![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/37/da6f0e57b8731fc7b8614312c1087e25.jpg)
■メイン写真
改心の道に咲いていたオオカメノキ
■今回のコース
於与岐登山口→水分神社→不動ノ滝(大本教開祖修行地)→於成神社→弥仙山(金峰神社)→
(改心の道)→日置コース分岐→元権現跡展望所→日置コース分岐→於与岐登山口
関西百名山にも選定されている丹波の弥仙山。その三角形のフォルムから、丹波槍とも
呼ばれ、また、丹波富士とも呼ばれている(丹波富士と呼ばれる山は、他にも幾つかある)。
大江山や長老ヶ岳などか見ると、その美しい三角形の姿がよく目立つので注目していたが、
標高が低いので、ついつい後回しになっていた。
いざ歩いてみると、修験の名残が感じられ、雑木林の尾根道も心地よく、さすが古来より
さまざまな人に親しまれている山だとわかった。
弥仙山の山頂には金峰神社がある。参道の中盤には於成神社があるが、
かつて蔵王堂と呼ばれていたらしい。
弥仙(弥山)、金峰、蔵王…ときたら、もう修験道だ。
明治初年までは女人禁制の修験の山だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/e5/76999964f8ce6dccf296a1d7615c0208.jpg)
於与岐登山口に10台以上駐車できるスペースがある。ここを起点に周回する。
気温8度。重たい雲に覆われた天気で、予報にない雨が心配になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/11/05ab6d33b8aff66f639a3ff0c1b413c9.jpg)
水分(みくまり)神社。
これより上にある3つの神社の登山口として三十八社大明神を祀る。
修験がさかんだった時代は、ここから先は女人禁制だったようだ。
今では「みくまり」→「みごもり」の転訛で、子授けのご利益があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ab/33ae40c3a5e7882784f9ef9542c7683c.jpg)
この石仏のところで林道を離れ、山道に入る。
立派な角をもったシカが警告音を発して絶壁を登っていった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/94/8abaad8d52fd7bc32b08610073978c5f.jpg)
途中、参道を少し外れて谷筋に下ると、不動ノ滝(麓の案内看板では「修練の滝」)だ。
小さな滝だが、大本教の開祖が、明治34年に、一週間の滝行を行ったという。
大本教は、大正~昭和期に政府の弾圧を受けて世に知られるようになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c3/8c416670f5bfdde3d74c28620668859c.jpg)
もとの参道に戻ると、なんとも神秘的な苔むした石段が現れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cd/e8d248e471671b7fb62910b1f5c2b22e.jpg)
石段の上には、於成(おなる)神社がある。修験全盛時代は蔵王堂だったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/e2/e62f31c0fc6c62036fecc7c2ea66bbae.jpg)
神社の周辺はハシリドコロが大群落をつくっていた。
毒草で、フキノトウとの誤食が多い。
食べると嘔吐、下痢、血便、瞳孔散大、めまい、幻覚、異常興奮などの症状が出る。
一方で薬草として、鎮痛、鎮痙などの作用も持ち合わせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/79/ff90254c7ea7499692231582f3f40273.jpg)
これまた雰囲気がある巨岩。狭い隙間を抜けられなくもなさそうで、
ここも行場の一つだったのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/00/6e7718ff09fd124802d1d3c442565004.jpg)
稜線に出ると、落葉広葉樹の雑木林になる。弥仙山の山頂への道は、「改心の道」分岐を
直進し、ピークをぐるっと回りこむようにつけられている。
山頂には金峰神社が建つ。7世紀後半に役行者が修行し、行基が開いた神社と伝わる。
もともとこの付近のエリアは、東にある君尾山光明寺が修験道の起点とし、
上林集落、蓮ヶ峯、上杉の施福寺を含めた広範な修行ルートが構築されていたようだ。
弥仙山は、古文書では古来「両部山」とも呼ばれていたようなので、
真言密教における「両峯分け」つまり「金剛界」「胎蔵界」の境界と
いう位置づけだったのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b8/b29eb24c0fa42909ae6a29bd06005b49.jpg)
山頂は樹木に囲まれ、かろうじて舞鶴湾が見えたが、葉が茂ると見えなくなるだろう。
大江山も枝越しに見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1e/91a099422f297e5a06f8e3eaca3b6ef0.jpg)
「改心の道」に入る。小さいイカリソウが一輪だけ咲いていた。
「改心の道」とは不思議な名前だが、昔、君尾山に住んでいた天狗が悪さをするため、
光明寺にの和尚が説得したところ、天狗は改心し詫び状を書いたという民話に基づく。
「改心の道」は、1992年に地元住民の方々が散策道として整備し、命名されたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/1d/f67a6f06f971087760b8d9333a4cb32a.jpg)
落ち葉がふかふかの、気持ちのいい雑木林の尾根道。
コケのスカートをまとった樹があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/4a/9cf02dde16e032669cd99f5ccef0f17d.jpg)
弥仙山を振り返る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/02/1513de0b13019bf0d7909dd5f7127f0e.jpg)
この分岐には、またあとで帰ってくる。まずは直進し、元権現跡展望所に行ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/37/3fcd1f749babe2c87d78552d176b995e.jpg)
シキミの花が咲く尾根道を、800mほど進んだところの小ピークで、南側の展望が開ける。
ここが元権現跡展望所だ。557.3m三角点の手前(西)になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5e/b97a2e60bfcc87950ca135dff9a691a3.jpg)
南西に、遠く多紀連山。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/75/a7553a7f9ef243ccb36c41a3b3971a68.jpg)
南東に、長老ヶ岳。鉄塔が多いのですぐわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/74/70e5e992e5291ea2938c63fdee58b622.jpg)
先ほどの分岐に戻る途中、高い樹の上に、不自然な木の葉と小枝の束。ひょっとして熊棚?
