![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/02/f6fd247489f9f99a79be1989bc7e6148.jpg)
■メイン写真
金山の山頂部にある奇岩「鬼の架け橋」
■今回のコース
金山登山者用駐車場→鐘ヶ坂明治トンネル→西瓶割峠→鐘ヶ坂峠→金山→鬼の架け橋→
圓林寺跡→NHKアンテナの分岐→大乗寺→追手神社→山野草群落→金山登山者用駐車場
2年ぶりに、M社の登山ツアーで、丹波の金山をガイドしてきた。
冷え込んだ一日で、山に入るとうっすらと雪化粧がみられたが、アイゼンを使用する
ほどではなかった。
山頂では青空が広がって展望を楽しめたのはよかった。また、下山後にはスプリング・
エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる花々に癒された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/1c/dde1c56cd8bc4f997dad75dbdc1542ca.jpg)
金山登山者用駐車場をスタート、まずは鐘ヶ坂明治トンネルに寄ってみる。
レンガ積み構造のトンネルとしては日本最古で、自動車用トンネルとしても日本で
5番目に古いそうだ。
少し入ったところに柵があり、向こうには抜けられない。
鐘ヶ坂峠には、この他に昭和トンネル(通行不可)、現在利用できる平成トンネルの
3本のトンネルがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fd/dcbc3613d6de6336f04fc2d7eaf55a4b.jpg)
もとの道に戻り、獣除けゲートを開けて、「テンプルコース」に入る。
この道は江戸時代の本街道で、播磨の圓教寺や清水寺から、丹後の成相寺に
向かう巡礼道として使われてきたという。
江戸時代中期にはお金持ちの寄付によって、より歩きやすいように改修されたという
だけあって、歩きやすい道だ。
そのまま西瓶割峠に登りつく。
瓶割峠(かめわりとうげ)の名は、商人が立杭焼の瓶や壺を背負ってこの峠を越えるときに、
よく割れてしまったことに由来するという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/05/1fad81e4f6fe461d71cc6bb0685587ab.jpg)
はじめ「分水界の径」の尾根道を進み、途中で南へ延びる尾根道をとって鐘ヶ坂峠へ。
峠に下りるところが少し急になっていて注意を要する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/36/d99c41497794699f1f72a07080c1a858.jpg)
426.4m四等三角点ピークに立ち寄る。この日、初めての展望が楽しめる。
「分水界の径」が通る譲葉山が正面に見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ad/87140e71242dba489c19959705ff542d.jpg)
自然の地形を生かした山城特有だが、山頂直下にちょっとした急登がある。
これをしのぐと、金山の山頂だ。
織田信長に丹波攻めを命ぜられた、明智光秀が、敵方の八上城と黒井城の連携を
断つために、ここに砦を築いたのだ。ここからは黒井城跡も眺められる。
(写真は逆サイド、南側の展望)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/11/e88f54cacfdcb1ba08847021b3d11425.jpg)
そして、山頂直下にあるのは、お待ちかね、奇岩の名所「鬼の架け橋」だ。
風化に強い灰色珪岩(変成岩)でできていて、1449年の丹波地震でできたとの記録が
あるという。
浮世絵師・安藤広重が、「六十余州名所図録」で描いたと知られる。
橋の下から、譲葉山を覗いてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4d/655445fb4d43125e49df97a405f84945.jpg)
下山は、南へ続く尾根道をたどる。
ほどなく現れる圓林寺跡。
明治末期から大正時代は尼寺として栄え、修行が近くの滝場で行われたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/3d/1e059f2360b0a59af91c36734cfa347e.jpg)
追入神社への分岐にはNHKアンテナが立ち、大山荘が見下ろせる。
大山荘は、もと藤原氏の荘園だったが、のちに京都の東寺の所有になる。
これは、空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を空海の死後に売却し、
その資金で買ったものだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/10/2d2659f9c91d37d6304f109ac46256b3.jpg)
歩きやすい登山道をひたすら下り、大乗寺の山門へ。かつてのこの寺の隆盛を物語る。
大乗寺は、もとは金山の山頂にあり、十二坊を数えた天台宗の名刹で、熊野修験道の
丹波における拠点だったという。やはり丹波地震で全壊し、現在地に再建された。
明智光秀の丹波攻めで焼失し、1597年、現在地に再建されたともいわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/6b/8f48deafa8bfd361cc69e49b336d4af4.jpg)
登山は終了、最後に追手神社に寄る。
境内には巨大な「千年モミ」が立つ。樹高35.58m、幹周7.68m。国の指定天然記念物だ。
このほか推定樹齢350年の夫婦イチョウがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/76/48902a3302e206303c653b1da918735a.jpg)
惜しいことにエゾエノキ(樹高30m、幹周4.9m)は、枯れたのか、切られてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/fb/60484b08120f9908c3d6033e8577ec9d.jpg)
境内近くに咲いていたユキワリイチゲ。全体的には、まだまだこれから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/83/42d931b646e49f546c80c71e0ab8b65e.jpg)
集落の裏手にたくさん咲いていたのはセリバオウレン。リュウノヒゲの実も美しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/82/87c3d8964068dc9414ad3a86bd3eee02.jpg)
セツブンソウは、まさに今がピークといった感じ。
そのほかは、アズマイチゲ(あともう少し)、キクザキイチゲ(もうすぐ)、
