![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/aa/20dddbee7ca1cf5629eecfd697f5b625.jpg)
■メイン写真
慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段横にある、第180町石(最初の町石)
■今回のコース
道の駅「柿の郷くどやま」(駐車)→慈尊院→丹生官省符神社→勝利寺→
展望台→榧蒔石→銭壺石→雨引山分岐→一里石→六本杉→古峠→小屋→
上古沢駅⇒(南海高野線)⇒九度山駅→真田古墳→真田庵→
道の駅「柿の郷くどやま」
紀ノ川沿いの九度山から、高野山へ。
大門まで約20kmの間に180の町石が並ぶ、町石道を3回に分けて歩く。
もとより1回で全行程を歩いても何の問題もないのだが、ゆっくり
分けて歩くことで見えるものもあるはずだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ba/2b251e070c08c87c4f254c7241437572.jpg)
道の駅「柿の郷くどやま」にクルマを置き、出発。
今度のNHK大河ドラマは、ここ九度山に14年間滞在(蟄居)した真田幸村が主人公。
町は、幸村一色で染まっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ef/a5a806b95380786d8c78e6e8ab54193b.jpg)
慈尊院に向かう途中に、能光尊史跡がある。
能光は、九度山に住んでいた仏師で、代表作は高野山中門の多聞、持国の
二天王だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1b/6bcb9f7ce0b168d0260f71ca21564308.jpg)
慈尊院。ここが町石道への入口となる。
慈尊院は816年、弘法大師が高野山を開く際、高野山の表玄関として
草創した伽藍だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/cf/6e64781ef3445c5cdc21687bf8805db6.jpg)
丹生官省符神社へ続く石段で振り返ると、三石山が見える。
石段をほぼ登り切った右側に、最初の町石である第180町石がある。
ここから1町(109m)ずつ、欠けることなく立てられているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b0/72d1ad38d76fbae960d502378273769e.jpg)
丹生官省符神社に到着。ここの社殿は重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/3b/7038cd8311efa8d5fa3d930e15b8e207.jpg)
気温が一気に上ったので、水蒸気が立ち込めていた。
ちょっとだけ寄り道する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9b/999addb389b0a2e43427f910c7ecc341.jpg)
勝利寺の山門。高野山の開創前からあったそうで、弘法大師が厄除けのために
十一面観音を奉納したという。現在は、スポーツなど勝負事にご利益が
あるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/79/4e757220fe5053fd38502b9f838c4f15.jpg)
境内にある紙遊苑は、高野紙で知られる手すき和紙を伝承するための
施設である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0b/0dd3dbd0e713049737e63ca945f5450c.jpg)
町石道に戻る。最初は柿園の中の農道といった風情だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/30/aff1d4bf770fa1269ea708c3085bd2d2.jpg)
しだいに標高を上げる。岩湧山の堂々とした姿が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/00/db34dbd04002fdfdb96bcd8d438a5de9.jpg)
展望台。北西から東までのワイドな眺めが得られる。
やがて植林帯に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e2/13024cf2584dad5c29592f6ea5ccc4c6.jpg)
町石道から30mほど左に入ったところにある榧蒔石(かやまきいし)。
弘法大師が、当地の貧しさを見かね、この岩から榧の種を蒔いたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/42/e681dfc3102bbdafc57c16f5bfa5fb90.jpg)
続いて銭壺石(ぜんつぼいし)。
鎌倉時代に20年の歳月をかけて町石道が整備された際、この石に置いた
壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせていたもの。銭壺は上部が
くびれているので、欲ばっても一定量の銭しかつかめなかったいう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/39/48b6105549480d0a429a38603ccf9072.jpg)
雨引山分岐を過ぎ、一里石へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/45/09b2ffd5d792acab718e1ed659548d15.jpg)
続いて、六本杉。丹生都比売神社への分岐でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a4/0a5d543314df9336524e271976b69bf7.jpg)
