かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 402

2022-01-12 16:55:49 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P160~
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


402 ゆうぐれはいっぽんの樹へ向くこころ樹というは霧のなかなる耳

      (レポート)
 霧の中では、あらゆるものの細部が没して、作者にとって、たとえば樹は本質的な存在になるのだろう。つまり作者の心に寄り添って耳を傾け、聴くものとなる。「いっぽんの樹」としていることから特定の樹であるし、特定の一人を心に置いているのだろう。(慧子)


      (当日発言)
★レポートで解説していただいても、「樹というは霧のなかなる耳」というのが理解できないんで
 すが。(T・S)
★T・Sさん、具体的にいうと霧が深い時に立っている樹が耳のように、その垂直だけが見える、
 そういうイメージを浮かべると分かりやすいかも。美しいイメージですね。「いっぽんの樹」だ
 から特定していますよね。自分が親しみを覚えるその木が、耳となって自分の心の思いを聞いて
 くれるのでしょうか。第二歌集『泡宇宙の蛙』では亡きお母さんのことを木に耳となって出ると
 か詠っていますが、それはまた全然違う種類の歌ですね。(鹿取)


      (後日意見)
 死後の母も母なれば苦しかるらんやくらくらと木に人の耳でる『泡宇宙の蛙』

 こちらは、死んでも母だから遺してきた子供の声を聴きたいとか、子供のことを知りたい一心で木に耳となって出てくるのだろう。(鹿取)
コメント
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