば、坂田先生の半生は坂田正子さんの献身によって支えられ、先生の数々のご名声は、奥様と共にお受けになられたものではないかと、思えてなりません。

 

まさに「九州男児」の「肥後もっこす」であった先生が、奥様に強い口調で接されることに、最初はハラハラしました。しかし、それでもすぐ、先生の行動も奥様を信じて頼る関係にあることを窺い知りました。

病床にあってご不安が増す時期であったにもかかわらず、奥様が堺市美原区の選挙管理委員という公職に就くことをお認めになったことなど、しばしば、先生の奥様への敬愛ぶりを拝見することもありました。

 

また、そのような先生の広いお心と他者への思いやりは、ご家族はもちろん、数多くの弟子やご友人にも及び、昨日も今日も、これほど大勢の方々がお別れを惜しんで集うことになったかと思います。

 

ともあれ、病院や施設ではなく、できる限りご自宅での闘病生活を選ばれ、ここ数年にわたる奥様の懸命の介護ぶりは誰もが認めるところです。

過日の弔問の際、ずっとそばで手を握り続けてご臨終を迎えたと伺い、その深い愛に包まれた坂田先生の人生は、とてもお幸せだったのだと思い至らされました。

 

奥様からは、「つい先日も、主人は竹刀を両手で持って素振りしていたのです」との話も伺いました。どのように体力が衰えようと、剣の道を極めようとされる坂田先生の強いご意志が伝わってきます。

と同時に、剣道家としての坂田先生への敬慕の念に満ちた奥様の思いも強く感じさせられたところです。

 

その奥様、そしてお子様や、おじいちゃん大好きだった八人のお孫様たちに見守られ、どうか安らかにお眠りください。

 

そして、黄泉の国にいらっしゃっても、よりいっそう、先生を慕う弟子たちに剣の道を教え伝え続けてくださることを切にお願い申し上げ、お別れの言葉の結びといたします。

 

      二〇一九年(令和元年)九月二十二日

 

                                  不肖の弟子

                   堺市議会議員 長谷川俊英


葬儀委員長をして下さった不知火会の右田先生

快く弔辞を引き受けて下さった3人の皆様、とても感謝しております。

又、葬儀のお手伝いをして下さった各種団体の皆様

そして、わざわざお越し頂き、お心のこもった言葉や献花を頂いた皆様に厚く御礼申し上げます。

行き届かないことばかりでございましたことをお詫び申し上げます。

 

 

娘たちに手伝ってもらい、四十九日を行う11月9日まで

お参りしてして頂けるように部屋も片付ける事が出来ました。

歩けなくなって1年半、ずっと居間に置いていたベットもお返しして

部屋が広くなり、ビックリしました。

昨日は、自宅介護でお世話になった看護師さんたちがお参りに来て下さり、感謝の気持ちを伝えることが出来ました。

主人が亡くなってから2週間、最初はバタバタしていましたが

告別式の時は孫3人が泊まってくれて、

月、火と交代で来てくれて

先週で手続きもほぼ出来ました。

次女は金、土日と泊まってくれて、

日曜日は長女も来て、

ちょっと寂しくなった頃に、昨日は娘2人が来てくれました。

娘2人に孫8人、私が淋しくないようにしてくれた主人に感謝です。

やっとブログにも手を付ける気になれました。

 

 

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令和元年9月19日、18年間という主人の脳腫瘍との戦いは終わりました。

2019年09月30日 | 主人の病気

令和元年9月19日11時5分

主人は18年間の病気との闘いを終え、息を引き取りました。

脳腫瘍と知った前半は精神的に、後半は精神+肉体的にも周りをビックリさせるほど頑張りました。

主人は亡くなりましたが、私は人生の生き方で主人は腫瘍に勝ったと思っています。

6年前頃から主治医の先生には

こうして歩いてMRIを撮りに病院に来ている方が不思議と言われ続けておりましたから・・・

5年前と2年前に悪性に変わったかもしれないと言われ

セカンドオピニオンでまだ違うと判断され

これまでに2度、熊本で親戚や興風館道場の皆さんとお別れ会をしました。


その時、悪性の膠芽腫には変わっていませんでしたが、

2年前からだんだんと腫瘍が変化し、歩くのが前かがみになってきました。

主人の剣道への悩みも増えましたが、

知り合いの医療関係の方には相談していたようですが

家族には、当初から手術をしないと言っていたので

それを知られないように冗談を言ったり、明るくしていました。

 

