知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

『潜れ~潜れ~ 対馬の海女さん物語』

2017年08月24日 22時19分45秒 | ふるさと
第25回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
潜れ~潜れ~ 対馬の海女さん物語』 83歳で現役!離島・対馬の伝統海女
(制作:テレビ長崎)
(2017.8.21:フジテレビ)



 海女さんは絶滅危惧種の職業です。
 その消えゆく文化の一部を見せてくれた番組内容でした。

<番組紹介>
 対馬で最高齢の海女・梅野秀子さんは83歳!自ら船を操縦しアワビやサザエを素潜りでとる。長崎県対馬市の漁業は島の基幹産業であり、サザエは日本一、アワビは全有数の水揚げを誇る。その一端を担っている秀子さんは、かつて島の殿さまから特権を与えられた島全域の海を知る対馬伝統の海女の一人。若い頃は全国でも名高い裸海女として活躍し、結婚後は海女の稼ぎで家族を養ってきた。一人暮らしの今は地域の人たちと触れ合いながら、冬でも大好きな海に潜る。底抜けに明るい海女さんの日常から島の姿が見えてくる。厳しい自然の中、今も潜り続ける理由とは?
 800年に及ぶ対馬の海女の歴史を受け継ぐ海女さんが、今も潜り続けている。このことがきっかけとなり取材が始まった。九州の最北端・玄海灘に浮かぶ長崎県対馬市、人口3万2千人、約9割が険しい山林に覆われている。韓国までの距離はわずか49.5キロの国境の島。かつて大陸との交通の要所として栄え、地理的な背景から国の天然記念物ツシマヤマネコを始め、数多くの希少な動植物が数多く生息している。独自の歴史や文化、手つかずの自然は島の観光資源として広く知られている。しかし、対馬に伝統の海女がいることは地元長崎県内でもほとんど知られていない。ある日、対馬で電器店を営む通信員から「近所にすごい海女さんがいる、83歳で海に潜っている」という話を聞いた。なんでも自分で船を操縦したり、車を運転し、真冬でも海に潜るそうだ。今まで対馬の海女にスポットが当たったことがない、しかも83歳の海女さんとは、なんてパワフル!きっと誰もが元気をもらえるだろうと島に飛んだ。
 梅野秀子さん、83歳。15歳のときに母親から言われたある言葉で海女になり、今もその言葉を大切にしているという。大きな声で「海が好きで好きでたまらない」と話し、1枚のモノクロ写真を見せてくれた。海に向かってフンドシ1枚で堂々と立つ20歳頃の秀子さんが写っていた。自然と一体になった美しくたくましい海女の姿に圧倒された。「昔はね、フンドシで対馬全域を潜りよったと。雪の降る日でもね、だけん今でも元気かと。ハハハハ」その写真とキュートな人柄に引き込まれ、撮影を決めた。すると対馬で最高齢の現役海女であること、ほかにも興味深いことが次々とわかってきた。
 対馬の海女文化は800年前、日本の海女発祥の地とされる福岡県鐘崎の海女が対馬の曲(まがり)という地区にやってきたことから始まったと伝えられていた。曲の海女たちは島の殿さまにある理由から優遇され、対馬全域での海女漁が特別に許されていたのだ。曲の海女は一年中船で暮らし、島を一周しながら漁に励んだ。真冬でも潜水を優先させフンドシ一枚、全国屈指の潜水技術でたけだけしく海に潜った。そして、その歴史は戦後まで脈々と受け継がれていた。実は秀子さん、戦後まで続いていた対馬全域の海を知る由緒ある曲の海女だったのだ。番組の見所は伝統の海女・秀子さんの潜り。そして島で暮らす日々から見えてくる海女としての人生、対馬の現状。
 83歳の秀子さんは夫を亡くし一人暮らし。近所に住む幼なじみの海女・愛子さんや隣に住む小学4年の百花ちゃん、地元漁協、地域に住む人たちと触れ合いながら過ごしている。海に入れることが何よりの幸せ、しかし昔に比べ海の環境は変わり、思うような漁はできない。対馬全域の海を知る由緒ある海女はわずか3人になった。島に伝わる珍しい風習や祭りはどんどん失われていく。日本の10年先の姿を映すといわれる離島、対馬の過疎・高齢化も深刻だ。
 その一方で韓国人観光客は人口の6倍以上、年間21万人を超し、低迷する経済を支えている。自然と周りが変わっていく中、秀子さんは潜り続ける。一日でも長く潜れるよう無理はしない。自分の身体のことは自分が一番よく分かっている。都会で働く二人の息子はそれぞれ家庭を持ち、めったに帰ってこられない。そうしたある日のこと、長男が数年ぶりに島にやってきた。離れて暮らす親子には考えなければならい現実があった。自然にあらがわず、たくましく生きる海女さんを通し、自然、家族、人生を問いかける。





★ディレクター・安田朝香(テレビ長崎制作部)コメント
「細長い手足でぐんぐん潜る様子はまるで人魚のようでした。現役海女の梅野秀子さんは83歳、今も1分半以上息を止め、真冬でも大好きな海に潜ります。いつも底抜けに明るくユニーク、なんてパワフルなおばあちゃん、元気の源はなんだろうと取材を重ねました。すると、ただ明るいだけではなく自然を敬い、1日1日を愛おしく大切に暮らしていることが見えてきました。そしてそこには厳しい海女の修行に耐え家族を養ってきたこと、毎日命がけで生きてきたからこそ、全てのことに感謝して暮らしていることがわかったのです。自然や伝統、当たり前にあったものが失われていく世の中で、秀子さんは自然にあらがわずあるがままたくましく生きています。そのまっすぐな姿勢から、忘れてしまっている大切な何かを感じとってもらえたらと思います」
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