このへんには生息域なので当然ありうるが…
植林の中を下る。尾根を外れ、トラバースに入ると道幅が細くなり、ちょっと歩きにくい。
再び支尾根に乗るが、その先で右に鋭角に曲がる箇所に注意。そのままジグザグに谷筋
めがけて標高を下げ、朽ちかけの木橋を渡ると林道に出る。
林道は水流の浸食を受け、荒廃が始まっており、もはやクルマが入れる状態ではないが
徒歩なら大丈夫。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/b9/71b53d6f88892d068ea9c6fe5ba037aa.jpg)
キブシの花。かんざしのようでかわいい。ヤマザクラ、クロモジなどもみられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/82/03766c6d419f4b8247f98a8af603dd70.jpg)
ヤマブキはたくさん咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/7b/340d70d9091832225bb8c0ce7e5bceff.jpg)
モミジイチゴだと思う。
対岸斜面にはミツマタもちらほら咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/6e/f888a63ce1fbe5ac51a48be401467437.jpg)
午後になって雲が飛び去り、暖かな日差しが降りそそぐ。
今なら元権現跡展望所からの展望写真も綺麗に撮れただろうなと惜しみながら下山した。
改心の道に咲いていたオオカメノキ
■今回のコース
於与岐登山口→水分神社→不動ノ滝(大本教開祖修行地)→於成神社→弥仙山(金峰神社)→
(改心の道)→日置コース分岐→元権現跡展望所→日置コース分岐→於与岐登山口
関西百名山にも選定されている丹波の弥仙山。その三角形のフォルムから、丹波槍とも
呼ばれ、また、丹波富士とも呼ばれている(丹波富士と呼ばれる山は、他にも幾つかある)。
大江山や長老ヶ岳などか見ると、その美しい三角形の姿がよく目立つので注目していたが、
標高が低いので、ついつい後回しになっていた。
いざ歩いてみると、修験の名残が感じられ、雑木林の尾根道も心地よく、さすが古来より
さまざまな人に親しまれている山だとわかった。
弥仙山の山頂には金峰神社がある。参道の中盤には於成神社があるが、
かつて蔵王堂と呼ばれていたらしい。
弥仙(弥山)、金峰、蔵王…ときたら、もう修験道だ。
明治初年までは女人禁制の修験の山だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/e5/76999964f8ce6dccf296a1d7615c0208.jpg)
於与岐登山口に10台以上駐車できるスペースがある。ここを起点に周回する。
気温8度。重たい雲に覆われた天気で、予報にない雨が心配になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/11/05ab6d33b8aff66f639a3ff0c1b413c9.jpg)
水分(みくまり)神社。
これより上にある3つの神社の登山口として三十八社大明神を祀る。
修験がさかんだった時代は、ここから先は女人禁制だったようだ。
今では「みくまり」→「みごもり」の転訛で、子授けのご利益があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ab/33ae40c3a5e7882784f9ef9542c7683c.jpg)
この石仏のところで林道を離れ、山道に入る。
立派な角をもったシカが警告音を発して絶壁を登っていった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/94/8abaad8d52fd7bc32b08610073978c5f.jpg)
途中、参道を少し外れて谷筋に下ると、不動ノ滝(麓の案内看板では「修練の滝」)だ。
小さな滝だが、大本教の開祖が、明治34年に、一週間の滝行を行ったという。
大本教は、大正~昭和期に政府の弾圧を受けて世に知られるようになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c3/8c416670f5bfdde3d74c28620668859c.jpg)
もとの参道に戻ると、なんとも神秘的な苔むした石段が現れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cd/e8d248e471671b7fb62910b1f5c2b22e.jpg)
石段の上には、於成(おなる)神社がある。修験全盛時代は蔵王堂だったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/e2/e62f31c0fc6c62036fecc7c2ea66bbae.jpg)
神社の周辺はハシリドコロが大群落をつくっていた。
毒草で、フキノトウとの誤食が多い。
食べると嘔吐、下痢、血便、瞳孔散大、めまい、幻覚、異常興奮などの症状が出る。
一方で薬草として、鎮痛、鎮痙などの作用も持ち合わせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/79/ff90254c7ea7499692231582f3f40273.jpg)
