かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 395 

2022-01-05 16:44:49 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究47(2017年3月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P157
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明     司会と記録:鹿取 未放


395 ふわっとなる一瞬がありつぎつぎと緋の梢から離れゆくなり

      (レポート)
「緋の梢」とは紅葉した梢のことだろうか。そこから紅葉がつぎつぎに散ってゆく様子を詠んでいるが、タイミングとして「ふわっとなる一瞬」があって、それが合図のように紅葉がつぎつぎに散っていく。あるいはこの歌も前の歌(撓うときあらわなるきみのむねのほね吾(あ)はやわらかに鳴らしてみたし)に続く心象風景かもしれない。(鈴木)


     (当日発言)
★愛が醒めていくときの事ですか?(M・S)
★いや、一瞬だから……394番歌(撓うときあらわなるきみのむねのほね吾(あ)はやわら
 かに鳴らしてみたし)に続く性愛の歌なのでしょう。「ふわっとなる一瞬」って男性の感覚な
 のでしょう。その時、緋色の葉っぱが梢からつぎつぎと離れてゆく、そういうイメージが浮
 かぶっていうことだと思います。あるいは、自分が次々に飛んで行く葉っぱになっている感
 覚なのかな。(鹿取)
★実景としてよく分かる歌ですね。心象風景かな。(慧子)
★1首だけ読むと解釈が難しいですね。性愛の歌かも知れないし、次は実景の歌だから。(A・Y)
★歌集として歌を並べる時に意識して、ゆるやかに緋(の葉っぱとは書いてないけど)のイメージ
 から次の歌(耳ぞこに紅葉のごとくひろがりぬうらわかき日のははの呼ぶ声)の紅葉の実景に無
 理なく繋げているのでしょう。(鹿取)

コメント
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