かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 182 中国②

2023-02-14 13:46:03 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の旅の歌23(2009年11月実施)
    【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放



182 銭塘江逝くともみえず後漢書の春も白木蓮(はくれん)咲きたるかなや

        (レポート)
 銭塘江は、悠久の昔から今も変わらず流れている。その岸辺に咲いている白木蓮の花は、後漢書の時代の春にも、今のように美しく咲いていたのかなあ、との感慨。銭塘江のゆったりとした流れを、なぜ「逝く」ともみえずと表現されたのであろうか。銭塘江の流れと「後漢書」と結びつけて思いを巡らされる先生の歴史に対する認識の深さに脱帽です。(T・H)
   銭塘江:浙江省の北西部の川。多くの支流を集めて杭州湾に注ぐ。長さ406㎞。
   後漢書:中国、後漢(AD25~225年)の正史。二十四史の一つ。120巻。
       選者は、本紀十巻、伝記八十巻が、南朝宋の笵曄。志三十巻が、晋の司
       馬彪。「東夷伝」に、古代日本に関する記述がある。


        (まとめ)
 「逝く」の文字に疑問をもつ会員が多かったが、論語に孔子が川のほとりで言った「逝くものはかくのごときか、昼夜を舎(お)かず」との有名な句があって、水が流れ去るという意味だと分かる。銭塘江は杭州湾に注ぐ浙江省内を流れる河川である。蛇足だが、この杭州湾を横断し、上海と寧波を結ぶ35.6㎞の杭州湾海上大橋が2008年開通したそうだ。
 銭塘江は流れていると分からないほどゆったりと流れ、岸辺には白木蓮が美しく咲き誇っている。遠い後漢書の時代の春もこんなふうに美しく白木蓮が咲いていたんだろうなあ、という感慨。後漢書と銭塘江の関係は、私に知識がなくて不明だが、「漢倭奴国王」の金印に関連がありそうな有名な記述が「後漢書」にある。すなわち「建武元(57)年、倭奴国奉朝賀す。……」日本の使者が漢の光武帝に印綬を受けたあの時代の春も……という気分なのだろうか。史実かどうかも確定していないので、この時の日本からのルートなどもちろん分からないが、8、9世紀の遣唐使の航路は、五島列島を経由して現在の中国の明州、紹興を通り銭塘江をわたって杭州へ行くルートだったらしい。この歌ではわれわれの祖先が見た風景を懐かしんでいるのかもしれない。
 ともあれ、銭塘江の美しい春景色に酔っているような雰囲気の歌である。83年の中国旅行での春景色は夢のように美しかったと馬場から聞いたことがある。(鹿取)

   

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