これまた雰囲気がある巨岩。狭い隙間を抜けられなくもなさそうで、
ここも行場の一つだったのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/00/6e7718ff09fd124802d1d3c442565004.jpg)
稜線に出ると、落葉広葉樹の雑木林になる。弥仙山の山頂への道は、「改心の道」分岐を
直進し、ピークをぐるっと回りこむようにつけられている。
山頂には金峰神社が建つ。7世紀後半に役行者が修行し、行基が開いた神社と伝わる。
もともとこの付近のエリアは、東にある君尾山光明寺が修験道の起点とし、
上林集落、蓮ヶ峯、上杉の施福寺を含めた広範な修行ルートが構築されていたようだ。
弥仙山は、古文書では古来「両部山」とも呼ばれていたようなので、
真言密教における「両峯分け」つまり「金剛界」「胎蔵界」の境界と
いう位置づけだったのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b8/b29eb24c0fa42909ae6a29bd06005b49.jpg)
山頂は樹木に囲まれ、かろうじて舞鶴湾が見えたが、葉が茂ると見えなくなるだろう。
大江山も枝越しに見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1e/91a099422f297e5a06f8e3eaca3b6ef0.jpg)
「改心の道」に入る。小さいイカリソウが一輪だけ咲いていた。
「改心の道」とは不思議な名前だが、昔、君尾山に住んでいた天狗が悪さをするため、
光明寺にの和尚が説得したところ、天狗は改心し詫び状を書いたという民話に基づく。
「改心の道」は、1992年に地元住民の方々が散策道として整備し、命名されたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/1d/f67a6f06f971087760b8d9333a4cb32a.jpg)
落ち葉がふかふかの、気持ちのいい雑木林の尾根道。
コケのスカートをまとった樹があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/4a/9cf02dde16e032669cd99f5ccef0f17d.jpg)
弥仙山を振り返る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/02/1513de0b13019bf0d7909dd5f7127f0e.jpg)
この分岐には、またあとで帰ってくる。まずは直進し、元権現跡展望所に行ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/37/3fcd1f749babe2c87d78552d176b995e.jpg)
シキミの花が咲く尾根道を、800mほど進んだところの小ピークで、南側の展望が開ける。
ここが元権現跡展望所だ。557.3m三角点の手前(西)になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5e/b97a2e60bfcc87950ca135dff9a691a3.jpg)
南西に、遠く多紀連山。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/75/a7553a7f9ef243ccb36c41a3b3971a68.jpg)
南東に、長老ヶ岳。鉄塔が多いのですぐわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/74/70e5e992e5291ea2938c63fdee58b622.jpg)
先ほどの分岐に戻る途中、高い樹の上に、不自然な木の葉と小枝の束。ひょっとして熊棚?
このへんには生息域なので当然ありうるが…
植林の中を下る。尾根を外れ、トラバースに入ると道幅が細くなり、ちょっと歩きにくい。
再び支尾根に乗るが、その先で右に鋭角に曲がる箇所に注意。そのままジグザグに谷筋
めがけて標高を下げ、朽ちかけの木橋を渡ると林道に出る。
林道は水流の浸食を受け、荒廃が始まっており、もはやクルマが入れる状態ではないが
徒歩なら大丈夫。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/b9/71b53d6f88892d068ea9c6fe5ba037aa.jpg)
キブシの花。かんざしのようでかわいい。ヤマザクラ、クロモジなどもみられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/82/03766c6d419f4b8247f98a8af603dd70.jpg)
ヤマブキはたくさん咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/7b/340d70d9091832225bb8c0ce7e5bceff.jpg)
モミジイチゴだと思う。
対岸斜面にはミツマタもちらほら咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/6e/f888a63ce1fbe5ac51a48be401467437.jpg)
午後になって雲が飛び去り、暖かな日差しが降りそそぐ。
今なら元権現跡展望所からの展望写真も綺麗に撮れただろうなと惜しみながら下山した。