かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 254

2024-07-14 13:13:40 | 短歌の鑑賞
※4年ぶりに支部の勉強会を再開しました。 
 久しぶりの、リアル松男研究です。

   2024年度 渡辺松男研究2の33(2024年6月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P164~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
     司会と記録:鹿取未放

254 死をおそれつづけて白き視野なるかなんとなくわれの頭(ず)はアルミ缶

      (事前意見)
 死を恐れつづけていると視野が白くなるとはどういう感じだろう。貧血でぼうっとすると目の前がぼんやりしてやがて色を失い白くなってしまうが、そんな感じだろうか。何も見えなくなり、判断力がなくなっていくということだろうか。アルミ缶は銀色でぺかぺかして、つぶすとくしゃっとして、なんとも軽く情けない感じがするものなので、死を恐れ続けるばかばかしさ無意味さを表現しているのだろうか・・・。(菅原)


        (当日発言)
★菅原さんが書いていられるのと同じ疑問を感じます。アルミ缶が突然出てきて分か
 らない。(岡東)
★こういう系譜の歌もけっこうありますよね。「ぞっくぞっくと悪寒するなりわたくし
 のどこを切りても鼠の列」(146頁)とか、「かわいそうに体温もあり鳴きもする
 鼠が僕の脳から出れぬ」(147頁)とか。(鹿取)
★「死をおそれつづけて」って、これは本当にそうなんだろうなと思う。白き視野は何
 にも見えない、視界が開けないこと。下の句は自分を戯画化しているのかなと。素直
 に読むとそういうふうに読めます。ただ、この人、そういう素直な作り方をする歌も
 あるのかなあ。(A・K)
★私は目が悪いので、陽光の中でカメラを覗くとファインダーの中に対象が何もみえな
 いんですね。「白き視野」はそんなイメージかなあと。その白き視野とアルミ缶の質
 感は繋がるような気がします。「かんからかんかんからかんの大蜂起赤子背負いてく
 る缶もある」(『歩く仏像』)という歌も松男さんにありますね。(鹿取)
★アルミ缶の質感が空虚な何も無い感じをよく伝えていて、自分を突き放している感じ
 がします。これは全体がなだらかにつながっていて、作為が見えない仕立てですね。
   (M・A)
★素直なうたですよね。発想とかも。そのまんま詠んでいて凄いなと思いました。白き
 視野とアルミ缶の軽い空虚な感じも合っていて、そういう自分をしっかり見つめてい
 る。結果的に、白き視野、アルミ缶と白骨観もうまく繋がっている。あ、なんか、同
 じことを言ってる?(M・A)


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