昨年の3月に長年付き合っていた脳腫瘍が8㎝と大きくなり過ぎて、

周りの細胞が耐え切れず

急に歩けなくなりました。

その時は、ステロイドを大量投与で、一旦腫れが引き歩ける様になり

剣道もぎりぎり6月頃までは、皆さんに迷惑をおかけしながら

続けていました。

でも、だんだん薬の効果も薄れ、眠ってばかりの日が続き


もう一度、剣道がしたいと言う思いで

7月4日に一部切除70%を取り除く手術をしました。

 

手術後すぐに手を振ったりして、元気でしたが

4日後、脳出血を起こし、約一ヶ月まったく動かず、

このまま療養型の病院と思ったら奇跡の回復

急に動けるようになり、酸素も取れ、回復期の病院へ行き


回復期の病院では、自宅に帰りたい一心で動きまわり、要注意人ま2に

昨年9月中頃、自宅に戻りました。

孫の為に岸和田のだんじりに行ったり、13詣り七五三と家族の行事にも歩いて参加しました。


でも、11月初めにまた脳出血を起こしました。

担当の先生からは、今度はもう療養型と覚悟する様に言われていましたが

1ヶ月後には、鼻のチューブや酸素も取れ、

リハビリの先生の口添えで、

最後のチャンスと言われ回復期の病院へ転院することが出来ました。

最初は、元気に色々リハビリをしていました.

親戚や女子稽古会の皆さんのお見舞いに涙を出して喜んでいました。


70%採った脳腫瘍も1月末頃には、ほぼ元の大きさに戻り

回復期の病院では、退院前は徐々に喜怒哀楽が少なくなっていた主人でした。


先生は腫瘍の事を心配され、このまま療養棟にと言われていたのですが

看護師さんやリハビリの先生方の

今しか家に帰られないと言う言葉で、悩んだ末

もし、家で看られなくなったら病院でと言う軽い気持ちで、自宅介護を選びましたが

3月2日に自宅に戻って来てから、刺激も大きかったのか

急激に元気になり

喜怒哀楽が復活するのを見ていると

病院には返したくなくなりました。

 

お花見や散歩、外食にも行きました。

病院では、とろみ2パーセントが飲食には必要でしたが

家に戻ってからは、普通に食事をしていました。

 

食事はお寿司も好きでしたが、和食から洋食に好みが変わり、ステーキやハンバーグ、ピザ

ケーキと野菜ジュース、偶にビールを飲んでいました。

大好物は自分から食べるくらい


自宅介護中、2度飲み込みが出来なくなって点滴だけの生活も続き

先生からも覚悟する様に2度言われましたが

先生や看護師さんやヘルパーさんをビックリさせるように

元気になり、食事が出来るようになりました。

1度目は6月14日から悪くなり、女子稽古会の皆さんたくさんの見舞いの方に助けられ

剣道のDVD剣道の教え子のお見舞いでピザが食べられる様


その後

7月23日デイサービスに行って急に数値がまた悪くなり

この日から点滴だけの生活に

お盆までかと言われていた主人ですが

女子稽古会の皆さんや旧友、いつも励ましてもらう本田さんのお見舞いで

反対にお盆の前には少し持ち直して

8月11日お見舞いに来てくれた教え子の看護師さん親子に口からゼリーを食べさせてもらったのをキッカケに

覚醒もしっかりして、どんどん良くなり、食事も3食、酸素も外し、会話も出来るようになっていました。

8月26日は傘寿のお祝いも孫たち全員が揃って出来ました。

9月7日にその教え子の真紀ちゃんに竹刀を持って来てもらって、お手合わせ

真紀ちゃんの笑ってと言う声に、

毎日、竹刀を持って私が相手をしていました。

11日もとても元気に竹刀を振って女子稽古会のYさんに相手をしてもらって

降参ですかと聞かれて「降参」と答えていたのが嘘のようです。

昼食はブロックをしたり一緒に豚まん、夜は豆腐のハンバーグを食べていました。


 