古峠。今回はここで町石道に別れを告げ、東側の上古沢に下りる。
道標はきちんとしており、道も一部は急だが、歩きやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c2/8cf0dbb634839a7a5f0d83efaec5f7a1.jpg)
途中にある小屋。壊れかけ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4f/cc8df14360a097292972cb5495b3ad0e.jpg)
上古沢、下古沢の分岐。右の細い方が、上古沢駅への道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/af/67514dab376e5315d3a78e5b3e779c1c.jpg)
明るく開けたミカン畑に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/49/0c8a90b6754974fe3d687d1b3a5f6903.jpg)
また樹林帯に入り、ひとつ沢を渡る。突然出てきた薄暗いゴルジュ風の
地形にびっくり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d0/b14ce910f15bedca7782321c9f97d207.jpg)
国道370号線に下り、不動谷川にかかる橋を渡り、対岸の急坂を
登り返せば、上古沢駅に着く。
駅舎はなんだか少々傾いているが、無人駅ではなく駅員さんがいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ac/7258960fc4c45db2fce9cc8ed05485ae.jpg)
「真田の赤備え」にあやかり、赤ボディとなった南海電車で、
九度山駅に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/19/1e552273fa72329e829bbadcdccc4bf2.jpg)
九度山駅も、真田の六文銭と、赤備えにお化粧していた。
道の駅に戻る途中、九度山の史跡を巡る。これがなかなか楽しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/4f/ad95f36dd417989a6b0acac497e6485f.jpg)
真田古墳。大坂まで続く秘密の抜け穴とも言われていたが、実は古墳だ。
面白いことに、大阪の玉造に近い三光神社にも、抜け穴と伝わる穴がある
(これは別に九度山とつなげるために掘ったものではなく、ゲリラ戦法を
とるためのもので、玉造周辺に数か所あったという)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6c/6477b9f530f17452420107356ed6aa2c.jpg)
真田庵に、真田昌幸(雪村の父)の墓を訪ねる。
昌幸は大坂の陣の前に、ここ九度山で亡くなっていた。
道の駅内のベーカリーカフェ「パーシモン」でおいしい菓子パンと
コーヒーを頂き、大満足で家路についた。
慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段横にある、第180町石(最初の町石)
■今回のコース
道の駅「柿の郷くどやま」(駐車)→慈尊院→丹生官省符神社→勝利寺→
展望台→榧蒔石→銭壺石→雨引山分岐→一里石→六本杉→古峠→小屋→
上古沢駅⇒(南海高野線)⇒九度山駅→真田古墳→真田庵→
道の駅「柿の郷くどやま」
紀ノ川沿いの九度山から、高野山へ。
大門まで約20kmの間に180の町石が並ぶ、町石道を3回に分けて歩く。
もとより1回で全行程を歩いても何の問題もないのだが、ゆっくり
分けて歩くことで見えるものもあるはずだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ba/2b251e070c08c87c4f254c7241437572.jpg)
道の駅「柿の郷くどやま」にクルマを置き、出発。
今度のNHK大河ドラマは、ここ九度山に14年間滞在(蟄居)した真田幸村が主人公。
町は、幸村一色で染まっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ef/a5a806b95380786d8c78e6e8ab54193b.jpg)
慈尊院に向かう途中に、能光尊史跡がある。
能光は、九度山に住んでいた仏師で、代表作は高野山中門の多聞、持国の
二天王だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1b/6bcb9f7ce0b168d0260f71ca21564308.jpg)
慈尊院。ここが町石道への入口となる。
慈尊院は816年、弘法大師が高野山を開く際、高野山の表玄関として
草創した伽藍だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/cf/6e64781ef3445c5cdc21687bf8805db6.jpg)
丹生官省符神社へ続く石段で振り返ると、三石山が見える。
石段をほぼ登り切った右側に、最初の町石である第180町石がある。
ここから1町(109m)ずつ、欠けることなく立てられているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b0/72d1ad38d76fbae960d502378273769e.jpg)
丹生官省符神社に到着。ここの社殿は重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/3b/7038cd8311efa8d5fa3d930e15b8e207.jpg)
気温が一気に上ったので、水蒸気が立ち込めていた。
ちょっとだけ寄り道する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9b/999addb389b0a2e43427f910c7ecc341.jpg)
