Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

反論コメントに対して…

2010-07-25 00:00:01 | その他の応援団関連
先日、nanaponさんの『オシムの視点』というタイトルの記事に対し、コメントを残しました。

以下に引用させていただきますが、その後、ある方から、私のコメントに対し、反論がありました。

これに対して感じることを…。

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ちなみに、Danchoさんの
> 勝てなくても、試合で何を披露すれば国民に響くのか
というのは妙な話だと思っています。
サッカー選手は徹頭徹尾、試合に勝つために努力すればよいのであって、どう響くかは見た人間の責任でしょう。それ以上のものを、チームや選手に背負わせるのは筋が違う、としか思えません。

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確かに、仰ることも理解できます。「勝てば官軍」という言葉もあります。

勿論、選手の皆さんは、負けたくて試合をしている訳ではないし、当然、勝つために試合に挑んでいます。そのために、必死に練習するわけですから。

でも、現実として、どんなに努力をしても、負けてしまう時はある…。

これは、応援団の感覚なのですが、「応援している味方が負けている時の応援」が、実は大事と考えています。味方の実力以上のものを引き出すために、応援団は必死になります。

負けていて、結果的に、単に負けてしまった時、応援団は辛いです。
そして、逆転負けなら、尚更辛い。

学校に戻ってから、OB諸兄に「練習」を課される時もありました。
それは、負けた試合で、応援が足を引っ張った時、特に…です。逆転負けの時は、毎回の様に、それを覚悟で学校に引き上げます。

私が現役当時は、野球部の応援がほぼ全てでした。なので、野球の場合でお話しさせていただきます。

試合に負けて一番悔しいのは、野球部の選手の皆さんなのに、時々言ってくれます。「援部(応援指導部=応援団)がいたから頑張れたけれど、それが足りなくて負けてごめん」と。

何が言いたいのかという事ですが、私達応援団は、ただ味方が勝利してくれるため、勝利に導くためだけに存在していると言っても過言でない訳ですが、実は、実際に球場で試合で戦っている選手の皆さんは、我々の存在を「力」に変えてくれているという事です。

負けた時は、正直「私達が、野球部の力を発揮させてあげられなかったから、負けた」と毎回のように思います。でも、野球部の選手の皆さんは、私達の存在を「背負って」戦ってくれているのです。だからこそ、その「絆」は固い。

そう、「背負わせる」のではなく、お互いが、そういうものを「自然」と、「気付かないうち」に「背負って」いるのです。


ここで、大事なポイントがあります。


サッカーに話を一旦戻すと、パラグアイ戦を終えて、敗退が決まった直後に、本田 圭佑 選手はこう言いました。

「批判してくれた方もいらっしゃったから、頑張れた。感謝しています」と。

そうです。本田選手は、ポジティブに応援しているサポーターは勿論、試合で結果が出ずに不満を抱えているサポーターの「思い」も、両方とも自ら背負って“準備”して戦っていたことが、これで分かります。

そういうところを、私は指摘していたつもりです。

3つ負けて1次リーグ敗退でも、「そういうところ」が見えたら、チームとして機能しているという事なのですから、納得できるはずだと…。
少なくても、今大会でいえば、チームとして「空中分解」したフランスの様な敗退でなければ…。

たとえ負けても、「内容」が伴っていれば、「感動をありがとう」となる…という事です。

野球の応援もそうです。

敗色濃厚な時に、応援団が顔を下に向けては、どうなりますか!。
最後まで「勝利」を信じるのが、私達です。
その「気持ち」を感じ取り、「意地」を選手の皆さんが見せてくれたら、周りは評価して下さいます。「良い試合だったね」と。

野球部の普段の練習も、私達は見ています。勿論、試合に勝つために、夜遅くまで練習しています。
そんな姿を見ながら、「こっちも練習止められない」って時だってありました。

お互いが、「お互いの姿」を見ているから、野球部の選手の皆さんは私達の思いを「背負って」くれるのだし、私達も、野球部が普段練習して身につけた力以上のものを発揮できるように、観客と一緒に盛り上げるため、必死に応援します。

それを見ている観客は、野球部に対しては勿論のこと、おこがましくも私達応援団に対しても、「労い」の言葉を頂戴することが実際にあるのです。

サッカーでも同じではないでしょうか。

サポーターも勝って欲しいから、内容が悪ければ苦言も呈する。そういうサポーターの思いがあるから、勝つために必死に選手の皆さんは練習する。そういうところから「絆」が生まれ、お互いの思いを「背負って」サポーターは応援をするし、選手の皆さんは、試合で最高のパフォーマンスを発揮するために必死になる…。


私達は、母校の勝利のために、ただそれだけのために、必死で練習します。

応援団には、勝ちも負けもなければ、誰かが採点してくれるわけでもありません。もちろん、それを期待して応援している訳でもありません。
ただ、母校の勝利のために「がむしゃら」になっているだけです。

「どう響くかは見た人間の責任でしょう」…確かにそうかもしれません。
でも、その「責任」の部分が「応援の課題」で、その課題の克服のことを四六時中考えているのが応援団のある意味「仕事」です。

それを「背負わせる」つもりは、毛頭ありません。

それとも、舌足らずな私のコメントが、この方には「俺達が応援してあげているのだから、お前達、結果を出せ」と言っているように聞こえたのでしょうか?。だとしたら、とっても残念ですし、悲しいです。そんなこと思った事など、ただの一度もありません。
また、「超ファインプレーを発揮して、美しく勝て」と言っているように聞こえたのでしょうか?。そのつもりも当然ながら、ありません。応援団にとって「勝利」が何よりの「贈り物」です。美技連発などは、正直関心はありません。

でも、本田選手にしても、我が母校の野球部の選手の皆さんも、私達を「見てくれた」から「背負って」くれた…。


私の気持ちを理解していただける方には、理解していただけると、私は信じています。

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