知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「今よみがえるアイヌの言霊」「石狩川」

2018年02月12日 12時17分58秒 | 日本人論
NHK ETV特集「今よみがえるアイヌの言霊」(2017.3.25放送)

 日本人はなんとなく「日本は単一民族国家である」と思っている節があります。
 しかし北海道中心に、日本人とは異民族である「アイヌ」が住んでいます。

 放送を見て、北海道におけるアイヌ迫害の歴史は、アメリカ大陸におけるインディアンの迫害の歴史と重なるものがあると感じました。

 アイヌは狩猟採集民族でした。
 自然の恵みが豊かであったために、稲作を必要しなかった環境で生きてきたのです。
 ですから、自然恵みに感謝し、自然がもたらす災害を恐れました。
 あらゆるものに魂が宿り、人間の力の及ばないすべての自然に「神」が宿ると考えて、それを「カムイ」と呼びました。
 八百万の神の起源は、アイヌ文化にあるのではないか、と私は感じました。

 明治時代になり、北海道に本土人が入職し、農業を始めます。
 それに伴い、アイヌも狩猟採集をやめて農業に従事するよう仕向けられます。
 さらに明治半ばに「北海道旧土人保護法」により、さらに生活が制限され、アイヌ語を学校で教えることさえ禁じられました。

※ 下線は私が引きました。

■ 「今よみがえるアイヌの言霊〜100枚のレコードに込められた思い〜」
2017年12月17日放送:日本放送協会



 NHK札幌放送局の資料室に眠っていた100枚のレコード。そこには、太平洋戦争直後に北海道の各地で録音したアイヌの人々の肉声、歌や語りが残されていた。そのままでは再生が困難な古いレコードの汚れを注意深く取り除き、原音が消えないようにノイズだけを消して整音する地道な作業が続けられ、70年の時を経てアイヌの言葉がよみがえった。鮮明に再現されたアイヌの人々の声はぬくもりを感じさせる優しさを伴って伝わってくる。
 もともとアイヌ民族の文化は口伝えで受け継がれており、文字としては残されていない。明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」により、アイヌ独自の文化継承が妨げられ消滅の危機にさらされるなか、道内各地で録音された歌や語りの音源はかけがえのない記録となった。独自の文化を継承するために孤軍奮闘してきたアイヌの人々、研究者、そして録音に携わった技術者たち、それぞれの努力が紡がれて貴重な文化遺産を守ることとなったその意味は大きい。
 修復したレコードには、もてなしの心を伝える祝詞のような挨拶、祭りや儀式の時などに披露される歌、神や英雄が活躍する叙事詩などが記録されている。その音声に耳を傾けながら、昔の祭りや生活の様子を映し出すモノクロ動画や写真、さらには研究者が言葉を読み解いて書き起こした内容をあわせ読むと、当時の人々の暮らしや思いに心を通わすことができる。
 大自然と共に暮らし、身の回りの万物に感謝しつつ、人間の能力を超えたあらゆるモノに「カムイ」という神が宿ると考えてきたアイヌの人々。彼らはかつて「旧土人」と差別され、政府の同化政策で自らの言語や風俗習慣を変えざるをえなかった歴史を背負っている。失われつつある彼らの文化を未来に残していこうと、地元北海道の小学校では昨年度から子どもたちにアイヌ語を教える試みを始めているという。


 
 NHK-BS「新日本風土記」の「石狩川」でもアイヌが扱われていました。
 こちらは、明治以降に北海道へ入植した本土人と、もともと800年前から住んでいたアイヌの両方の視点で描かれています。

■ 新日本風土記「石狩川」
2018年1月5日:NHK-BS
 全長268キロ、北海道中央部の大雪山系に源を発し日本海に注ぐ大河・石狩川。アイヌの人々が「イシカリペッ」(激しく曲がりくねった川)と呼んだ通り、もともとは平地を大きく蛇行しながら流れる暴れ川だった。しかし明治以降、大規模な河川改修と農地開発が行われ、流域は日本有数の米どころへと生まれ変わった。また、石狩川はサケの宝庫。毎年秋に遡上する大量のサケは、縄文時代から人間の生活の糧となってきた。アイヌの人々はサケを「カムイ・チェプ(神の魚)」と呼び、毎年秋にサケを迎える儀式を行い敬ってきた。サケは現在では、人工ふ化した稚魚を毎年放流することで資源が維持されている。
米などできないと言われた極寒の地で石狩川の水を引き、米作りに情熱を傾けてきた開拓農民。百年以上途絶えていた伝統のサケ漁を復活させたアイヌの人々。明治以来150年の石狩川の急激な変貌は、そのまま北海道の歴史と重なる。先住民族アイヌの人々と和人の開拓民が歩んだ苦難の歴史を石狩川の風土と共に描いていく。