ニリンソウ、イチリンソウ、キバナノアマナ(全然これから)。
これから4月まで、ここには入れ替わり、いろんな花が咲いていくのだ。
金山の山頂部にある奇岩「鬼の架け橋」
■今回のコース
金山登山者用駐車場→鐘ヶ坂明治トンネル→西瓶割峠→鐘ヶ坂峠→金山→鬼の架け橋→
圓林寺跡→NHKアンテナの分岐→大乗寺→追手神社→山野草群落→金山登山者用駐車場
2年ぶりに、M社の登山ツアーで、丹波の金山をガイドしてきた。
冷え込んだ一日で、山に入るとうっすらと雪化粧がみられたが、アイゼンを使用する
ほどではなかった。
山頂では青空が広がって展望を楽しめたのはよかった。また、下山後にはスプリング・
エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる花々に癒された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/1c/dde1c56cd8bc4f997dad75dbdc1542ca.jpg)
金山登山者用駐車場をスタート、まずは鐘ヶ坂明治トンネルに寄ってみる。
レンガ積み構造のトンネルとしては日本最古で、自動車用トンネルとしても日本で
5番目に古いそうだ。
少し入ったところに柵があり、向こうには抜けられない。
鐘ヶ坂峠には、この他に昭和トンネル(通行不可)、現在利用できる平成トンネルの
3本のトンネルがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fd/dcbc3613d6de6336f04fc2d7eaf55a4b.jpg)
もとの道に戻り、獣除けゲートを開けて、「テンプルコース」に入る。
この道は江戸時代の本街道で、播磨の圓教寺や清水寺から、丹後の成相寺に
向かう巡礼道として使われてきたという。
江戸時代中期にはお金持ちの寄付によって、より歩きやすいように改修されたという
だけあって、歩きやすい道だ。
そのまま西瓶割峠に登りつく。
瓶割峠(かめわりとうげ)の名は、商人が立杭焼の瓶や壺を背負ってこの峠を越えるときに、
よく割れてしまったことに由来するという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/05/1fad81e4f6fe461d71cc6bb0685587ab.jpg)
はじめ「分水界の径」の尾根道を進み、途中で南へ延びる尾根道をとって鐘ヶ坂峠へ。
峠に下りるところが少し急になっていて注意を要する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/36/d99c41497794699f1f72a07080c1a858.jpg)
426.4m四等三角点ピークに立ち寄る。この日、初めての展望が楽しめる。
「分水界の径」が通る譲葉山が正面に見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ad/87140e71242dba489c19959705ff542d.jpg)
自然の地形を生かした山城特有だが、山頂直下にちょっとした急登がある。
これをしのぐと、金山の山頂だ。
織田信長に丹波攻めを命ぜられた、明智光秀が、敵方の八上城と黒井城の連携を
断つために、ここに砦を築いたのだ。ここからは黒井城跡も眺められる。
(写真は逆サイド、南側の展望)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/11/e88f54cacfdcb1ba08847021b3d11425.jpg)
そして、山頂直下にあるのは、お待ちかね、奇岩の名所「鬼の架け橋」だ。
風化に強い灰色珪岩(変成岩)でできていて、1449年の丹波地震でできたとの記録が
あるという。
浮世絵師・安藤広重が、「六十余州名所図録」で描いたと知られる。
橋の下から、譲葉山を覗いてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4d/655445fb4d43125e49df97a405f84945.jpg)
下山は、南へ続く尾根道をたどる。
ほどなく現れる圓林寺跡。
明治末期から大正時代は尼寺として栄え、修行が近くの滝場で行われたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/3d/1e059f2360b0a59af91c36734cfa347e.jpg)
追入神社への分岐にはNHKアンテナが立ち、大山荘が見下ろせる。
大山荘は、もと藤原氏の荘園だったが、のちに京都の東寺の所有になる。
これは、空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を空海の死後に売却し、
その資金で買ったものだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/10/2d2659f9c91d37d6304f109ac46256b3.jpg)
歩きやすい登山道をひたすら下り、大乗寺の山門へ。かつてのこの寺の隆盛を物語る。
大乗寺は、もとは金山の山頂にあり、十二坊を数えた天台宗の名刹で、熊野修験道の
丹波における拠点だったという。やはり丹波地震で全壊し、現在地に再建された。
明智光秀の丹波攻めで焼失し、1597年、現在地に再建されたともいわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/6b/8f48deafa8bfd361cc69e49b336d4af4.jpg)
登山は終了、最後に追手神社に寄る。
境内には巨大な「千年モミ」が立つ。樹高35.58m、幹周7.68m。国の指定天然記念物だ。
このほか推定樹齢350年の夫婦イチョウがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/76/48902a3302e206303c653b1da918735a.jpg)
惜しいことにエゾエノキ(樹高30m、幹周4.9m)は、枯れたのか、切られてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/fb/60484b08120f9908c3d6033e8577ec9d.jpg)
境内近くに咲いていたユキワリイチゲ。全体的には、まだまだこれから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/83/42d931b646e49f546c80c71e0ab8b65e.jpg)
集落の裏手にたくさん咲いていたのはセリバオウレン。リュウノヒゲの実も美しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/82/87c3d8964068dc9414ad3a86bd3eee02.jpg)
セツブンソウは、まさに今がピークといった感じ。
そのほかは、アズマイチゲ(あともう少し)、キクザキイチゲ(もうすぐ)、
ニリンソウ、イチリンソウ、キバナノアマナ(全然これから)。
これから4月まで、ここには入れ替わり、いろんな花が咲いていくのだ。