12日の朝食もトーストとロールケーキを半分、コーヒー野菜ジュースを飲んで

この日はデイサービス再開でお風呂に入りに行き、

私は久しぶりに教室に出掛けました。

それが、突然、デイからの電話が

デイサービスに着くなり数値が悪くなったと

酸素をして11時に自宅に戻ってきました。

 

とうとう先生から3度目の宣告を受けました。

それからの1週間、嘔吐や全身痙攣、排便と怖いぐらい大量でしたが

看護婦さんやヘルパーさん、弟が16日泊まり込みで来てくれて、自宅で介護が出来ました。

この一週間、娘は毎日の様に来てくれて、孫たちは8人は2度全員が揃いました。

夜中から午前中は調子が悪いのに、午後には少し持ち直し

気にして下さっていた、長井先&坂本さん、本田先生、石田先生ご夫妻、原田先生、女子稽古会のOさん、Kさん、Yさん、Nさんご夫婦と

たくさんの方に会う事が出来ました。

危篤と言われながら1週間、

頑張ったのは、きっと皆様に会いたかったからだと思います。


20時半にヘルパーさんが来て綺麗にしてもらい

最後の30分ほどは、楽に息をしていましたので

本当に静かで眠っているような穏やかな顔でした。

葬儀の時に湯かんをしてお化粧をしましたが、

その顔より亡くなったままの主人の顔の方が私は好きでした。

 

 お父さん、本当に長い間、頑張ったね。

お疲れ様、

4年ぐらい前から着付けが忙しくなり、

又、孫の誕生で手伝いがあり、お倦怠で留守にして

ちょっと偉そうな態度を取っていたこともあり

家の中が片付いていないと、よく怒っていました。

 

何時もゴンと留守番だとも・・・手帳のメモに残っていました。


でも自宅介護になった6か月間、これでもかと言うほど一緒にいました。

そして、最後の最後は2人になれました。

きっと孫たちにも

剣道だけでなく病気と闘ったジイジの頑張る姿は残ると思います。


ありがとう、良一さん

 

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竹刀でリハビリを再開しました

2019年09月07日 | 主人の病気

剣禅会の教え子、真紀ちゃんが息子(次男さん2才)さんとお見舞いに来て下さいました。

主人が今回、回復するきっかけを作ってくれた真紀ちゃんですが

今日は剣道の竹刀を買って着て頂きました。

幼児用の竹刀ですが、今の主人にはちょうど良かったようです。

動画を撮ったのですが、手々もしっかり構えていました。

一回目脳出血の回復期の病院の時は両手で竹刀を持っていたのですが

2回目の脳出血が起こってからは、両手で棒や竹刀を持つことはなく

何時も右手で持っていました。

ビックリするほど力強く、竹刀を振っていました。

こちらが、打とうとしても小手を打たれたりして

長年培ってきたことは体が覚えているのですね。

 

 

 

これから毎日竹刀でリハビリをします。

頭の水を抜いて脳圧を下げる点滴をしているので、頭が本当に小さくなりました。

四角い顔だったのが、面長に

それでも笑顔が出てきた主人です。

怒った顔も見せるようになりました。

喜怒哀楽が出てきて主人らしくなりました。

 

竹刀のリハビリ、やりすぎて疲れないように気を付けます。

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(@_@)ブロックを組み合わせようと頑張っている主人の姿

2019年09月04日 | 主人の病気

 

主人は誕生日から10日過ぎて、ますます調子が良くなってきています。

固まっていた左手、左足が動き出してビックリしていたら

細かい動きも出来るようになってきました。

朝は、手に持つのがやっとだったブロック

 

夜は組み合わせようと一生懸命頑張っている姿にビックリさせられました。

 

お茶椀や箸も自分で持ちたそうにします。

試しに持たせても、すぐに落としますが

その内に握れる様になって欲しいなあと思っています。

車椅子に座るのも体制を維持できないで、横に倒れていましたが

土曜日ぐらいから少ししっかり座れる様になり

夜ブロックをしている2時間ぐらい、ちゃんと座っていました。

意識も戻らず、寝たままだった主人が

車椅子に座れて、食事も出来て、手足が動かせる様になるとは思ってもいませんでした。


頑張っている姿を見ると、次は何が出来るのだろうと期待してしまいます。(*^^*)


昨日は訪問入浴、今日は訪問理容と大変スッキリした主人です。





 

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