勝利寺の山門。高野山の開創前からあったそうで、弘法大師が厄除けのために
十一面観音を奉納したという。現在は、スポーツなど勝負事にご利益が
あるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/79/4e757220fe5053fd38502b9f838c4f15.jpg)
境内にある紙遊苑は、高野紙で知られる手すき和紙を伝承するための
施設である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0b/0dd3dbd0e713049737e63ca945f5450c.jpg)
町石道に戻る。最初は柿園の中の農道といった風情だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/30/aff1d4bf770fa1269ea708c3085bd2d2.jpg)
しだいに標高を上げる。岩湧山の堂々とした姿が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/00/db34dbd04002fdfdb96bcd8d438a5de9.jpg)
展望台。北西から東までのワイドな眺めが得られる。
やがて植林帯に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e2/13024cf2584dad5c29592f6ea5ccc4c6.jpg)
町石道から30mほど左に入ったところにある榧蒔石(かやまきいし)。
弘法大師が、当地の貧しさを見かね、この岩から榧の種を蒔いたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/42/e681dfc3102bbdafc57c16f5bfa5fb90.jpg)
続いて銭壺石(ぜんつぼいし)。
鎌倉時代に20年の歳月をかけて町石道が整備された際、この石に置いた
壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせていたもの。銭壺は上部が
くびれているので、欲ばっても一定量の銭しかつかめなかったいう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/39/48b6105549480d0a429a38603ccf9072.jpg)
雨引山分岐を過ぎ、一里石へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/45/09b2ffd5d792acab718e1ed659548d15.jpg)
続いて、六本杉。丹生都比売神社への分岐でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a4/0a5d543314df9336524e271976b69bf7.jpg)
古峠。今回はここで町石道に別れを告げ、東側の上古沢に下りる。
道標はきちんとしており、道も一部は急だが、歩きやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c2/8cf0dbb634839a7a5f0d83efaec5f7a1.jpg)
途中にある小屋。壊れかけ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4f/cc8df14360a097292972cb5495b3ad0e.jpg)
上古沢、下古沢の分岐。右の細い方が、上古沢駅への道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/af/67514dab376e5315d3a78e5b3e779c1c.jpg)
明るく開けたミカン畑に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/49/0c8a90b6754974fe3d687d1b3a5f6903.jpg)
また樹林帯に入り、ひとつ沢を渡る。突然出てきた薄暗いゴルジュ風の
地形にびっくり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d0/b14ce910f15bedca7782321c9f97d207.jpg)
国道370号線に下り、不動谷川にかかる橋を渡り、対岸の急坂を
登り返せば、上古沢駅に着く。
駅舎はなんだか少々傾いているが、無人駅ではなく駅員さんがいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ac/7258960fc4c45db2fce9cc8ed05485ae.jpg)
「真田の赤備え」にあやかり、赤ボディとなった南海電車で、
九度山駅に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/19/1e552273fa72329e829bbadcdccc4bf2.jpg)
九度山駅も、真田の六文銭と、赤備えにお化粧していた。
道の駅に戻る途中、九度山の史跡を巡る。これがなかなか楽しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/4f/ad95f36dd417989a6b0acac497e6485f.jpg)
真田古墳。大坂まで続く秘密の抜け穴とも言われていたが、実は古墳だ。
面白いことに、大阪の玉造に近い三光神社にも、抜け穴と伝わる穴がある
(これは別に九度山とつなげるために掘ったものではなく、ゲリラ戦法を
とるためのもので、玉造周辺に数か所あったという)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6c/6477b9f530f17452420107356ed6aa2c.jpg)
真田庵に、真田昌幸(雪村の父)の墓を訪ねる。
昌幸は大坂の陣の前に、ここ九度山で亡くなっていた。
道の駅内のベーカリーカフェ「パーシモン」でおいしい菓子パンと
コーヒーを頂き、大満足で家路についた。