■メイン写真
白い風化花崗岩が印象的な白坂に立ち寄る
■今回のコース
近江高島駅→長谷寺→神楽石→賽の河原→石灯籠→白坂→岳観音堂跡→岳山(観音三尊)→
鳥越→オウム岩→鳥越峰→上の鼻打→鉄砲岩→ろくわ岩→鉄塔下→馬の足形→打下城跡→
日吉神社下→近江高島駅
白い風化岩の奇景・白坂、オウム岩からの眺め、古い寺院跡、城跡など、さまざまな
見どころを擁して、山慣れたハイカーにしっかりとした人気を博する「リトル比良」。
台風による倒木被害がひどかったが、徐々に手入れされ、ほぼ問題なく歩けるように
なってきた。
スタートは長谷寺。近江西国霊場の第7番。
藤原不比等が母堂のために堂宇を建立したとも言われているそうな。
もともとは岳山の山中にあったが、参詣者の便のため、ここに移ったらしい。
獣除けゲートを開け、未舗装林道を進んでいく。神楽石を過ぎ、「賽の河原」の小祠から
山道に出る。両側はコシダやウラジロの薮だが、丁寧に刈られていて歩きやすい。
ふわふわした白い花が印象的なサワフタギが咲いていた。
古い石灯篭が残る、ちょっと開けた場所に出る。
ここからは琵琶湖の眺めが素晴らしい。
その先、右側に、突然真っ白い丘が出現する。白坂だ。
風化花崗岩の真っ白な斜面で、晴天の中ではまぶしいほどだ。
昔は地元の人が水晶を探しに来たとか…
特徴的な風景のなかで、しばし休憩する。
両側のシダの薮も、この辺まで来ると刈られていない。
たまにサルトリイバラの棘がズボンに引っかかる。
弁慶の切石。背後にアカガシの巨木がある。
「弁慶の切石」とは、何か昔話がありそうな名だが、ちょっと分からない。
かつて参道だったことを物語る石段の道。
瓦や古い柱が転がっている平坦地に出る。岳観音堂跡だ。もとの長谷寺。
しかし、どうやら寺は最初は、岳山の山頂にあり、ここに移って、さらに現在の麓に
引っ越したようだ。それぞれの正式な年代が知りたい。
固定ロープの、ちょっとした岩場を越える。
ヤマツツジは、ちょうど見ごろを迎えていた。
岳山の山頂直下にあったベニドウダン。花の数は例年より少なめだろうか。
比良山系には、ドウダンツツジ系の花は多い。
岳山の山頂には、釈迦三尊像が岩屋の中に鎮座している。
展望はないが、背中がシャンとするような雰囲気がある。
ミヤマナルコユリかな?
シライトソウ。
ミヤマウメモドキかなあ?
オウム岩に到着。涼しい風が吹き抜けていて気持ちよかった。
北側が大きく開けており、足がすくむが最高の展望台である。
岩の間からヤマツツジや、この写真には写っていないがナナカマドの花も咲いていた。
キバナノツクバネウツギ。
ちょっとした急登をこなし、岩阿沙利山への分岐を左折したら、すぐに鳥越峰の
ピークだ。登山道から微妙に外れ、展望は全くないので、知らずに通り過ぎても
おかしくない地味な山頂だが、本日の行程ではここが最高点の702m。
山頂のすぐ東側には電波反射板がある。
タニウツギ。
周回ルートの後半にさしかかる。あとは基本、尾根づたいの下りである。
ブナの巨木。
少し倒木は残っているが、小さく迂回したり、くぐったりして容易に対処できる。
迂回箇所にはリボン、テープもあるので助かる。
「上の鼻打」という珍しい地名の場所を過ぎ、「鉄砲岩」へ。
P525を過ぎてしばらく行くと、「ろくわ岩」がある。
いずれも謂れが分からないのが残念だ。
見張山は、本日唯一の三角点がある。
ピークとしては目立たない、長く緩やかな尾根の突端といった感じで、こちらも
眺めは得られない。
少し下った先、送電線鉄塔下からは琵琶湖から南側の眺めが楽しめる。
雲がしだいに厚くなってきたが、比叡山まで見渡せた。
馬の足形と呼ばれる、謎の巨石。
分岐を直進すると、打下(うちおろし)城跡に着く。
永禄年間(1558~1570)に、地元の豪族で琵琶湖の漁業権益を握っていた林員清の城が
あった。湖北の浅井氏が織田信長に負けたことで、林氏も切腹、城は破却され、
現在の近江高島駅の近くに、大溝城と城下町が造られた。
城主は信長の甥で、明智光秀の婿である織田信澄。
現在、打下城跡には、土塁で囲まれた主郭、虎口、空堀などが残る。
もとの分岐に戻り、沢沿いの道を下っていく。
この道に入ってから、風がまったく通らなくなり、蒸し暑くなった。
日吉神社に下山。おつかれさまでした!