かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子『寒気氾濫』の一首鑑賞 403 中欧⑦

2023-12-30 11:08:44 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
      司会と記録:鹿取 未放


403 ビート聖堂にミュシャの光と影ありて聖者さびしげに瞑目したり

        (当日発言)
★前回の402番歌(ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれ
 は見てゐる)ではミュシャの光を、この歌ではミュシャの光と影を見ている。聖者は
 前回曽我さんが調べてくれたキリルとメトディウスで、チェコにキリスト教を伝えた
 二人。彼らが寂しそうに目をつぶっているという意味。(藤本)
★前回のまとめにステンドグラスの一部を拡大した図を入れた。拡大するとミュシャの
 特色がよく見て取れる。ステンドグラスが大きすぎて聖者が瞑目している部分はよく
 分からないが、現地では見えたのだろう。(鹿取)
★この歌はビート聖堂とミュシャに頼っている。「さびしげに」も私たちが使ったらア
 ウトではないか。(慧子)
★でもビート聖堂とミュシャのステンドグラスは目の前にある事実だから頼っていると
 はいえない。「さびしげに」が活きているかどうかの判断は鑑賞者によるかもしれな
 いが、私は活きていると思う。また「さびしげに」は作者の感情を直接表現したもの
 ではない。(鹿取)
★ステンドグラスそのものも陽光を受けて美しく輝いているだろうが、絵そのものに光
 と影があって、影の部分の一つに目を瞑った聖者がいる。光と影はもちろん精神のそ
 れでもあるのだろう。(鹿取)
★キリスト教そのものが変遷している。時には迫害されたりもする。そういう哀しさを
 秘めて聖者は瞑目しているのかもしれない。(藤本)

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