かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 244

2024-04-21 21:20:12 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
      【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
       参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


244 ひとひらの鳥冥けれど日のきよら風のきよらに乗りて川越ゆ

       (レポート)
 安西冬衛の「春」に「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」という一行詩がある。この詩の「てふてふ」が実景でないように「ひとひらの鳥」も作者の心象風景であろう。「ひとひら」という平仮名によって、いかにも風のまにまに飛翔し、まるで一片の紙きれのように遠ざかってゆく鳥の視覚的イメージが立ち上がる。もともと冥界にいたこの鳥は、この世とあの世を隔てる川を越えて、濁りのない澄み渡った陽光や風に導かれて、再び冥界に帰ってゆくのであろう。(S・I)


       (当日意見)
★もともと冥界にいた鳥というのは、このように規定しなくともいいんじゃないかな
 あ。この「冥い」は光線の暗いだけをイメージするだけでよいと思います。(慧子)
★人間であれ動物であれこの「冥い」を冠して多くの歌人が歌を詠んでいますけれど、
 渡辺さんは短歌界に流通するコードをうまく使って歌を作る人ではないので、この
 「冥い」も独自の感性で掴んだ言葉だろうと思います。川を越えるという辺りから
 S・Iさんのような冥界という解釈ももちろん引き出せますけど、渡辺さんの現在ま
 での歌を読んできた限りでは、ダンテのようなものにしろ、東洋的なものにしろ
 「冥界」という概念は彼の中に無いような気がします。「日のきよら風のきよら」の
 使い方からいっても「きよら」のイメージと冥界は結びつかない気がします。私は
 「冥い」はもう少しゆるやかに、やっぱり鳥の持 つ存在自体のくらさだろうと思い
 ます。表面的には短歌界のコードと同じように見える かもしれないけど、考えは地
 つづきではないように思います。例えば「冥い」に類する 語を使った歌を紹介して
 みます。(鹿取)
佶屈と近づきて父と名乗るもの冥(くら)し声くらき悪尉癋見(あくじょうべしみ)
                 馬場あき子『桜花伝承』(1977年)
水中のようにまなこは瞑(つむ)りたりひかるまひるのあらわとなれば
          伊藤一彦『瞑鳥記』(1974年)
おとうとよ忘れるるなかれ天翔る鳥たちおもき内臓もつを
★渡辺さんは、伊藤一彦についての評論もあって、伊藤に心寄せがあるようなので『瞑
 鳥記』の題にも注目しました。「日のきよら風のきよら」って早春のイメージですけ
 れど、その清らかな光の中を川を越えて飛んでいく一羽の鳥の姿は可憐で清冽、好き
 な歌です。(鹿取)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬場あき子の外国詠 312... | トップ | 渡辺松男『寒気氾濫』の一首... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事