かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 416

2022-01-26 14:57:05 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究49(2017年5月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P164~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放


416 十月のひかるまひるま火というをみつめておれば火は走りだす

    (当日意見)
★真昼間に火を焚いていたら比較的見えにくいと思うのですが、何とか自分では掴めない何かを
 感じ取っているのかなと。(慧子)
★私はすごく現実的にとりました。草に火を点ける場面などを想像するとひかるまひるまだから火
 が見えにくいのですけど懸命に見つめている、そうするとちょろちょろっと燃えてバーと走り出
 す、燃え広がっていく様子ですよね。なるほどと思うしその景が魅力的でそれだけで美しいと思
 います。(鹿取)


        (レポート)
 作者は一冊を通してずっと〈ひかり〉を感じつづけていた。作者の身体のパーツ、あるいは心も、自我の内からあふれだしてしまうが、あふれつくして命だけになると、ひかりと渾沌一体化するようだ。しかし作者は、ひかりの内から同じように輝き照るものではあるが「火」は、「ひかり」と違い、力があるのだといっているのではないか。「火」は自力で走りだす。〈ひかり〉が無であるとすれば、〈火〉は無から反旗を翻す意志であるかのように。(真帆)

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渡辺松男の一首鑑賞 415

2022-01-25 12:56:32 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究49(2017年5月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P164~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放


415 耳たぶのうしろのがわを冷やしくるひかりありけり橋わたるとき

     (レポート)
 結句の「橋わたるとき」が一首にリアリティーを与えている。作者の髪型は耳やうなじが出るような短い髪型なのだろう。高所が嫌いなのだろうか。いや、そんな単純な歌では無いだろう。こちら側からあちら側へ作者は渡ろうとしている。それが過去へ行くのか未来へ行くのか、明暗か、ただ茫洋と平たいのか。しかし怖い一首である。(真帆)


      (当日意見)
★ひかりなのに冷やし来るんですね。橋を渡るって哲学的な意味合いがあるから松男さんたくさん
 橋の歌歌っていますが。此岸から彼岸に渡る橋とか……(鹿取)
★前の歌で鹿取さんが自愛と言うことを言われましたが、葛藤いろいろ含めて自分を受け入れたい
 と思っているのかなと思いました。(A・Y)
★橋って下が空洞で隠れるところがないんですよね。だから橋を渡るときには不安がある。それを
 あからさまに言わないで「耳たぶのうしろのがわを冷やしくる」ということで言っているのでは
 ないでしょうか。(慧子)
★橋を渡るとは何かを始める、今とは違ったところへ行く事じゃないかなと思いました。その時
 には恐怖のようなものがあるのかなと。(T・S)
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渡辺松男の一首鑑賞 414

2022-01-24 15:15:15 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究49(2017年5月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P164~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放


414 抜けし歯のごとく炎天に投げ出されわがうつそみは歩きだしたり

     (レポート)
 これまでの自分が、もう不要になった乳歯か虫歯のように、自然とぽろりと抜けるようにこの炎天へ投げ出されるのだという。そしてこの現し身は歩き出したのだ。氾濫しつづけ、闘いつづけた後、自然と放擲される現し身。ちっぽけな人間枠を脱ぎ捨てて全体と一つになり、しかし意志のある現し身として作者は歩み出したのだ。(真帆)


     (当日意見)
★「ちっぽけな人間枠を脱ぎ捨てて全体と一つになり」のあたりをもう少し丁寧に説明してくれま
  すか。(鹿取)
★この歌集名の寒気氾濫とは自分の枠からどんどん氾濫させてゆく、そして全体と同化して渾沌と
 してしまうようなテーマがあるのかなと思っていた。なのでちっぽけな人間という殻のようなも
 のを脱ぎ捨てて光りとか自然とかと一体となって生きていく。でもアニミズムのようなものでは
 なくて一人の人間として意識を持っている、そういうものとして歩み出したのだと読んだのです。
 ただ、413番歌(やわらかき座布団に尾骨沈めつつちちとちちの子われとまむかう)で鹿取さ
 んが読まれたような意味、つまりもし父の子が別にいるとしたら414番歌はよく分かると思っ
 た。育ってしまって自分は世に出ることが出来たとリアリティもある歌として読める。(真帆)
★この歌は前の歌とはまったく関連づけずに読んでいました。不安定な、頼りなげな自分が、この
 世に一人投げ出されて炎天の下を途方に暮れたように歩きだす場面、それをすごく遠くから映像
 として見ているような感じです。その眺めのなかには自愛のようなものもあるのかなと。いわば
 生の中に突然投げ出された〈われ〉、古い言葉で言えば「実存」、そんなことを歌っているのか
 なと思いました。よくは理解できないけど魅力的で好きな歌です。(鹿取)
★私も荒野に一人いるような印象を受けた歌です。(真帆)


