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Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2016年3月1日(火) 高取山と、高取・土佐街道「町家のひなまつり」を歩く(2)

2016年03月02日 | 山登りの記録
■メイン写真
日本三大山城の1つ・高取城への山道で、猿石が出迎える

昨日アップした記事の続き。
いよいよ日本三大山城の1つ、高取城跡(高取山)を目指す。


高取町の土佐の集落を抜けて、東へ続く農道の緩やかな坂を上る。



砂防公園の梅はまだちらほら咲きだった。
中に、気が早い満開のヤツがあったのでラッキー!



宗泉寺への分岐点の左、少し小高いところにある聖天さん。



ほどなく、高取城址の石碑があり、このあたりから本格的な山道になる。

七曲り、一升坂と、名前がついた坂道が続く。
一升坂は、築城等の際、石材・木材を運ぶ役夫があまりの急坂にへばって
しまったため、米一升を加給して激励したと言われているが、
ゆっくり落ち着いて登れば、さほどの急登というわけではない。



岩屋不動に寄り道する。
いつもながら寄り道好きであるが、寄り道こそが、その山の隠れた魅力を
存分に楽しむコツである。

猿石(メイン写真)は、栢森(かやのもり)への分岐に唐突に置かれている。
どうも明日香の猿石とルーツは同じで、築城の際に掘り出されて
ここまで運ばれたようだという。



続いて、矢場門跡の分岐を右に寄り道し、国見櫓へ。
ここからは大和盆地が一望できる。
大和三山、貝吹山、向こうに大和葛城山、生駒山・・・絶景!!

元の道に戻ると、大きな石垣が次々に現れるようになる。



大手門跡。かなり大規模なお城だったのだ。



ふと左を見ると、杉の巨木に圧倒される。いつ植えられたものだろうか。
1332年に越智氏が初めに掻き揚げ城を造った時なら樹齢700年、
1585年に当時の大和郡山城主・豊臣秀長の重臣、本多利久が
天守閣や石垣など本格的に築城したときとしても、樹齢400年以上となる。



二の丸跡。昔、この石垣をよじ登ったバカ者たちがいたとか、いないとか…



本丸・天守閣跡の直下。ここの石垣は本当に見事としか言いようがない。



本丸の東端からは、真っ白にお化粧した高見山が見えた。



本丸の中でも一段高いところにある本丸・天守閣跡。
ここに、高取山の三角点があるのだ。
金剛・葛城方面の眺めが得られる。

下山は、壺坂口門跡から八幡神社を経て、五百羅漢へ。



五百羅漢遊歩道には、大量の磨崖仏が並ぶ。
ありがたい仏さんなのだが、正直、かなりブキミである。



岩は今や風化が進み、部分的に崩壊している。



壷阪寺の横を抜ける。
ここの境内には、なぜか遥か昔に1回入ったことがあるだけだ。
なんでやろ。

バス停の奥から再び山道に入り、やがてバス道に合流する。
舟戸橋を渡り、赤坂池の脇を抜ける。
お里・沢市の墓を過ぎれば、朝、通りがかった土佐街道に戻る。

平日だというのに、雛めぐりの観光客で賑わっていた。

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