◇ 旅のとっておき 〜番組制作者による「私のおすすめ石狩川」〜
 石狩川を担当した田中と申します。取材でお世話になったみなさま、本当にありがとうございました。
 北海道民は、感謝の思いを込めて「母なる川」と呼びます。取材すればするほど、北海道で生き抜いてきた人たちと石狩川との深いつながりを実感しました。
 石狩川は、北海道随一の大河。長さはもちろん北海道1位。流域面積も、広大な北海道の6分の1にまで及びます。
 石狩川を訪れる際には、とても1日では回りきれませんから、何日もかけて、じっくり旅するのが良いのではないでしょうか。
 北海道の歴史とゆかりのある、石狩川のおすすめスポットをご紹介します。

 石狩川の河口・石狩市でおすすめするのは、創業明治13年、老舗のサケ料理専門店です。番組でもご紹介した数々のサケ料理のほか、実は、全国的にも知られた「石狩鍋」発祥のお店でもあります。
 石狩鍋というと、どんな料理を思い浮かべるでしょうか?
 私は、サケの入った味噌味の鍋、くらいのイメージしかありませんでしたが、美味しくするコツがあるんだとか。
 本場の石狩鍋は、キャベツを入れたり、イクラを添えたり。中でも、代々、女将さんに受け継がれてきた一番の秘訣が、必ず石狩川の河口付近で取れたサケを使うこと。何でも、河口で取れるサケは、これから長い距離をさかのぼるため、一番脂が乗っていて、味もいいとのこと。サケの町だからこそ味わえるご馳走をぜひ一度ご賞味ください。

 石狩川中流域でおすすめするのは、美唄市にある宮島沼。
 ここは、年に2回、渡り鳥のマガンが飛来し、羽を休める中継地です。早朝になると、7万羽ものマガンがエサを求めて、一斉に飛び立ちます。その光景は、本当に壮観です。
 この宮島沼は、石狩川の氾濫によって生まれた沼のひとつ。
 かつての石狩川は氾濫を繰り返してきた暴れ川でした。石狩川は、勾配の緩やかな平野部を流れています。そのため、もともと大きく蛇行しながら流れていました。「石狩」の語源は、アイヌ語で「イシカラペッ(回流する川)」であるとも言われています。石狩川がひとたび氾濫すると広大な面積が水没したため、明治以降、曲がりくねった川筋を工事でショートカットし、直線化することで治水を図ってきました。そのため、現在は全長268キロ、日本第3位の長さですが、かつては100キロ以上も長かったといいます。
 氾濫の減った石狩川の流域には、今や北海道の人口の半分以上が暮らしています。治水工事が行われる前の石狩川は、信濃川を超えて、日本1位の長さだった?かもしれません。

 石狩川の上流でのおすすめは、旭川市にある、アイヌ文化の資料館、川村カ子トアイヌ記念館です。北海道と名付けられる前から、石狩川とともに歩んできたのが、アイヌ民族の人たち。そのアイヌの暮らしと歴史を伝える資料が数多く展示されています。
 敷地の一角には、チセと呼ばれるアイヌ伝統の家屋も建てられており、アイヌの伝統文化を伝える行事などに使われています。
 旭川と言えば、寒さが厳しく、冬はマイナス20度まで下がります。今のように生活環境も整っていない中、自然の恵みを使って、生き抜いてきた知恵と工夫に頭が下がります。
 この資料館が作られたのは、今から100年前の大正5年。日本最古のアイヌ資料館です。今、昔ながらのアイヌの暮らしをしていらっしゃる方は、ほとんどいらっしゃいません。しかし、そうした暮らしや文化を大切に残そうとされた方々や、これからも伝えようとしている人たちの思いに触れてみてはいかがでしょうか。


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