       (後日意見)
 『寒気氾濫』の歌集名については、作者はどこにも書いていなかったように思うが、直接は次の歌からとられているのだろう。歌集全体に、引き締まった空気感があるようだ。(鹿取)
  シベリアより寒気氾濫しつつきて石の羅漢の目を閉じさせぬ


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渡辺松男の一首鑑賞 413

2022-01-23 15:28:08 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究49(2017年5月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P164~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放


413 やわらかき座布団に尾骨沈めつつちちとちちの子われとまむかう

     (レポート)
 尾骨が沈んでしまうほど柔らかい座布団というのだから、日常使い古したものではなく、ここは客間か、法事の場か、日本旅館かもしれない。下句の「ちち」と「ちちの子われ」と、くどくどと血脈を意識して詠うところにこの歌の眼目があり、父と真向かう息苦しさ、確執が漂う。客体化しようとすれば一層そうできない愛憎のもつれが見え、緊張した気配を生む。尾骨を独楽の軸のようにして双方とも背筋を正しているように見える。(真帆)


     (当日意見)
★私は父と父の子とわれと3人いるのだと思っていました。やわらかき座布団だから正に客間で、
 何か緊張した場面、その居心地の悪い感じを「尾骨沈めつつ」で表している。でも、そう取ると
 なぜこの一連に唐突にこういう確執のような、ある意味通俗的な歌が挿入されているのか分から
 なくなりますから、違うのかな。(鹿取)
★鹿取さんの解釈だと次の炎天に投げ出される歌とうまく繋がりますね。(真帆)
★3人いるとすると「ちちとちちの子われ」ではなく「ちちとちちの子とわれ」というふうに「子」
 の次に「と」が入らないとおかしいと思います。3人だと平凡になってしまうと思います。2人
で充分確執があるし。(T・S)
★なるほどね、松男さんはこういう時、助詞の「と」を抜かすうたい方を良くされますけど、この
 歌に関しては確かに父とわれ2人で向かい合っていてもフロイトの闇のような緊張感や確執はあ
 りますものね。私の読みだと、父が再婚してもうけた子供がもう座布団に座るような年齢かなあ
 と妙な疑問を持っていたのですが、3人だとどろどろして通俗的になるけど、2人だと哲学的な
 深い意味をもちますね。(鹿取)
★「やわらかき座布団に尾骨沈めつつ」のところに生殖関係のことがらを連想しました。(慧子)
★生殖関係ってセックスですか。なるほど、ますますフロイトに繋がりますね。(鹿取)
★松男さんのお父さんの歌は魅力的でどれも好きです。自分はもの考えてボーとっしているけど、
 お父さんは世間的な智恵をしっかり持っていて実務的で勤勉と造型されています。でも内面はわ
 けのわからない闇を抱え持っていて、存在とか生死とかいう地平では自分と同じように苦悩して
 いる。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞 412

2022-01-22 13:21:13 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究49(2017年5月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P164~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放


412 真空へそよろそよろと切られたるひかりの髪は落ちてゆくなり

     (レポート)
 散髪の場面だろうか。「そよろそよろ」という表現から、愛しい君が長い髪をカットしている場面のようにも感じられる。カットされた髪ははらりはらりと柔らかく真空状態のなかへ散ってゆく。君を想う心が、君の髪までも輝かせるのだろう。君をまえにすると「真空」になってしまう、そんな恋心なのではないだろうか。(真帆)


    (当日発言)
★松男さんの初期の相聞歌だと思いました。(真帆)
★レポーターは相聞歌ととられましたが、誰の髪かは歌では言われていない。相聞歌ととっても、
 切られてつやつやとした髪が光りを帯びて落ちていく先が「真空へ」だとはとは松男さん以外言
 わないでしょうね。リアルな相聞歌として読めば真空は絶対あり得ない想定で、その場合は何か
 の比喩と読むのでしょうか。広辞苑を引くと「真空」は①仏教用語で真実の空、大乗の究極。小
 乗の涅槃。②物理的に、物質のない空間。圧力の低い空間についてもいう等々と出てきます。前
 の歌(花蕎麦のしずもれる日よ天体の外側へ消えゆきしはたれか)の関連からいうと、「天体の
外側へ消えゆきしはたれか」をもう少し具体的にしたのがこの歌で、光る髪が落ちていくのはや
はりあちら側の世界のように私には読めます。(鹿取)
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